第十一話 週末ランチと週明けの朝
――――『花』。
この言葉を、その物を、存在を知らない者はいないと思う。
例え花を育てた経験がなくても、贈り贈られ、または何処かに飾られたものを見ることだってあるはずだ。
ゆらゆらと揺れる『黒いヒト』は私が正解を答えると、すぅっと明乃さんの肩に吸い込まれるように形を変えて見えなくなった。
いや、いなくなったのではなく、ちょっと隠れたといった方がよいかな?
「柏木さん? 何? 何かあった?」
「弥生くん…………あの、今……」
花……だけ分かっても…………。
弥生くんなら分かるかな?
私の母が見たものや今の出来事を言おうと思ったが、何となく眠っている明乃さんの横で話すのも憚られた。
明乃さんがこのまま起きないようなら、詳しい話をするために場所を移動することを提案してみる。
「あ、じゃあコレ花瓶に生けてしまうから……そこで待ってて」
「ごめんね。そうだ、良かったらお菓子……弥生くんも食べて」
「ありがとう。後でおばあちゃんといただくね」
弥生くんはそう言って備え付けの棚におかきの袋を仕舞い、持ってきた紫陽花の花をサイドテーブルへ置いて、白い大きな花瓶を持って一度病室を出る。
「花…………」
紫陽花の紫がかった青に、私はしばらく目が離せなかった。
念のため少し待ってみたけど、明乃さんが目を覚ます気配がなかったので、弥生くんが置き手紙を書いて二人で昨日の喫茶店へ向かう。
「昨日、夜に熱が出たらしくて……おばあちゃん、あんまり寝てなかったんだと思う……」
「そう……じゃあ、明乃さんに会うの二、三日遠慮した方がいいかな……?」
「おばあちゃんに? 何か聞きたいの?」
「あ、うん……まぁ……」
“暗闇の眼”についても聞きたいが、明乃さんと話していれば“黒いヒト”が側にいて、何かしらアクションをしてくるかもしれない。
あの黒いヒトは明乃さんの死神なのか……?
道中、他愛ない話をしているうちに、喫茶店に着いて古いベルのついた扉を開ける。
昨日はジャズが流れていた店内だったが、今は昼だということで、有線から流れるのは明るめのヒーリング音楽だ。
「弥生くん、お昼ゴハンは? 私はついでに食べていこうと思うのだけど……」
「そうだね、軽食もあるみたいだし。ここで済ませていこうかな」
今日はお兄ちゃんのお見舞いの帰りに、買い物でもしようと思っていたので家で私のお昼は無しにしてもらっていた。
それに弥生くんは独り暮らしだ。もうお昼だし、話ついでに済ませた方が楽だろうと思う。
昨日と同じ席が空いていたので、そこに陣取りランチセットを二つ頼んだ。チラッとデザートのチーズケーキが気になったが、一人で頼むわけにもいかないので、見なかったことにしてそっとメニューを閉じる。
ゆかりだったら遠慮無く食後に頼むだろうなぁ。
「ねぇ、弥生くん。お花……いつも持ってくるの?」
「え? あぁ、月に二、三回は。それが…………何か?」
『何か?』と言った時、弥生くんの表情が一瞬固くなった。
「あのね、うちの母親が兄のお見舞いで来た時に……」
私は母が昨日、私たちの他に『先生』らしき、白衣の人が一緒にいるのを見たという話と、“黒いヒト”が『花』と仕切りに伝えてきたことを教えた。
言い終わった時にちょうど、注文していたものが運ばれて来たので、食べながら考えることにする。
「……おばあちゃんの寿命をどうやって延ばしているか、まだ話してなかったよね?」
「そういえば、どうやっているの?」
クラブハウスサンドセットの中のポテトを、サワークリームに付けながら聞く。
「花」
「え?」
「花を『状況』からずらしている」
『状況』というのは、死ぬ場面を見ている弥生くんが、原因となっている人や物、行動を一致させないようにしていること。
ゆかりを救った時も、階段から落ちる原因になったペンケースを拾って渡して、彼女の死亡を回避させたのだ。
