第十五話 『眼』黄昏前に映るもの
パパパァ――――――ッ!!
トラックのクラクションが響き…………
「――――――柏木っ!!」
誰かの声。
キキキキキキィッ!!
女の子を腕に抱えた私の目の前を、ブレーキを掛けながら数メートル進んで停まる。
――――――私、助かった……?
道路へ倒れる女の子の腕を引っ張った時、私も一緒に道路へ飛び出したはずなのに…………前のめりに倒れたはずなのに、今の私は女の子と一緒にやや上向きにしりもちをついている。
倒れているのに痛くない。
「う………」
「へ……?」
すぐ耳元でうめき声がする。
そろりと後ろを向くと…………
「弥生くん……?」
何故か制服姿の弥生くんが、私と女の子を抱えて下敷きになっている。
「ごめ……どいて…………」
「えっ!? あ!! ご、ごめん!!」
私は慌てて弥生くんから退けた。
「弥生くん? 何で…………」
「いや、たまたま……痛…………」
「だ、大丈夫?」
すっかり弥生くんを下敷きにしてしまったので、私は平気なのだけど…………
そこで思い出してハッと振り向く。助けた女の子はカタカタと小刻みに震えて固まっていた。
「ごめんね、怖かったよね?」
「だい、じょうぶ……」
声は完全に震えている。それでも彼女なりに気持ちを整えようと、必死に感情を抑えているのが分かる。
頭を撫でて抱き締めると、女の子はポロポロと静かに泣く。やはり怖かったのだ。もう少し穏やかに助けてあげられれば良かったと、私は悔しい気持ちになってくる。
気付けば私たちの周りには、歩いていた人や周囲の店から出てきた人が何事かと集まってきていた。ぶつかりそうになったトラックの運転手もこちらへきて、私たちに怪我がないか確認しにきてくれている。
「すみません、ちょっと……失礼します!」
そのうち、人を掻き分けるように一人の女性が近づいてきた。
「たくみ! たくみ!」
「ママっ!!」
たぶん、今の光景を見ていた知り合いか何かに連れてこられたのだと思う。現れた女性の姿に、女の子はもっと涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら飛び付いていく。
……良かった、お母さんか。
無事に引き渡せたことにホッとして、体の力が抜けそうになったけど、女の子の後ろ姿を見て再び気を引き締める。
頭のてっぺん。ゆらゆらと揺らぐ黒い靄が消えていく。
「…………あ」
黒い靄が消えた直後、私の『確認したかったもの』がハッキリと見えて、それも薄くなって見えなくなる。
あぁ、そうか。これが私の“暗闇の眼”なんだ。
「柏木……? 大丈夫?」
立ち尽くす私を心配して弥生くんが声を掛けてくれているが、自分でも驚くほど冷静で平気だ。
「大丈夫。やっと、私の眼の正体が判明したところ」
「……そう」
弥生くんはそれ以上聞かない。
黙って私の隣に立っている。
やがて、女の子の母親が私たちへ近付いてきて、深々と頭を下げてきた。お礼をしたいから名前を……と、私の顔を見詰めてきた彼女は、何故か驚いたように目を見開いた。
「え……? もしかして、ことはちゃん? あなた、柏木琴葉さんよね?」
「は、はい……そうですけど……」
私のことを知っている……つまり、いや、やっぱりこの女の子は……。そう考えていると、女性はとても嬉しそうに私の手を握った。
「あぁ、大きくなって……おばさんのこと覚えてないかしら? 幼稚園の時に、いつも息子の『たくや』と遊んでくれていたの……」
「…………『たっくん』……」
そうだ。この人、たっくんのおばちゃんだ!
そう、やはりこの女の子は…………
「この子、たくやの妹なの。ほら、たくみ。お姉さんとお兄さんにお礼言って……」
「おねえちゃん、おにいちゃん、ありがとう」
「うん…………」
何だか、胸に何か詰まったみたいに上手く声が出なかった。
おばちゃんは何度も頭を下げながら、たくみちゃんの手を引いて歩いていった。
私も弥生くんもお礼は辞退させてもらい、トラックの運転手さんにも私たちは無事であるから大丈夫だと伝えた。
目立つのも嫌だったし、たくみちゃんが無事だったらそれでいい。
それに、私には大きな収穫があったのだから。
騒ぎが収まった頃合いを見て、私は一度、自宅へ戻ることにした。弥生くんも家まで付き添ってくれるという。
道すがら、助けてもらった経緯を聞いてみた。
「でも……弥生くん、何であの場にいたの?」
「あぁ、あれは…………」
弥生くんはいつもあの商店街近くを通ってから、バスに乗って病院へ行くらしい。
今日もバスに乗る前に近くを通り掛かったら、向かいの道路に私を見付けた。
すると、その前にあの女の子がいて、背後に黒い靄が見えてたから急いで道路を渡ってきたところへトラックが…………
「普段はこっちまで来ないし……今回は“暗闇の眼”を使う暇もなく焦ったよ」
ほとんど無我夢中で、私に追い付き後ろへ引っ張った。
「こんなに切羽詰まった状況はそうそうない。初めてなのに、随分無茶なこと――――――」
ため息をつきながらこちらを向いた弥生くんは、何故かギョッとした表情をして言葉を詰まらせた。
そして、深刻な様子で私にハンカチを差し出してくる。
「えっと……?」
「…………大丈夫? 我慢してると辛いよ?」
「何が…………」
そこまで言って、私は自分の顔がぐっしょりと濡れていることに気付く。何の抵抗もなく、目から涙が止まらない。
「その……これは…………」
自分が泣いていると解った途端、膝が震えて動けなくなった。
「なん…………私、なん、で……ぇっ……えっ……」
小さな子供みたいにしゃっくりも出て、自分ではどうしようもなくなってしまう。弥生くんのハンカチで目を覆ったけど、まだまだ止まる気配はなかった。
………………何で、急に。
家まであと少しの所で、私は完全に停止して号泣している。
何で自分は泣いているのだろう?
