第四話 移動教室の帰り
「おはよー!」
「おはよう」
入学式から早、二週間が経った。
今朝もゆかりが元気にうちの前で待っている。
新しい学校の授業も始まり、入学直後の実力テストも終わって少し落ち着いてきたところだ。ゆかりとは登下校の他にお弁当も一緒に食べている。この間は、普通科の友達も紹介され、その子たちとも仲良くなったところだ。
…………でも『医科』ってだけで、ちょっと仲間ハズレ感が拭えないのよね。制服の色も違うし。
案の定『医科』のクラスメートたちは個人主義だ。
あまりグループも作らず、男女とも昼ごはんは各々の席で食べている感じだ。
もしかしたら、二週間ごときでは友達ができないのか? などと邪推もしたのだが、他の子はポツポツと会話くらいはしている。
何となくだが、私や数人は遠巻きにされている気がしていた。
その理由は後日、ゆかりが教えてくれたのだけど…………
「…………で? どうなのよ、その後……」
「何が?」
歩いていると、ゆかりがにっこりと尋ねてくる。
「何がじゃないでしょー!! 弥生くんよ! 弥生くんとは話せたの!?」
「え? ううん、まだ話したことない」
「なっ……何をそんなにのんびりしてるのよ!? せっかく隣の席に座っているというのに……」
そう、席だ。
私の名前は『柏木』……カ行だ。
そして、『弥生くん』は、ヤ行。
本来ならば新学期から席が近くには、ましてや隣になどなるはずもないのだ。
実際に、私も弥生くんも出席番号も全く違う。
あぁ~!!……と、落胆の声をあげてゆかりは天を仰ぐ。
まるで私が何かしくじったように。
「せっかく、うちの学年の成績ツートップが並んで、運命的な出会いを果たしたというのにっ……!!」
「運命……って…………」
ゆかりが仕入れてきた情報によると、『医科』ではクラスの席の前列の六名ほどは、成績順で並んでいるという話なのだ。
つまり、成績トップの弥生くんの隣…………情報が正しければ、私は二位だということになる。
遠巻きにされていたのはそのせいでは? と、ゆかりは推測していた。
「もう二週間よ、早く話し掛けなさい! 話し掛けてさっさと御近づきになってしまうのよ!!」
「……なんで、ゆかりがそんなに必死なのよ……」
ちょっと親友の迫力にドン引きである。
「『医科』で成績トップのイケメン!! 弥生くんはあんたが思っているよりも、普通科の女子が狙っているのよ! というか、ことはが気になってなかったら、アタシも狙ってるわ~!!」
「いや、別に私は異性として気になっているとか、そんなんじゃなくて……」
ゆかり、狙ってたのね。
だったら、お願いするからあなたが話し掛けてよ……そうしたら御近づきとやらは、ゆかりのものよ?
恋愛をするのは自由だ。
しかし、他人を自分の恋愛観に当てはめるのは良くない。
何故こんなことになるのか。
話を辿ると、入学式の日の帰り。
私は春休みの早朝にあった事を、ゆかりに詳しく話したのだ。
ゆかりは私が『黒い靄』が見えることも知っているし、他にもそれが見える人間がいないか、二人で探したこともある。
だから、もし弥生くんが見えているのなら、今後何かと相談できるのではないかということだ。
しかし、いきなり何でもない時に『見えるの?』とは聞けない。つくづく、あの日に話し掛ければ良かったと思う。
だから最初は友達になろう! という作戦だ。
………………もちろん、ゆかりの案である。
「『普通科』の生徒が彼においそれと話し掛けられると思う……?」
「…………私のことダシに使うのね」
「だぁ~ってぇ~~」
そんなやり取りを楽しみながら歩き、あっという間に学校へ着く。
確か、今日は『普通科』と共通の選択科目があって、ゆかりと一緒の教室に移動する日だ。
私のクラスの前でゆかりは一度別れることになる。
「じゃあ、ことは。二時限目終わったら迎えに来るから!」
「うん、ありがとう」
「あとでね~!!」
クルリッとリズムよく方向を変え、ゆかりが手を振りながら歩いていく。
「………………え?」
――――何で!! さっきまではなかった!?
ゆかりの後ろ姿。
首のすぐ後ろ。
貼り付くアメーバのように…………
片手ほどの“黒い靄”が揺れていた。
嘘だっ……!! 何でゆかりに……!?
二時限目まで、私の頭の中はゆかりに付いていた“靄”のことばかりだった。
もちろん、隣の弥生くんのことなど忘れている。
キーンコーン……
二時限目終了のチャイムが鳴った。
ゆかりがこの教室まで来る。
気のせい! きっと朝のは私の見間違い!!
凄く小さかったし!!
淡い期待を込めて廊下に出ると…………
「あ、ことはー! 出てくるの早いねー!」
「……………………」
期待は粉々に打ち砕かれた。
黒い靄が、ゆかりの頭のてっぺんで揺れている。
「……ゆ、ゆかり、早めに……行こうか?」
「そうだね。早く行って席取っちゃお!」
「そうね、早くいこう! き、教室……どこだっけ!」
「三階だけど……どうしたの? ずいぶん急いで……」
「いいのいいの! 早く、混む前に!」
私は本人に靄の存在を気付かれないように努めようとする。早く行って教室で大人しく座ってしまおうと考えた。
どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう、どうしよう………………
無事に教室移動はできた。でも、ここからは?
最早、授業中も集中などできない。隣に座るゆかりをチラチラと見ているが、頭のてっぺんの靄は消える気配がない。
キーンコーン……
とうとう三時限目の終わりだ。
授業中は何もなかったけど…………
皆が教室を出ていく。
でも私はなかなか席から動けずにいた。
「ん~、終わったねぇ! 行こ、ことは!」
「…………え、う、うん」
「……? ことは? まさか、具合い悪い?」
「ううん、大丈夫……」
私も動揺し過ぎ…………
とりあえず教室に戻ろう。
もしかしたら、気を付けなければならないのは、学校の外かも知れない…………そう、思い始めてきた。
「……でね、そこの店のチーズケーキが美味しいんだって。今度、二人で食べに行ってみよーよ!」
「うん、そ……そうね」
他愛もない会話をしながら、三階から一年の教室のある二階へ階段を下りていく。
ポーンポーン……
ゆかりは片手でペンケースを放り投げながら、高校の近くにあるというカフェの話に夢中だ。やはり頭の上ではこぶし大の靄が揺れていて…………
…………こんな所でどう死ぬ目に会うのよ?
だんだん、私も冷静になっていく。
こんな平和に過ぎる時間のどこに…………
ポーンポーン……ポーン、ガチャ!
「あ!」
ゆかりがペンケースを受け取り損ねて手で弾いてしまった。
階段を転がりながら、ペンケースが落ちていく様がスローモーションのように私の目に映る。
コロコロ、コロコロ…………
「ヤバッ、待て!」
「っ!? ゆかり!!」
“ゆかりが落ちる”
咄嗟にそう思った。
コロン…………
しかし、ペンケースは無事に二階の床へ転がり、ゆかりもあと五段ほどでそこへ着く。
きっと、落ちたところでたいした事にはならないだろう。
…………大丈夫、なの?
ため息が自然と口から洩れた。その時、
「……これ、君の?」
え?
それは何でもない光景。
階段の下でペンケースを拾い上げて、ゆかりに手渡す弥生くんの姿。
その光景が特別な何かのように目に飛び込んできた。