第十七話 エピローグ 夜明け前
明乃さんの黒い靄を払ってから一週間後。
放課後になり、私はゆかりと並んで歩いていた。
「……そういえば、何で『花』を飾って助けられたの?」
ゆかりの大きな目が、じっと私を見詰めている。
「うん、花っていうのは見ていて和んだり、お墓に手向けとしたりするでしょう?」
「うんうん」
「だから分かりやすくいうと『癒し』のアイテムなんだと思う。本来なら、病人にとっては心を癒すもの。もちろん、明乃さんを守っていた人にもね」
「じゃあ、飾っても良かったんじゃないの?」
「それが、ダメだったの」
「何で?」
「気が緩んじゃうから」
つまり、あの白衣の男性は必死に明乃さんを守ろうとしていた。黒い靄を自分に引き寄せてまで、明乃さんを死から遠ざけて……。
そこへ少しでも『癒し』が入ってしまったら、黒い靄は一斉に襲いかかる。
『ハルジオン』で少し気を抜いたらアレなんだもの。『シオン』だったらどうなったのか。
それくらい、明乃さんは危なかったのだろう。
…………と、これが私の推測。真相はあの白衣の男性に聞かなければ分からない。
でも……あれ以来、他でも全然視えない。
「……視えない方が平和だってことよね」
私に視えるということは、助けを求めるくらいピンチだということだもの。
「大変だったねぇ。でも、良かったじゃない」
「うん、明乃さんの靄が消えたもの」
「違う違う。ことはの方よ」
「え?」
ゆかりがにっこりと笑う。
「次に黒い靄が視えても、怖がるだけじゃないってこと! 対処が分かればこっちのもんよ! ね?」
「…………うん!」
じんわりと胸が暖かくなった。
「あ! いたいた、弥生くーん!」
「ごめん、待った?」
「少しだけ。大丈夫」
ここは喫茶店の前。
今日は延期されていた、ゆかり発案の『みんなでチーズケーキを食べよう!』の会の会場。
席に座って、各々メニューを眺めた。
値段はかなりリーズナブル。一つ二百円以下のものもある。
………………でも、
「…………私、普通のプレーンでいい」
「え!? こんなに種類あるのに!?」
チーズケーキが売りというせいなのか異様に種類が多い。
ざっと数えてみたら、期間限定も入れて二十種類以上はあるので、どれを選んで良いのか分からなくなってくる。
このそんなに大きくない喫茶店で、この豊富なラインナップは…………一体、何を目指しているのかな?
「あー、あたしは迷うわぁ! ブルーベリーもいいし、紅茶味や抹茶も……ああ! ベイクドかレアかでも迷うー!!」
…………真剣、ゆかりが授業よりも真剣。
「弥生くんは?」
「………………………………………………」
隣の弥生くんは、ゆかり以上に真剣だった。眉間に拳を当てて苦悶の表情を浮かべている。
うん…………実は何となく思っていたことがあるの。
弥生くん、もしかしてかなりの『甘党』ではないか? ……と。
お昼も甘い野菜ジュース飲んでいたり、この間はここでミルクセーキ飲んでいたりしたもの。
禍々しいほどに真剣なオーラに挟まれながら、私は一緒に頼むコーヒーの種類を選んでいた。
すると、水を置きに来たウェイターのおじさんが、私たちの様子を見て苦笑して言う。
「良かったら、ケーキをそれぞれ三等分にして盛り合わせてあげようか? 一人二つ以上頼んでくれたら、作ってあげるよ?」
「「っ!?」」
弥生くんとゆかりが同時に顔を上げる。
「「お願いします」」
………………ハモった。
どうやら店のマスターのようで、なかなかの商売上手だ。
おかげで私はプレーンの他に、ピスタチオのチーズケーキも頼むことになった。
ケーキや飲み物が運ばれてきて、それからは三人でケーキを堪能しつつおしゃべりをする。
「おばあちゃん、集中治療室を出てからは調子も良くて、もう外で散歩もできるようになったよ」
「……へぇ、じゃあそろそろ、私たちのお見舞いも大丈夫そうだね?」