悲しいことはなかったはずだ。
今日は誰も見殺しにはしなかった。
だったらこれは嬉し涙なのか?
それとも『たっくん』に妹がいたことに驚いた?
とりあえず、弥生くんに泣き顔を見られているのは恥ずかし…………
「怖かったよね?」
「へぅ……?」
ハンカチで眼を塞いでいるので弥生くんの顔は見えなかったけど、落ち着いた優しい声が聞こえる。
「おばあちゃんが言ってた。『誰かの命に関わるのは怖いこと』なんだって」
「……………………」
「『死が視えるから命も視える。私たちは普通の人よりずっと、命に向かい合うから怖い』……って」
「……………………」
「僕も最初は泣くのが止まらなかった。でも今、泣けるなら我慢しないで泣いておいた方がいいよ」
「……………………」
「たぶん、怖くて泣くのは最初だけ。次からは怖くても泣けない。助けることに必死になるから」
「……………………」
「おめでとう。その眼は今日、人の命を救った」
「……………………………………う゛ん゛」
色々とぐしゃぐしゃにしながら、私はしばらく立ち尽くして泣いた。
……………………
…………
数十分後。
自宅に着いて学校の制服に着替える。
学生にとって、改まった場所へ行くなら制服だと思う。
涙ですっかり赤くなって腫れぼったくなった顔は、少し冷して洗顔をしてから薄く化粧をして誤魔化す。
弥生くんには中庭に面した縁側で、お手伝いさんにお茶とお菓子を出してもらい待っていてもらった。
…………変に思われてたらどうしよう。
夕方から仕事に入るはずのお手伝いさんが早めに来ており、弥生くんとただ事ならぬ私の顔を見て、とても驚いた様子だったからだ。
お母さんに報告されるだろうから、後でそれらしく説明しておかないと…………弥生くんがめんどくさいことになる。
あと、ハンカチは洗濯して返そう。
大きく深呼吸をして、弥生くんのいる庭へ向かった。
「ごめんね、今これ切ったら出発するから……」
「これ……」
「そう。『ハルジオン』の花。うちの庭にも咲いていたの」
春にはよく見掛ける花。
剪定ばさみを手にキレイな茎を切っていく。
「まだ、弥生くんの眼には『シオン』の花は見える?」
「うん。だからこの花は…………」
「なら、大丈夫」
この間捨てた束より多めの花束を作る。
「これで、明乃さんを助けよう。私には視えたから」
「柏木の眼って…………」
「行こう。早くしないと日が暮れる」
弥生くんを促してバス停へ向かう。
運良くすぐに発車するバスがあって、二人でそれに乗り込んだ。
「「……………………」」
バスの中では終始無言。
病院までの道程が遠い気がする。
病院に着いて、明乃さんがいる集中治療室の前に来た。
部屋の中には弥生くんのお母さんがいて、ベッドの側で椅子に座っている。ちょうど廊下に背を向けていて、私たちには気付いていない。
私たちは廊下からそっと室内を覗く。
「弥生くん、見える?」
「……見える」
大きなガラス越しに、管や点滴に繋がれた明乃さんが眠っているのが見える。
そして、眠るその体の周りを漂う“黒い靄”も。
「……いつもと同じ。やっぱり今も、おばあちゃんに憑いて…………」
「ううん、違うよ。今日はいない」
「え?」
弥生くんには、死の現場のほかには黒い靄だけが視える。
でも、私の眼には他にも視えるものがあるのだ。
「弥生くん、明乃さんが使っていた病室って……」
「まだ、取っててもらってる。入院も長いから、荷物もあるし……」
「じゃあ、そっちに行こう」
「病室に?」
それが私にできる事。
「明乃さんを助ける前に、助けなきゃいけない人がいる」
「え?」
明乃さんを助けるのは私たちじゃない。
――――『あの人』が彼女の命を握っている。