第三話 高校の入学式
――――四月。新学期だ。
私は今日から高校生になる。
真新しいライトグレーのブレザーの制服は生地が硬く、まだ体に馴染みがない。それでも純粋な繊維の香りがいい。
お手伝いさんに見送られ、自宅の玄関から石畳の庭を抜ける。木製の門扉を開けると、よく知った人物と目があった。
同じデザインのブレザーだが、こちらは色が紺色だ。
「おはよー! ことは!」
「おはよう、ゆかり」
小学生からの友人の【平安 紫】が明るい声で駆け寄ってくる。
「さすがのゆかりも、今日は寝坊しなかったのねぇ……えらいえらい」
「もう、今日は入学式よ! しかも午後からなのに寝坊はないでしょうよ。でも、相変わらずお嬢様ですなぁ…………琴葉さん」
「やめてくださる、ゆかりさん」
「んふ、ぷぷ……あはははっ!」
「ふふふ……」
新学期でテンションが上がっているのか、二人で吹き出して笑い転げながら一緒に歩きだした。
ゆかりは私の数少ない友人だ。親友といってもいい。
この春から同じ高校に通うことになった。しかし、科が違うので、朝の登校時間や昼休みくらいしか会えないかもしれない。
そのことが受験する直前に発覚し、たいそうガッカリされた。
『……あたしは普通科だけど、ことはは“医療系進学科”だったよね? 女医さんにでもなるの?』
『別に…………知っていると思うけど、うちの親が医療器機の会社を営んでいるからね。医学を覚えておくのに越したことはないからって……』
『……社長業も大変ねぇ……』
ゆかりはしみじみと頷いていたものだ。
会社は兄が継げばいい。しかし両親はどことなくボーッとしている私を心配している。
私もゆかりと同じ普通科が良かったのだが、中学の時の担任と両親が『医療系進学科』……『医科』を勧めてきたので私には拒めなかった。
『仕方ないね! お互い頑張ろう!』
暗い顔で俯く私に、ゆかりは笑って背中をバンバン叩いてきたのがつい三ヶ月前。
彼女は私の家庭のこと、そして私に『それ』が見えることも知ったうえで、友達を続けてくれる。
私にはこれ以上ない、できた友人なのだ。
一応同じ学校ではあるし、登下校はできるだけ一緒に行こうと約束したのが現在。
「ことは、頭良いもんねー! どうせトップで入学で、今日は新入生代表の挨拶もしちゃうんでしょ!!」
「え? うーん……残念ながら、お声は掛からなかったからトップではないみたい……」
「え――――!? ことはが一位じゃない!? 中学では万年一位!! 模試でもけっこうな成績だったじゃない!!」
…………この友人は私の実力を買い被っている節がある。いくら中学や塾での成績が良くても、更に頭の良い人間が集まる場所では、私はきっと一番にはなれないだろう。
「誰だろう。たぶんことはの科の人だと、あたしはにらんでいる。だから、ことは! 頑張って友達に引き込んでくるのよ!! 持つべきものは頭の良い友達よ!!」
毎年夏休みの宿題やテスト前に泣きついてくる彼女にとっては、勉強ができる友達を捕まえておくことはとても重要らしい。
「さぁ、どうだろうねぇ…………でも、『医科』に入ってくる人はそんなに遊んだりしなさそうだなぁ。医大とか目指したりするみたいだし、普通科ほどクラスメートで交流するかも怪しいものよねぇ……」
完全に一年生から大学受験を見据えている。それが『医科』だという噂を進路を決める時に聞いた。
そこで、何故かゆかりは困ったような顔をする。
「う~ん、余裕無いわぁ…………きっと男子はガリ勉の不細工野郎しかいないかもね……」
「失礼だし。でも…………何で男子? 女の子の友達じゃなく?」
「今のうちに、エリート彼氏を見付ける!」
「……そう……頑張ってね」
彼女はさっそく、高校での目標を決めたようだ。
学校に着くとすぐに科ごとにまとめられ、私はゆかりと別れて指定された場所で待機を始めた。
この周りの子が、同じクラスか……。
最初は出席番号順で、背の低い私は彼らに埋もれ全く周りを見ることができない。
さ……寒いっ!
春とはいえ、入場した体育館内はうすら寒い。私は手を握り背中を丸めてしまう。
やっと落ち着いたのは、体育館でパイプ椅子に座ってからだった。何故か、座る椅子は出席番号とは別に指定され、私はステージの目の前の席になった。
横に四席、縦に七席。自分は最前列の端から二番目である。
どうやら『医科』の生徒は私の周り三十人弱のようだ。
よく見ると、私の隣の角の席が空いている。
…………欠席だろうか?
何となく気になって見ているうちに入学式が始まった。
しん……と静まり返った中、どこでも同じような司会進行、同じような挨拶が流れていく。
生徒会長の挨拶、そして次に新入生の挨拶になる。
『新入生代表挨拶……』
「はい」
はっきりした返事に、ぼぅっとしていた私は我に返った。
……新入生か……。
どうやら、その子は椅子に座っていたのではなく、生徒会の中に並ばされていたようだ。壁際から一人の生徒が壇上へ上がっていく。
制服の色がライトグレーだから、『医科』の生徒だ。
………………あれ?
気付いた瞬間、私は立ち上がりかけた。
正確には飛び上がりそうになったともいう。
――――…………あの子!?
今日は制服だが、あの日は上下揃いのジャージ姿だった。
“黒い靄”を頭に付けた人へまっすぐ走っていった男の子。
こんな偶然があるものか。
…………いやいや、気のせいかも!?
あれから何日も経っている。
そんな一度見掛けただけの子を完璧に覚えているか、自分には自信がない……自信がないのだが…………。
挨拶が終わり、その子がまっすぐこちらへ歩いてきて、嫌でも顔がはっきりと見えてくる。
トサッ……。
私の隣、空席だったハイプ椅子にその子が腰掛けた。
「………………」
静かな横顔に思わず見入ってしまう。
なかなか整った真面目そうな顔立ち。そういえば、あの日のあの子もイケメンだったなぁと思い返す。
…………いやいや、気のせい、気のせい……
そう思いながらも彼の共通点を探そうと、私は思わずじっと見つめてしまった。
「………………何?」
こちらに視線を向けて怪訝そうにする学年トップ。
「……へ? あ、別に……」
「………………」
フイッと、すぐに舞台の方へ向き直る。
……………………あ……!!
その時、科学的根拠もないのに、私は確信するのだ。
あの日、携帯電話をいじる横顔とまったく同じだということを。
入学式終了後。
クラスに戻った私の席の隣には…………
【弥生 誠一】
その名で返事をする彼が座っていた。