「うん、だいぶ落ち着いた。元気になってきたし」
「なら、来週にでもお邪魔しようかな?」
「あたしも行っていーい?」
「いいよ」
何だか、久しぶりにゆっくりできた感じがした。
明乃さんに会えるのが楽しみ。
……………………
………………
翌朝……と言っても、まだ暗い。
もう少しで朝日が昇るという早朝。
「ワフッ!」
「しー…………」
久しぶりに朝の散歩に連れ出した、飼い犬の『ポジ』が嬉しそうに鳴く。ポジを抱いてブランコに座って日の出を待つことにした。
――――春はあけぼの。
もう少ししたら初夏。
でも深く息を吸うと、少し冷えた空気が体に入ってくる。
誰もいない公園。
私がものすごく早く起きるのは、誰もいないこの朝が好きだったから。誰にも会いたくなかったから。うっかり黒い靄が視えるのが嫌だった。
そういえば……弥生くんを最初に見掛けたのは、この公園だったなぁ。
「…………柏木?」
「へ?」
不意に声を掛けられ驚いて振り向くと、ジャージ姿の弥生くんが立っていた。
「おはよう。早いね」
「お、おはよう。弥生くんも早いね」
よいしょ……という感じで、隣のブランコに弥生くんが腰掛ける。
「うん、まぁ、週に一日だけ。一人暮らしでだらけないように、近所をランニングしろって親に言われてて……」
「ふふ、そうなんだ」
「えっ…………」
思わず笑ってしまった。
すると、弥生くんが少し驚いて私を見てくる。
「どうかした?」
「いや……その、柏木ってあんまり表情変わらないと思っていたから…………笑うんだなぁ……って」
意外なことを言われた。
弥生くんだって入学当初は、かなり無表情だったと思ったけど?
「私、そんなに無表情なの?」
「う~ん……無表情というか、頑なというか。入学してから笑ったところは見たことなかった」
「そう……」
何となく分かる。
たぶん、今までの私は余裕が無かったんだ。
「じゃあ、これから笑うことも多いかも……」
「そっか、それは良いことだね」
「うん。そうだね」
後ろの道路をガチャガチャと音を立てて、牛乳の配達の自転車が走っていった。
東の空がだいぶ白くなってくる。
春だけどかなり肌寒い。
「夜明け前が、私は一番好きなんだ」
「でも、一番寒いね」
「だからだよ」
「何で?」
「あとは暖かくなるだけでしょ?」
寒い冬を乗り越えて春が来る。
それが一日で繰り返されるような。
空が藍色から青へ変わっていく、今日は天気が良さそう。
「さて、と……そろそろ戻らないと……」
「うん。私も帰ろうかな」
「ワフッ!」
二人で立ち上がり、公園の入り口まで歩く。
「あ、そうだ。ねぇ、柏木」
「何?」
「あの……おばあちゃんの黒い靄を払った人、僕のおじいちゃんだと思う。だいぶ前に亡くなっているから、僕は会ったことないけど……」
「実は……ちょっとそう思ってた……」
たっくんが、たくみちゃんを守っていたからね。
顔を見合わせて軽く笑う。
「なかなか言う機会が無くて……」
「そっちもバタバタしていたもんね」
「今さらだけど……おばあちゃんのこと、ありがとう」
改まって、弥生くんは深々と頭を下げた。
その姿はあの白衣の男性と似ている。
「私こそ、ありがとう。弥生くんのおかげで、ずっと怖かったものが無くなった」
まるで夜が明けたように。
「じゃあ、また。学校でね」
「あぁ。また……」
道路をそれぞれ逆方向へ歩き出す。
すぐにまた、学校が始まる。
「んー、気持ちいいー!」
目一杯、息を吸って空を仰ぐ。
眼前の朝陽が射す道を、私は家まで一気に走り抜けた。
了。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
これにて本編は終了です。
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