刀
けど…でも…。
そんな私の慌てる様子を見ながら、
「楓。これはな、正宗と呼ばれる鍛冶師が作った刀でな。名前は、紅玉正宗という」
と千代女様はゆっくりと口を上下させた。
「はい」
「そもそも、この刀は存在が秘匿されていてな。どの記録書にも乗っ取らん。言わずとも分かるが、それだけ貴重なものよ」
それだけ貴重なもの。私が持てるわけがない。持てる資格などあるわけがない。
「で、でしたら」
「今は無き夫の望月盛時が、この刀を形見として残しているのだ。ただ一つだけ事を言い残してな」
千代女様は少しだけおいて、こう続けた。
「深紅の瞳をした者に刀を渡せ。女子供地位など関係なく、優秀な使い手にそれを渡せ。逆にしかるべき相手に渡さねば、その刀は命を吸い取る。と、まぁこういうわけだ」
刀を見ると、それは輝いていた。目に見えない深紅の炎が、そこでは轟轟と立ち上っているような気がする。刀の刃が私の赤い目を映し出して、こちらを見ている。炎が呼んでいる、私を呼んでいる。
思わず飛び出しそうになった、「欲しい」との言葉を飲み込んで、
「しかし、私はまだ見習の身です」
と私は再び懸念の言葉を口から出す。
「ふむ。そこまで拒むとは思わなかったぞ。だが、その目は刀を欲しておる。正直に申せ、この刀が欲しかろう」
私の心の中を読んだ言葉の刃に、
「…はい」
と小さく頷いた。
千代女様には敵わない。全てが読み取られているような気がしてならない。
「そう言うであろうと思っておった。深紅の瞳で闘いに優れた者など他におらんゆえに、刀の処分に困っておったのだ。それで、お前にこの里での最後の任務だ。これが終われば、その刀を持って主人に仕えてもらう事になる」
こうして、ようやく任務の内容へと話は移り変わった。
「それで、内容は」
「なに簡単なことだ。武田信玄様の一行に加わるのだ」
この刀といい、今日は驚かされたばかりだ。先ほどから喉の奥がカラカラで気持ち悪いのに、さらに大きな話が降ってきたのだから。
私はてっきりいつもの山賊退治かと思っていたのだが、あの武田信玄様のお名前が出てくるとは思ってもみなかった。信玄様のお傍にお仕えできるのは、精鋭中の精鋭。修行の身である私なんかが、受けていいような仕事ではない。
「信玄様の、ですか?し、しかし私のような…」
「不満か?それとも自信がないか?」
千代女様の言葉には、とげが付いていた。不満なわけないし、何んなら私は自分の腕に自信がある。今更になって、何を弱腰になっていたのだろうと、自分を謙遜した。
「滅相もございません」
「ならよい。今回は三河野田城を攻める間だけだが、良い評価が得られればそのままという可能性もある。心してかかれ」
「はい」
「ではいけ、明日には迎えの者がくる」
お辞儀をすると、入って来た時と同じ要領で後ろへと下がる。
部屋を出ようと、私が襖に手をかけた時だ。前方から、細長い何かが飛んできた。それを、慌てて私は両手でキャッチした。
投げた主である千代女様は、
「忘れ物だ」
と笑顔で手をこちらに振った。
赤い色をした柄をした刀が、立派な深い茶色の鞘に収まっている。紅玉正宗と呼ばれた刀が、わたしの掌の中に納まっていた。
私はそれを大事に持ち直すと、
「これは、任務が終わってから受け取るべきものでは無いのですか?」
と千代女様に聞くが、
「この私に、その刀をしまう二度手間をかけさせるつもりか?」
とまで言われれば、断ることも出来ないし、その理由もない。
「……ありがたく頂戴します」
夢のような話に、私の心は宙に浮いていた。私はくノ一でありながら、侍同様の立派な長物の刀を腰に収めることになったのだ。今までより少しだけ腰が重くなった分、責任感が重くなった。千代女様の屋敷から出たところで、若葉に話しかけられるまでは、意識が上の空だった。
「楓さん。それは?」
若葉は、私が今貰ったばかりの刀を覗き込んできた。しゃがんだり、回り込んだりして、刀を興味津々に見つめる。
私は少しだけ声を震わせながら、
「も、貰った」
と言った。
けれど、若葉の反応は、私が思っていたよりも薄かった。
「貰った?そんなに立派な刀をですか?ほー流石は楓さんだ」
私が刀を貰えたのが、何の不思議でもないような口調に疑問を覚える。この里で千代女様から長物の刀を授かったとの話は聞いたことがなかった。ここだけでなく、千代女様のような方から刀を授けられるなど、よほどの功績を残さないといけないだろう。
「あのさ。私ってこんな刀を貰うほどの人間?」
何だかこの状況に腑に落ちない私は、自分の評価について若葉に尋ねた。自分の意見をしっかりと持っているこの子なら、先輩後輩関係なくお世辞抜きで答えてくれるだろう。
けど、そんな首を傾げた私の肩を叩き、
「楓さん。楓さんは自分が思っている百倍は優秀ですよ。もっと自分に自信を持ってくださいよ。出なければ、私なんて恐れ多くて外を出歩けないです」
と言うのだ。
後輩にそう言われたので、そうなのだと認めざるを得ない。きっと自分では分かっていないけど、周囲は過大評価してくれているのだろう。
私の表情を見て、満足げに大きく頷いた若葉は、さらに続ける。
「それで、任務はあったんですか?」
「武田信玄様の一行に加われと」
流石の若葉も、ついさっきの私と同じように口を半開きして、目を真ん丸に見開いた。意識をハッと戻して、数回の瞬きを繰り返した後、半開きだった口を大きく広げる。
「す、凄いですよ、楓さん。頑張って下さいよ。楓さんが信玄様の前で手柄を立てれば、きっとこの小さな隠里にも、もっと注目が集まりますって」
若葉に両手を握られ、私の手は力強く上下に振られた。そのあと、彼女は満面の笑みで皆の元に駆け出した。
「大ニュース」
と叫びながら。
どうせなんで、書いてある所まで出しちゃいます