第十二話 『花』逢魔が時に
少年老いやすく…………ではないけど、午前中の授業はあっという間に終わり昼休みになった。
前に三人でお昼を一緒にした場所に久々に来た。ここは相変わらずひと気もなく、弥生くんと話をするのにはうってつけだ。
「……何か、ごめんね」
「いや、別に構わないけど……」
「さぁああ~、二人とも!! そろそろ年貢を納めてもらうわよ!!」
年貢って…………
観念しろ、と言いたいのだろうが、私は別に逃げも隠れも言い訳もしていない。というか、きっと彼女が期待しているような返答はできないと、やや申し訳ない気分にさえなってくる。
そんな私の微妙な反応を読み取ったのか、彼女は「ま、お弁当でも食べながら……」と急にトーンダウンした。
ゆかりは仕切り直すように一口お茶を飲むと、ニコニコとお弁当の蓋を開けながら私たちに迫ってきていた。
「それで? 二人きりでランチしていたの?」
「え~と…………」
これは最初に明乃さんのことから話さねばいけない。
「うちのお兄ちゃんが入院したのは教えたよね?」
「聞いたよ。足の怪我でしょ」
「その……お兄ちゃんのお見舞いの後で、病院を歩いていたら…………」
「偶然だったんだよ」
そこで弥生くんが割って入る。
「偶々、同じ病院に僕の祖母が入院していたんだよ。散歩していた中庭で合った。学校ではなかなか“暗闇の眼”のことを話せないし、柏木さんに協力もしてもらいたかったから…………」
「え? 弥生くん?」
「協力って何?」
弥生くんは大まかにではあるけれど、ゆかりに明乃さんの事情と、私へ持ちかけた内容をゆっくりと話す。この話には、ゆかりも口を挟まずコクコクとうなずきながら聞いている。
正直驚いた。
まさか、弥生くんがゆかりとはいえ、私以外に本当の内容を話すとは思わなかったからだ。
…………私だけじゃ、頼りない?
そう思ったら、何となく胸にもやっと重いものがのし掛かった気がする。
まぁ、ゆかりは私としょっちゅういるし、事情を知っていてもおかしくはないんだよね? だから、いいんだ。
まるで自分に言い聞かせるように思ってしまった。でもやはり、ゆかりは私たちのことをちゃんと解ってくれる子だ。
「よし! アタシも一枚脱いであげる!!」
「一枚じゃなく、一肌……ね?」
「そのためには、一緒にチーズケーキ食べにいくよ!!」
「「へ…………?」」
ゆかりの勢いに、私と弥生くんは同時にポカンとした。
そこから都合もあり、ゆかりも連れて病院に向かえたのは三日後のことだった。
本当はすぐに行こうかと思ったけど、明乃さんの体調を考えて日にちを置いたのだ。
「じゃあ、また病院でね」
「うん、また……」
弥生くんは少しだけ、通っている予備校にプリントを貰いに行かなければならないというので、私は教室で彼と別れてゆかりを迎えに行く。
「ゆかりー、行こう」
「あ、うん、今行くー!」
最初に私とゆかりはお兄ちゃんのお見舞いに行き、後で弥生くんと合流して明乃さんに会いに行くという流れになった。
まずは、お兄ちゃんにリクエストされていた、クロスワードパズルの雑誌でも買っていこうかな?
ゆかりに頼んで本屋に寄ってもらおう。
「そういえば、ことはは部活入らないの? 来月には決めろって言われていたと思うけど」
「『医科』は部活は入らなくてもいいらしいのよ。私は堂々と帰宅部にしようと思ったけど……」
中学では必ず部活動に入れられたけど、ここの高校では『普通科』は部活動が必須で、とことん勉強に傾倒している『医科』は免除されている。
「え~? せめて部活は一緒にはいろーよ。そしたら帰りも、一緒に帰れるかもしれないじゃない!」
「でも、特にやりたいものも無いしなぁ……」
「運動部以外ならいいでしょ? 見学くらいは行こうよ!」
「まぁ……良いけど」
「決まり、来週は色々見に行こう!」
そんな、何でもない話題をして本屋に寄ってから、病院まで歩いて向かう。バスに乗ってもいいんだけど、あまり本数もないし近いからね。
バス停を通り過ぎると、ゆかりが顔を覗き込むように半歩前に進む。
「……でも、ことはも前より外を歩くようになったよね。昔は家から出ないか、すぐに乗り物に乗って下を向いてたもの」
「私もだいぶ、大人になったってこと。もう大丈夫だよ」
小学生の頃はゆかりと遊ぶにしても、どちらかの家に行くことが多く、公園などの人の多い場所には近寄らなかった。
ゆかりもそれを解ってくれて、なるべく移動しなくてもいいようにしてくれた。
「ことはのお家はおやつが豪華なんだよねぇ。おばさんもお手伝いさんもお菓子作りのスキルが高い高い……」
