第八話 夕方前のカフェ
「そうなの、二人とも同じクラスなの? ここで会うなんて偶然ねぇ~。ウフフ、こんな可愛いクラスメートを紹介してもらえるなんて……おばあちゃんは嬉しいわ。ね、誠一」
桜の木の下のベンチ。
私と弥生くんが座り、お祖母さんが車椅子を私たちの前に停めている。
弥生くんのお祖母さん、名前は『弥生 明乃』さんというらしい。
「『弥生くんのおばあちゃん』じゃなく、『明乃さん』って呼んでね。ことはちゃん!」
「は……はい」
笑顔がチャーミング……そんな感じのお茶目な人である。
チラリとベンチの横に目をやると、弥生くんが耳まで真っ赤になって俯いていた。
あぁ……クラスメートが身内と話しているのを聞くのって、高校男子にはキツイものだろうなぁ。
ちょっと同情するが、明乃さんが楽しそうに話し掛けてくるので、私もなかなか立ち上がれない。
それに…………
明乃さんの真後ろ、車椅子のハンドルを握って立つように、“黒い靄”もこっちを見て (?)いるのだ。まるで私を観察しているように、さっきから物凄い視線を感じる。
黒い靄から明らかに『人の気配』が漂ってきているのだ。
…………こんなこと、今までなかったよ。
「あら、弥生さん。こんな所にいらしたんですか?」
しばらく他愛のない話をしていると、私たちの所へ中年の看護師さんがやって来た。
「弥生さん、そろそろ点滴の時間ですよ。誠一くん、おばあちゃんは私が連れて行くけどいいかしら?」
「……あ、はい。お願いします。じゃあ、おばあちゃん、また来るね」
「えぇ、またね。ことはちゃんも、またいらっしゃい」
「は、はい」
看護師さんが車椅子を押して、明乃さんは行ってしまった。
黒い靄はまるで看護師に任せたように、車椅子の横について一緒に移動していった。
本当に人間だわ……。
初めての体験に少し呆けてしまって、我に返って弥生くんの方を見ると、黙ってこちらに顔を向けていた。
「…………見た?」
「え?」
私がしばらく明乃さんを見ていたせいだろう。
弥生くんが眉間にシワを寄せて睨んでいる。
「うん、大丈夫よ。弥生くんが、実はおばあちゃんっ子だなんて、クラスで言いふらしたりしないから」
「違う! …………いや、それも言わないで欲しいんだけど……」
本気で困った顔をしている。
さっきから弥生くんが面白い。
きっと弥生くんが聞きたいことは…………
「明乃さんの黒い靄のこと?」
「うん、柏木さんには見えていたよね?」
「そうね、人間みたいなのが後ろにいたよ」
「え!?」
「え?」
弥生くんの驚いた顔に、思わず私も声をあげた。
「同じものが見えていたんじゃ……ないの?」
「…………いや、僕の見えているものは……」
そう言うと、弥生くんはピタリと動きを止めて、何かを考えるような素振りを始める。
「あの……柏木さん。この後、時間ある?」
「え? まぁ、少しなら……」
「なら、その……ちょっと話したいことがあるんだ……」
「へ……?」
視線を逸らし下唇を噛みながら、弥生くんは何とも恥ずかしそうに提案してきた。
…………弥生くんのこの表情を、ゆかりが見たら「萌えぇぇっ!!」とか、叫んでいそう。
想像のゆかりが狂喜乱舞している。
思いがけないことに、私の頭が混乱しているのかもしれない。
夕方より少し早い時間。
内容が内容だけに、さすがに病院の庭で話しているのも気が引けて、私たちは近くのカフェで話をすることにした。
一番奥の席はマスターの趣味で置かれた蓄音機のBGMで、他の席へ会話が届きにくい…………と、ゆかりが言っていた。
チーズケーキが美味しいと言われていたけど、それはゆかりと来た時に取っておこうかな。
それぞれ注文をして、周りを確認してから向き合った。
「……前に『あまり気にするな』とは言ったけど、あれから柏木さんが見えているものが少し気になっていたんだ。でも、学校じゃなかなか話すのも難しいし……」
「そう。私もちゃんと話す機会が欲しかったの。それで? 話したいことって?」
