現代版妖童話 赤フードとおいぬさま
_____お気に入りの赤いパーカーを着て、お見舞いの帰り道、路地裏で見つけたのは夜みたいな黒い黒い影の犬だった
【おい、楓、起きなくてもいいのか】
体を揺さぶられて目を覚ました紅月楓が最初に視界いっぱいに目に入れたのは赤色だった。
「んー…黒彦おはよう……」
寝ぼけた顔で起き上がった楓はふにゃふにゃした顔で黒彦の無造作に伸びた黒い髪を撫でる。
赤い瞳に呆れを滲ませながら時計を指差す。
【おい楓、遅刻すんぞ?】
「えー……?……っ!!な、やばい遅刻する!!」
一気に覚醒したらしい楓が時計を引っ掴んで上下に振る、勿論時計が壊れてたりしない、現実逃避に近い動作をした楓は慌ててベットから飛び降りる。
「やばいやばい!!って着替えるから黒彦は外出てて!」
【今更お前の裸見たところで欲情も何もしねぇよ】
「いーから外でてろーーー!!」
ベシン!勢いよく黒彦の頭を叩きつける、デリカシーってものが全くなってない。
何すんだよと抗議の視線を向けるも鬼のような形相で睨みつけられて肩を竦めた黒彦が部屋の外に出て行ったのを確認し、慌ててブレザーの制服に着替え、その上にお気に入りの赤いパーカーを羽織る。
部屋から出ると壁に退屈そうにもたれかかっていた黒彦と目があった。
【寝癖ついてんぞ】
「わかってる!」
ケラケラと馬鹿にしたような笑い声をあげられて苛立つ。
洗面所に飛び込み顔を洗ってそのまま水をつけてドライヤーをあてて寝癖を誤魔化す、こういう時ショートカットはめんどくさい。
一向になおらない前髪の寝癖に奮闘していると黒彦が手招きしてゆっくり撫ぜるとぴょんと跳ねていた髪が元に戻る。
【おら、これでいいだろ】
「黒彦……!ありがとう、さっきはあんにゃろう笑いやがってとか思ってごめん!」
【もっとぼさぼさにしてやろうか】
「やーだー、やめてぇー」
キッチンの机の上にはお弁当と“今日も学校頑張ってね、今日は夕方には家に帰ります。多分早めに帰ってこれると思うよ!”という母親からのメモが添えられていた。
食パン一枚を口に突っ込みお茶で流し込んで、お弁当とメモを掴んで部屋に戻る。
メモは机の上に置いて代わりに筆箱を掴んで鞄に突っ込む。
慌ただしく靴を履きながら後ろをついて回っていた黒彦に振り返る。
「今日は、ついて来る?」
【当たり前だろ。俺はお前についてるからな、離れて妙な奴につかれたりでもすれば困る。お前、変なの引っ掛けて来るからな】
「そんなことないよー、多分。……まぁでも、私も黒彦と一緒にいたいから、そっちの方がいいんだけどね」
【……お前なぁ、そう言う事俺以外にぜってぇ言うなよ】
がぶり、頬を甘噛みしてにやりと笑えば楓の頬が赤くなる。
「もう!黒彦の、馬鹿!」
【はっ、お前が隙だらけなのが悪いんだよ】
意地の悪い顔で笑う黒彦に楓が頬を膨らませ、その瞬間、黒彦の姿が黒い犬___甲斐犬に近い見た目___に変わった。
とぷん、楓の影に潜るように入った黒い犬に対してさして驚くこともなく、「いってきます!」という声が高らかに響いた。
楓の幼い頃の話である。
買ってもらったばかりのお気に入りの赤いパーカーを着て、一人で祖母のお見舞いに行った帰り道、路地裏で倒れていた黒い犬を放っておけずに家に連れ帰った。
傷ついた黒い犬の手当てをして、その時は留守だった両親が帰ってきて玄関におかえりを言いに行って部屋に戻ったらそこに居たはずの黒い犬は居なかった。
次の日、家に1人で居た時居なくなったはずの黒い犬が我が物顔で部屋にいた。
不思議と黒い犬は家に楓しか居ない時しか現れなかった、楓は内緒の友達が出来たようで、誰にもそれを話さなかった。
両親が仕事で家にいないことが多かった楓にとってその黒い犬は心のよりどころになっていた。
そして、ある日、黒い犬と共に昼寝をしていた楓は苦しさから目を覚まし、そこには大きな大きな、オオカミが。
