笛吹の男
建物の屋根に上って自分の位置を確認すると、どうやら二の丸付近の堀を上ってきたらしいことが分かった。一本の広い道を隔てて、反対側に見えるのが本丸だろう。そこを目指して城主を殺しに行かなくてはならないが、その前に笛の名人を見つけないと。
どうしようかと周囲を見渡していると、笛の音色が聞こえてきた。
その音色を聞き、直ぐに居場所が割り出せそうだと私は心の中で微笑んだ。馬鹿な奴だとも思ったが、直ぐに異変に気が付く。笛の音色はかなり近くから、それこそ私の背後…。
袖をひるがえしながら、勢いよく振り返った。
「今宵は楽しい夜ですね、くノ一さん」
三角の菅笠で顔を隠し、横笛を吹く男の姿があった。そいつは笛を吹くのを止めると、被っていた菅笠を取る。すると、中から薄気味悪く笑う青年の姿が顔を見せた。
私は眉をしかめてそいつを睨みつけながら、
「あんたが信玄様を呼び寄せた吹き手だな」
と出来るだけ声を押し殺して尋ねる。
「ええ。ですが名前で呼んでほしいものですね。小笛芳休と申します。故にくノ一さん。そんな短い丈の着物では、脚が冷えるでしょう?」
「…問答無用」
背後を取られたことに驚きはしたが、こいつはただの笛吹き。接近で私に勝てるわけがない。
足を踏み出して、距離を一気に詰めようとした。が、その直前に、芳休は笛を口に付けて、それを吹き始めたのだ。するとどういう分けか。踏み出そうとしていた足が、うんともすんともいわなくなってしまった。
「なっ」
驚く私を見て、芳休は笛から口を離す。
「おやおや、いかがしました?」
「あんた、妖術使いか?」
そんな非現実的な存在など、あまり信じたくはない。しかし、そういう話は聞いたことがあるし、奇奇怪怪の存在がいてもおかしくはない。
「さぁ、どうとでも解釈してください。ですが、貴方の足は動かない。しばらくすれば、味方の兵がこちらにやってくるでしょうねぇ。既に貴方は何人か殺しているみたいですし」
懐に手を突っ込むと、次はクナイを手に取って思い切り投げた。しかし、それは力を失ったかのように、重力に逆ら切れずに一寸も飛ばずして地面に落ちた。
「…噓でしょ?」
「取引しましょうよ、くノ一さん。貴方が持っている刀を私に渡しなさい。そうすれば逃がしてあげますよ」
何故か芳休は、私の命や情報ではなくこの刀を要求してきた。けど、そんな要求に呑むほど、私の心は弱くない。死ぬなら、この刀と共に。
「誰がそんな取引をするか。これは千代女様に頂いた大事な刀だ」
「ほぉ、なるほど。しかし困りましたな、その刀はこの世界にあってはならないもの。正宗が犯した禁忌の刀。ふむ、近付いては私が殺されますし。味方が来ては、刀が私のものにはならない」
芳休は一人でぶつぶつと独り言を呟いていた。それを片耳に、私は足を懸命に動かそうと試みるが、石の様に重くなっているため、びくともしない。
「そうですねぇ。この世界にあってはならなく、くノ一さんは刀を手放したくない。ということは、別の世界に飛ばしてしまうのが両方解決することが出来る方法ですね」
「何を言っているの?」
そう言いながらも、私は腰にある種子島に手を伸ばしていた。事前に弾は詰めてあるので、ばれないように火縄に火をつける。風向きは私の方にあるので、匂いでばれることは無いはず。
「残念ですが、その火縄銃は使わない方が身のためですよ?」
ばれていたなら仕方が無いと、素早く肩に手を伸ばして、定める間のなく流れるように引き金を引いて発砲した。
乾いた銃声が鳴り響き、鉛玉が芳休に向かって一直線に飛んでいく。弾は微かに回転しつつ、確実にあいつの心臓へと当たる軌跡を辿っていた。
「よしっ」
と当たる瞬間を目撃した瞬間、突如視界が眩んだ。
「だから、言ったじゃないですか。あぁーあ。そっちは危ないですよ」
酒を飲み過ぎて、酔い潰れる直前のような感覚に襲われ、視界どころか五感がどれもうまく機能していない。意識も朦朧とし始め、何とかして種子島を背中に収めた。その直後、屋根の上から足を踏み外したのか、重力によって下へと落ちていく感覚を得る。
私は落下しながら、
「まさか…こんな事で死ぬのか」
と呟いた直後、背中から強く水にぶつかったような気がした。こうして、私の意識は完全にこと切れた。
史実…ではないらしいです
ですが、そういう説もあるそうです