「おばあちゃんが亡くなった後の病室に、いつも決まって季節ごとの『花』が見える。その季節にその花を回避すると、次は別の季節の『花』に変わっているんだ」
「花だけで回避を?」
「うん……今のところ、見える中の状況で変えられるものがない。実際、その季節が終わるまでその花を回避していると、おばあちゃんの容態が良いんだ……」
「へぇ…………」
おかげで花に詳しくなったそうだ。
「……じゃあ、花って言っているのは何だと思う?」
「分からない……それに、言われた事が良いことなのか、悪いことなのか判断できないんじゃ……」
そう。問題は『花』だけじゃない。
“黒いヒト”が明乃さんに、どういうつもりで憑いているのかだ。
善であれば『花』を飾ってみればいい。
悪であれば『花』を飾ったら最後だ。
う~ん…………試しに飾ってみよう! などと、気軽に言える問題ならよかったのだけど…………
ふと、病室で見た紫陽花を思い出す。
「そういえば……今、飾らないようにしている花って何の花?」
「え? あぁ、それは…………えっと、これ」
弥生くんは携帯を取り出し、画面をこちらへ向ける。
青みがかった薄い紫。
細かい花弁の小さな花。
『紫苑』
秋の花だった。
………………
…………………………。
その後の話は特に進展もなく、ただランチを一緒にした感が拭えないけど、それなりに楽しかったかもしれない。
そのまま弥生くんと別れて、週明けの月曜日。
いつも通り平和な朝…………とはいかなかった。
「ゆかり、おはよ……」
「こぉぉぉとぉぉぉはぁぁぁちゃあ~~んっ!!」
家の門の前。六メートル道路の向かい側から、ゆかりが飛び付くように私へタックルを仕掛けてきた。
もちろん、弾き飛ばしたりせず、ガッチリと抱きついてきたのだけど…………
「…………どうしたの?」
「『どうしたの?』じゃ、ないわぁぁぁっ!!」
叫ぶなり「こうしてやるこうしてやるっ!!」と、人の顔に高速で頬擦りをしてくる。
怒っていると思うけど、なんだかやり場のない思いをぶつけてくるような感じ。
ちなみに、ゆかりは来るべき日に備え、スキンケアを毎日怠らないという。そのおかげで、スベスベでモチモチの頬が容赦なく、私の顔を襲ってくるのだ。
来るべき日が何かは、聞いたこともないけど。
「ゆかり、ゆかり。何か朝から暑苦しい」
「あー! もう、もう!! ズルいぞ、ことは!! 親友のアタシに言わないなんて!!」
今度は半泣きでスリスリしてくる。
「え……? 何が?」
「週末、弥生くんと二人きりでランチしてたでしょー!!」
「あ………………うん……」
学校に遅刻するわけにはいかないので、歩きながら話すことになった。学校まではすぐだから、何でゆかりが知っているか聞き出すことにする。
どうやら、ゆかりはお姉さんと買い物をしている時に、あの喫茶店の前を通りかかったようだ。
「ことはのバカバカー!! アタシも混ぜろー!!」
「店に入ってくれば良かったのに」
「できるわけないし。邪魔なんて…………」
上靴を出しながら、ぷぅ、とむくれた彼女は、一応私たちに気を遣ってくれていたらしい。お姉さんも一緒なら仕方ないか。
「お兄さんが入院したのは、教えてくれていたのに……まさか、弥生くんとデートなんて…………」
「えぇ? あれは違うよ。あれは…………」
そこでハッとする。
明乃さんのことを、ゆかりに言っていいのだろうか?
「あれはって?」
「その……私だけじゃ、ちょっと…………」
「…………うん、わかった」
ゆかりはトコトコと自分の教室の方へ向かう。
そして、急にくるりとこちらに華麗なターンで振り向くと、ビシィッと音が出そうな指差しをしてきた。
「昼!! 弥生くんを任意で引っ張ってきなさい!! 絶対自白させるわ!!」
「………………」
いい姿勢で教室に消えるゆかり。
何か、刑事ドラマの再放送でも見たのか。
ゴムの上靴からヒールの音が聞こえてきそうだった。