人よりも一回り、ふた回り、大きい体、犬の赤い目は妖しく光り、地獄から響いたような唸り声と共に楓を床に押し付け、その爪を首に立てた。
ぷつりと赤い血が首を流れ、痛みと苦しみで呻き声をあげる。
【怖いか?あぁ、怖いよなぁ、一度は助けてあげた弱い生き物に、今まで親近を抱いていたものに、喰われそうになる恐怖はどうだ、憎いか?恨めしいか?】
「……あっ、もしかして、おいぬさん?すごい!おっきくなってる!」
【……は?】
先程までジタバタ暴れていたはずの、訳がわからないと恐怖していたはずの幼い子供は一転キラキラした表情を向けてきた事に黒い犬は素っ頓狂な声を漏らした。
それが彼_____後に黒彦と名乗る黒い狗と、紅月楓の“本当の”ファーストコンタクトである。
紅月楓は彼女の通う開陽高校で割と有名人だ。
そのきっかけになったのがとある事件。
なんてことない日常のワンシーンではあったそれを非日常に変えた。
とある女子生徒が運んでいたプリントを躓いた弾みに風で飛ばされてしまったのだが、その内数枚が偶々開いていた窓から外に出てしまったのだ。
それをキャッチしたのが楓_____空中で。
本人曰く勢い余って、窓から体を乗り出し過ぎたというか寧ろ窓から外に飛び出したというか、兎も角空中で外に飛ばされてしまったプリントを器用にキャッチ、更にくるりと一回転して地面に着地、もちろん本人は無傷。
そんな事すればそりゃあ目立つし噂になるってものである(余談だが楓が飛び出してしまったのは二階で、その後しこたま先生と黒彦に怒られた)
ちなみにこれをきっかけに運動部(特にバレー部とかバスケ部)とかから目をつけられ始める。
もう一つ、それは馬鹿みたいに食うのだ。
休み時間には何かしら食べてる(しかも炭水化物系の腹に溜まるもの)上に、持ってきた弁当は重箱、それを綺麗に完食する。
そして更に加えてもう一つ_____姿の見えない何かと話しているのが時折見られる、霊感少女疑い。
結果、本人の性格が幸いしたのか虐めやらぼっちやら、そんな状況には陥らなかったのだけれど、だからといって自信満々に仲のいい友達がいる!とは言えない、そんな立場に置かれることになった。
【オマエ有名人だなぁ】
「原因の根源は全部黒彦だけどね」
【おい、俺のせいにすんなよ。お前の行動が元凶だろ】
「いやいやいや、元はと言えば黒彦の所為でいっぱい食べるようになったし運動神経も良くなったんだよ?……ん?運動神経の方はお陰でって言ったほうがいいかな」
【俺に聞くなめんどくせぇ】
「あと、黒彦と喋るのは仕方ない、だって黒彦から話しかけて来るし……あと黒彦と一緒に喋るの好きだし」
【…………お前のそーいうとこどうだと思う】
「え、なにが?……ふぅ、ごちそうさまでした」
その影に潜むのは、楓の1番の“おともだち”。
基本的に外に出る時は楓の影の中に憑いている黒彦だか、極偶に楓の側を離れる事がある。
「黒彦?」
【……ちと離れる、妙なもんに魅入られんなよ馬鹿】
「馬鹿じゃないよ!」
_____餓鬼に拾われた。俺を見ても怖がりもしない馬鹿で可笑しな餓鬼だった。手の内に丸め込んで、気を許したところを喰ってやろうと思っていた。けれど餓鬼はいつまでたっても馬鹿だった。
ずるずると這うような影の犬、普通の人間にはみえないそれに呑気な声がかかった。
「やっほー、おひさぁ、何年振りかな?100年超えるとわかんないねぇ」
【うるせぇ、何の用だ夢喰い野郎】
「あは、酷いなぁ。まさか君が人間に憑いてるなんて驚いたよ」
【はん、引き篭もり野郎に言われたかねぇよ】
「巷じゃ噂になってるよ?あのオオカミが人間に飼いならされたってね。ねぇ、今更人間が好きになったとか?」
開陽高校の制服を着て、にこにこ笑って木の枝に足を引っ掛け、逆さまのまま問いかける男に黒彦は今度こそ呆れたように嘲笑した。
黒い黒い憎悪が渦巻く、黒い黒い絶望に巻かれる、地獄から響くような低い低い、声が響いた。
【まさか、この、俺が?人間を?俺をこうした、元凶を?人間を、恨み、憎しみ、喰い殺す。それが、俺、俺を構成する全てだ】