弥生くんはため息をつくと、目線をテーブルに落とし話し始めた。
「まず、僕の見えているものは『人の死の現場』で発揮されるものなんだ。最初は死ぬ本人には何も見えない。『現場』を見て初めてどんな人なのか分かって、そこで助けられるか考える」
この間のゆかりの事を例にあげる。
弥生くんは事が起きる一週間前に、あの階段で何が起きるのか見えたそうだ。
『被害者の幻影』が現場で見えるのは数日から一週間前ほど。
ゆかりが教科書と筆箱を持っていたから、移動教室の帰りだと推測した。そして、二日ほど周りの生徒を観察して、ゆかりが私の友人だと分かり、そこから普通科と医科の共通の教科を見付けて日付けを確認…………
正直に言うと、かなり面倒で大変なことを弥生くんは黙って行っているのである。
「前はもっと期間が短かったんだ。最近だよ、一週間も猶予ができたの」
「それでも、普通はそこまでやらないよ」
「自主的にやるボランティアみたいなものだよ。かなり自己満足も入っているけど」
ずいぶん気合いの入ったボランティアだと思う。
しかも、事故や事件は起きていないのだから、助けても誰からも感謝はされない。
私は……独りでやるのは無理かも。
あの日は『首を突っ込むな』って言われたけど、こんなこと簡単に突っ込めるわけない。
下手に関わって失敗したら、それこそ取り返しがつかないんじゃ…………あ、だからか。あの時、弥生くんは私たちが変に手伝おうとしないように釘を刺したのか。なるほど。
ウェイトレスさんが注文したものを持ってくる。
「ごゆっくりどうぞ」と言って去っていき、私たちの話は本題に入っていく。
「弥生くんと私の“眼”は、同じようでも性質が違うのね?」
「僕の場合、現場でその人が死ぬって分かって、それでその時間が近くなると“黒い靄”が後ろに薄く見える。もし、事故の起きる間近までに人物を特定できないと、その時間に慌てて助けなきゃならなくなるかな……」
「……つまり、弥生くんは人だけ見たらわからない……ってこと?」
「うん。現場に遭遇しない限り、僕は何も見えてはいない」
事前に人の死が見えるから、私が勝手に万能だと思っていた弥生くんの“暗闇の眼”は、意外にも限定的で投げっぱなしな感じに思えた。
「柏木さんは人から視えるんだね?」
「人からというか、人だけね。現場とか瞬間とかは全く視えないよ。あ、でも黒い靄じゃなくても、誰もいない所で人の気配とかを感じたりするかな?」
自分で言っていて気付いた。
もしかしたら、私のは『霊感』というものではないのか?
よくよく聞いていると、弥生くんの能力は『予知』のようなものに思える。
「それで? 私に何か手伝ってほしいことがあるんじゃないの?」
「え?」
「だって、弥生くん、さっきからたまに言い難そうに視線をずらすから……。あんまり話したことがない私に、気安く頼めないと遠慮しているのかな……って」
うん。うちの父や兄が母親に何かお願いをするときも、ご機嫌を取っているけど、目は外にずらしていることがよくある。
やましい事、もしくはお願いをしたいときの男の人って、皆こんな感じになると母が言っていた。
「いや……お願いというか、協力というか……」
ミルクセーキのストローをいじりながら話す弥生くんの向かい側で、私は黙ってホットのブラックコーヒーが入ったカップに口をつけた。
「柏木さんは……“暗闇の眼”でも、僕とは見え方が違う。だから何か死を回避するヒントがあるかな……って……」
「死の回避……もしかして、明乃さんの?」
「うん、おばあちゃんの“死”が視えてから、二年近くになる……条件が揃ったら、たぶん……おばあちゃんはすぐに死ぬ……」
「条件?」
「おばあちゃんが死ぬ時の状況。風景を一致させないようにしているけど“黒い靄”が消えてくれない……だから、柏木さんがどんなふうに、おばあちゃんが見えたのか教えてほしい」
弥生くんは今度は真っ直ぐに、私の目を見て言った。