「こいつめ、それが狙いだったか」
「ふふふふ~」
わざとらしく笑うゆかりを眺めて、私はいつもちょっと和んでしまう。
私はこの笑顔にどれくらい救われただろう。
彼女と友達になって本当に良かった。
二人でじゃれ合いながら歩いて病院が見えて来る頃、西の空が薄く夕方の色を連れてきている。
面会は早めに行かなければいけない。
うちのお兄ちゃんに雑誌を置いて、ちょっと雑談をしていれば弥生くんも追い付いてくると思う。
「ことは、ゆかりちゃん、いらっしゃい!」
「やっほーぃ! みつる兄ぃ、両足以外は元気?」
「あはははっ、元気だよ」
ゆかりとお兄ちゃんも昔から面識はあり、私と仲良くしてくれる彼女のことを兄も可愛がっている。
ちなみに兄の名は『実弦』という。
「みつる兄のために、雑誌いっぱい持ってきたよ」
「お、ありがとう~。ことはもゆかりちゃんも、棚の中にお菓子たくさんあるから、好きなだけ持っていきな」
「うわ、どうしたの? このお菓子の量……」
どうやらこの三日の間に、お兄ちゃんの友達たちが次々にお見舞いで持ってきてくれたようだ。足の骨折だけで食事制限とかがないので、色々な種類が集まってしまったらしい。
「こんなに食べたら、リハビリ前に太って動けなくなるよ」
「退院したらお礼しなきゃね」
「まぁね。早く出たいよ」
なんだかんだで他人に愛されている兄。
兄妹なのに取り巻く世界が違うようで、たまにどうしようもなく羨ましく思える時がある。
私に“暗闇の眼”が無かったら、お兄ちゃんみたいになれたのかなぁ……?
ふと、そう思っていた…………その時、
「よし! 分かった、お兄ちゃんも男だ! ことはちゃん!」
「何?」
「今度、その弥生くんをここへ連れてきなさい……!!」
「は?」
急に真顔で兄が振ってきた。
「ちょっと、何言ってるのか分からないよ!? ゆかり、何!? 何かお兄ちゃんに言ったの!?」
「え? 別にー? このあと一緒にチーズケーキ食べに行くって、みつる兄に教えただけだよ?」
人がボーッとしている間に何を話しているの!?
「うっうっうっ…………とうとう、かわいい妹に彼氏が…………!!」
「違うから、弥生くんは違うから!」
妹のことはいいから、自分の方こそ彼女でも作ってほしい。
…………と、まぁ、私とゆかりは一時間ほど、お兄ちゃんと楽しく過ごした。このあと、弥生くんとの待ち合わせもあるし、うちの母親もくるというので、お兄ちゃんに挨拶をして病室を出ることにする。
「みつる兄、元気そうで良かったよ。それにしても、お菓子いっぱい貰ったねぇ」
「弥生くんにもあげようか」
「でも、弥生くん、お菓子食べるかな?」
「どうかな? 甘いのとか……」
そういえば、弥生くんってチーズケーキ食べられるかな?
男の子ってあんまり、甘いお菓子好きじゃないかもしれないし……誘って良かっただろうか?
エレベーターに乗って明乃さんの病室の階まで向かうと、ナースステーションの前に弥生くんが立っていた。
「あ……」
「今、来たの?」
弥生くんは手に花束を持っている。可愛らしいピンクのチューリップの花が淡い色の薄葉紙から覗いていた。
「ゼミの先生に捕まって、ちょっと遅くなった。早く行かないと、面会時間あんまり無いね」
時計を見ながら面会の紙に名前を書いていく。
「明乃さん、今日は大丈夫そう?」
「うん、朝に電話で話した時は熱もないからって、調子良さそうだった」
弥生くんの声が心なしか明るい。
「弥生くん、お花持ってきたんだねぇ?」
「かわいいチューリップだね」
「うん、別の患者さんにお裾分けして貰った、白い花と一緒に生けたいから、明るめの色の花をお願いって……」
『花』の単語が出る度に少々ドキリとする。
でも、問題のシオンの花でなければ大丈夫みたいだし、過剰反応も良くないのでちょっと深呼吸をして落ち着こう……。
明乃さんの病室が近付いた時、周りから何かの気配がして足が勝手に止まった。
「ん? どうしたの、ことは?」
「え……ううん、何でもない…………」
何だろう……何か、空気が重い気が…………
「っ…………おばあちゃん!?」
一足早く部屋へ入った弥生くんの声が響く。
「え? 何?」
「弥生くん?」
私とゆかりが部屋へ飛び込むと、ベッドの上では明乃さんが苦しそうに体を丸めて唸っていたのだ。
「明乃さん!? どうし…………」
言いかけて、私の視線は窓辺の花瓶へ釘付けになった。
「あ…………」
『花』、だ。
弥生くんは、秋に咲く花の『シオン』を警戒していた。
今は春。
花瓶には可愛らしく咲く白い花、
『ハルジオン』が飾られていた。