場所は変わって、黒彦と離れた楓に柱の陰から現れた茶髪の男が声をかけた。
「…紅月楓、だな」
「……?何?何か、用?」
「……軽い忠告だ、あれは犬神、禍の存在、人を呪い喰らう存在。この町では害をなさない限りは見過ごされる、それがルールだから……けれど、気を許さないことをオススメする、気付けば頭からぱくりと行かれても、文句は言えない」
茶髪の男子生徒の言葉に楓は首を傾げて、少ししてから、柔らかく笑った。
「……黒彦のこと言ってるの?あ、もしかして心配、されてる?……黒彦はそんなことしないよ、だって、約束したもん」
_____俺を手当てした餓鬼を油断させて最後の最後に絶望やらを味あわせて、喰ってやるつもりだった。
餓鬼に拾われたのは、俺らしからぬ失態を犯していた時だった。
丁度祓屋の連中に1発撃ち込まれこの街に逃げ込み、路地裏で省エネモードで回復を待っていた俺を拾い家に連れ帰った赤フードの餓鬼。
呑気で平和ボケしたような餓鬼、多くはないが少なくともない霊力で此方側のモノが視えているらしい餓鬼。
その魂はそれに見合って美味そうで、あぁそうだ、喰ってやろうと思った、そうすれば直ぐに治る。
最後の最後に白を黒に染めてやろう、純粋な黒は、嗚呼なんと美味しいことだろう。
餓鬼が家で1人の時に限って姿を見せた、家に1人でいることが多い餓鬼の元へ足繁く通ってやれば簡単に餓鬼は俺に懐いた。
「わー!おいぬさん!きてくれたんだ、あのね、今日はね……」
その心をこちらに依存させて、最後の最後に絶望させて恐怖に染めて、喰らっってやろう
そして、本来の姿で餓鬼の首に爪を立て血を流させる、俺だと気づかせ絶望にくれた魂を、さぁ、お前がその拠り所にしていたモノに喰われてしまえ_____俺のように、信じていたものに裏切られて絶望に染まれ
「……あっ、もしかして、おいぬさん?すごい!おっきくなってる!
【……は?】
餓鬼は俺に喰われそうになっているのにもかかわらずいつもの脳天気な顔で笑っていた。
呆れたほどに先程までに感じていたはずの恐怖や苦しみは綺麗さっぱり忘れ、俺だと気づいたからこそ安堵し安心し気を許して。
見た目はバケモノ、纏うは悪気、宿すは悪辣、一時の欲と引き換えに術者すら食い殺す、呪詛から生まれた犬神。
知らずともそれに恐怖する、知ればそれに畏怖する。
「おいぬさんしゃべれたんだね、じゃあ、あのね、おなまえ教えて?なまえわからないから、どう呼べばいいかわからなくて」
剰え、俺の名を問いかける。
_____餓鬼は馬鹿だった、喰らおうとしていた俺に、ついさっきまで恐れていたこの俺に気を許し名前まで聞いてくる、馬鹿で阿呆で能天気、虫唾が走る程純粋な子供。憎悪と嫌悪と呪詛に塗れたこの俺に、打てば響くように只管に愛を向けて来る、嗚呼、なんて、なんてたちのわるい
【…………黒彦、だ】
_____その、いっそ悪質なほどの純粋さに、絆されていたのは俺の方だった
【俺が憑くのはあの時から、性質の悪い能天気な馬鹿な小娘だ。犬神相手に絆され、叶えたい欲もないくせにただ一緒にいたいからという理由だけで、俺と知っても取り憑かせ、剰え約束さえ交わした馬鹿だ】
「……ふーん、成る程、つまり、君は人間は許してはいないんだね。君がその内に置いたのはあの子ただ1人」
【当然だろーが、俺がどうやって生まれたのか、知ってるだろ】
「はは、俺も気持ちはわかるから否定はしないよ。ただ気になるなぁ、何を約束したの?」
「……約束?」
楓の言葉に今度は茶髪の男子生徒が首を傾げる方だった。
「うん、黒彦が私に憑いた時に、約束したんだ。私は黒彦の事を傷つけない、だから黒彦は私が寿命で死ぬまで一緒にいてって」
「……成る程、正式に交わされた約束ならば人間と違い妖怪は必ず成し遂げる」
「私はそんなこと知らなかったんだけどね。ただ黒彦と一緒に居たかった、そんな子供っぽい口約束だったんだ。…そしたら、黒彦がね、じゃあ俺もお前を傷つけない、だから、死んでも一緒にいろって」
茶髪の男子生徒の目が大きく見開かれる。
「……驚いたな、犬神がそんな事を言うなんて。悪いが俺の知る犬神という種は、そんな事を言うものではなかったから」
「うん、まぁ、今思えば最初は食べられかけたしね、ははは……でも、うん、だから大丈夫。自分で言うのもなんだけど、大事にされてると思う!」
にへらと緩んだ笑顔を浮かべた楓に男子生徒は安心したように微笑んだ。
「……そうか、なら、いい。なら俺が言うことは何もない。貴方とあの犬神の関係が良好であるのならばそれで。…………ならば、二つ、忠告だ。貴方ならばきっと大丈夫だとは思うが決して犬神の力を悪用したり人を傷つけたりはしないでくれ。それから……この街から出る時は気をつけろ、でなければ最悪貴方の今が壊れてしまうから」
「……?うん、分かった」
「………きっと犬神は分かっているだろうから大丈夫とは思うけれど、犬神にも伝えておいてくれ、貴方が街の外に出る時は必ず“ありすみや”に来るよう」
じゃあ、俺はこれで、突然すまなかった、と頭を下げて背中を向けた男子生徒は思い出したように振り返った。
「そうだ、一緒に居たいと思うのは、子供っぽくはないと思うぞ、それは純粋な愛だ」
「……!ありがとう、あ、そう言えば名前は?」
「守野遼……そうだな、ただのしがない下っ端だ。それじゃあ、時間をとってすまなかった」
教室の自分の席に座っているとひらりと窓から入ってきた黒彦はそのまま楓の影に潜ろうとしたが動きを止めて、鼻をひくひくと動かした。
【香くせぇ、いけすかねぇ匂いがする。おい楓、お前何と喋ってた】
「……?守野くんのこと?なんか、黒彦の事忠告みたいなのされたけど……最終的に応援?忠告?された」
【はぁ?】
「あ、あと、守野くんから伝言で、『街の外に出る時は“ありすみや”に来るように』って」
【……アァ成る程、祓屋の連中か、ッチ、うざってぇ】
「守野くんと知り合いだったの?」
【さぁ、その餓鬼はしらねぇな……まぁ、いけすかねぇ連中の奴だな。それより楓、とっとと帰るぞ。俺は腹減った、今日は肉にしろ】
「えぇーまたー?野菜もちゃんと食べてよー?」
影が揺らめく、尻尾を揺らすように。
へにゃりと笑う楓に、黒彦も牙を見せて笑う、2人だけの世界。
『私は黒彦がなんでも、べつにいいよ。だって私の友達なのには変わらないから、だから、私は絶対黒彦に酷いことしないから、私が死ぬまで一緒にいて?』
それは、幼い少女のいっそ悪質な、性質の悪い、そのくせ純情な願い事
『……お前ほんと、性質わりぃよなぁ。なら、俺もお前の事を傷つけねぇから、だから、お前は死んでも俺と一緒にいろ。わりぃけどな、俺たちは執着が酷いんだ、死んだって離してやらねぇぞ』
それは、初めて愛した少女を囲う、人の身にはいっそ重すぎる独占と執着と愛情を込めた優しい檻。
ゆびきり げんまん うそ ついたら はりせんぼん のます ゆび きった
_____夢喰い野郎、俺の楓に余計なちょっかいかけてみろ……殺すからな、アレは俺のだ、楓が死ぬまで、死んでも、あの魂は、彼奴は誰にもやるか
「……いやぁ、怖いねぇ。牙が抜かれたなんて冗談、寧ろ御悪神の頃よりもっと怖くなってるよ。まっ、気持ちは分かるけどね。いやぁさわらぬ犬神に祟なしってね」
学校の門からゆらり、ゆらり、普通の人間には姿の見えない黒彦と共に帰っていく楓の背中を眺め、男は喉を鳴らして笑う。
視界の端に映った“いばらの少女”にぱっと表情を変えた男は踵を返し彼女に向かって足を進めた。
「あっ、翠ちゃーん!一緒にかーえろ!」
影がゆらり、ゆらり、揺らめいて、今日はここでお終い。
_____さて次は、どんなおはなし?
読まなくても多分支障はない、ちょっとした単語説明
祓屋…陰陽師から派生した職種
開陽市…開陽学校がある市、楓たちの住む街、日本の何処かにあるちょっとだけ特殊でふしぎな街
“ありすみや”…開陽市の権力者、はたしてその実態は?