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彼女に聞きたいことは山ほどある。
あるけれど、とりあえず落ち着くことにする。
僕は「ごめん、少し待って」とだけ彼女に伝えて、片手でこめかみを抑えた。
いつもより深く、ゆっくりと呼吸をしながら、聞きたいこと、知りたいことを頭の中で整理していく。
なぜ彼女が、そこまで僕のことについて知っているのか。いや、違う。彼女が誰なのか。まずそこから僕は聞かないといけない。
彼女について知らなければならない。
僕はこめかみから手を離して、彼女の顔を見た。
目が合うと、すぐに逸らされた。何かをやましい事があるのか。それともただ極端に恥ずかしがり屋なだけなのか。
深読みしても仕方ない。僕は彼女についてを順番に聞く事にした。
「え、と。その前にさ、僕は君のこと知らないんだよね。名前、教えてくれない?」
「え、名前ですか……? わ、私のこと知らない……?」
「うん、知らない」
もちろん何度か学校内で見たことはあるけれど、名前までは知らない。元々あまり他人に関心のない僕にとって、彼女の存在はそこら辺の石ころと変わらない。
……いや、言い過ぎた。それほど酷くは思ってない。少なくとも人としては認識している。
「あ、そ、そうですかあ。あ、あはは。ですよね、知りませんよね。同じクラスになったことありませんでしたし、私みたいな地味な奴視界に入ったとしても興味なんて持ちませんよね。当たり前ですよね。いえ、あはは。佐原くんが私のこと知ってるなんて、私が勝手に思い込んでただけですから、気にしないでください。あはは…」
早口でぶつぶつと喋る彼女をみながら、僕は直感的になんとなくわかってしまった。
この子は関わってはいけないタイプだ。僕の人間性をそこはかとなく崩壊させるような、危なっかしいタイプだ。
彼女は、ひとしきりぶつぶつと思いを吐き出した後、1つ大きな深呼吸をした。
「2年2組の、佐々木、佐々木かほりといいます」
「佐々木さんね、よろしく。僕は佐々木さんの知ってのとおり佐原。2年1組の佐原理人だよ」
一応ぺこりと頭を下げておく。
佐々木さんも僕の後を追うように頭を下げた。
続けて僕は質問を繰り返す。
「佐々木さん、僕がこの学校にいると知ったのは、いつ?」
「え?」
どうしてそんなことを聞くの?とばかりに佐々木さんは頭にはてなを浮かべる。
確かに佐々木さんの提案には直接的な関係はない質問だけれど、僕としてはその提案の真意を知るために、質問する必要があるのだ。
「佐々木さんのこと、いろいろ知りたくてさ。ちょっと聞かせてくれない?」
「わ、私のこと!?」
声が裏返ってしまったためか、はたまた思ったより大声が出たためか、佐々木さんは両手で口元を押さえた。
しばらく沈黙が続いた後、佐々木さんは目を僕から逸らしたまま頷いた。
「じゃあ、佐々木さん。いくつか質問するから答えてね。さっきの質問、僕がこの学校にいると知ったのはいつ?」
「去年の、四月頃……」
「僕を知ったきっかけは?」
「え、え、と……須藤さんに会いに、須藤さんのクラス行ったら、佐原くんがいて……」
「佐々木さんと須藤さんは、どういった関係?」
「友達……」
「友達、というと放課後遊んだり?」
「うん、よく遊びます」
質問中、佐々木さんは髪の毛を触ったり、目を右往左往させたり、とりあえず落ち着きがない。ないが、比較的に質問には的確に答えてくれている。
僕は、少しずつ本題へ質問を移していく。
「佐々木さん、どうして僕が須藤さんのこと好きだって思ったの?」
「……いつも、……その……えっと」
言葉を選んでいる、のだろうか。
「須藤さんのこと、見てるから」
……は?
「まって、見てない、見てないよ」
「み、見てるよ……? 授業中は、分からないけど、その、放課後とかよくグラウンド見てる……グラウンドでマネージャー活動してる須藤さんのこと……」
僕は案外、客観的に自分のことを見れていなかったのかもしれない。
思い返すと、確かに須藤さんのことは見ている。実際、今さっきも佐々木さんが屋上に来るまで僕はグラウンドを見下ろして須藤さんを探していたし、朝の登校の時も、須藤さんのことを考えたりもした。
それ以外にも、きっと僕が自覚しないところで、それは起こっていたのだろう。それも違うクラスである佐々木さんに気づかれるほどには。
「ありがとう、参考になった」
僕は平静を装いながら、淡々と佐々木さんへお礼を言った。内心やや動揺している。
「え、と。佐々木さんと須藤さんの仲は、僕と須藤さんの距離を縮めれるほどに、親しい仲なの?」
「はい。バイト一緒です……!」
バイトが一緒なことが果たして親しい仲であるという根拠になるかは定かではないけれど、とりあえず仲は良いらしかった。
実際、隣のクラスにまで来て話す仲ならば、それなりの友達ではあるのだろう。
しかし、ここで協力関係を結ぶことで得られるメリットとは、一体なんなのだろうか。
確かに元々須藤さんと仲のいい佐々木さんを通してなら、僕は須藤さんとお近づきになれるだろう。
だけれど、その過程で違和感を覚えられないだろうか。「うわ、私の友達使ってまで私に近づこうとするなんてキモい!」みたいな。
考えすぎだろうか。
とりあえず色々と考えてみるけれど、僕は断るにしては理由らしい理由を持ち合わせていないこと再認識することしかできなかった。
「具体的に、どうやって協力すればいいの?」
「協力してくれるんですか!?」
ぐいっ、と佐々木さんの顔が僕に近づく。クチナシの甘酸っぱい匂いが僕の鼻腔をくすぐる。正直、意外な香りだったから、びっくりした。
「うん、一応ね。あんまりにもオザナリな計画だったらやめさせてもらうかもだけど」
「計画とか! なんだか秘密の作戦って感じでいいですね……!」
佐々木さんは目を爛々とさせているけれど、この子は何を言ってるんだろうか。
「そうそう、僕が須藤さんのことを、ってことは内緒でお願いね。どこからその情報が漏れたか知らないけど、あんまり噂になると面倒だし」
「そんな、須藤さんのこと好きな人なんてたくさんいるんですから、佐原くんが好きって分かったところで、どうにもならないですよー」
「あははは」とお腹を抱えて笑いだす佐々木さん。何が面白いのだろうか。もしかしてバカにされているのではないか?
「そ、そんなに怖い顔をしないでくださいよ。冗談じゃないですか……」
と思ったら佐々木さんはまたオドオドと目線を彷徨わせて、声を潜めた。
この子が何を考えてるのか全く読めない。読めなさすぎて気持ち悪い。なんだかこの子と話していると不安な気持ちでいっぱいになる。
はたして僕は佐々木さんと協力関係を結んで、うまいこと須藤さんとお近づきになれるのだろうか。
それこそ不安でならない。
「と、とりあえず時間もあれですし、続きは帰ってからにしましょう!」
時間? 僕はスマートフォンで今の時間を確認する。16時30分。そんなに遅い時間ではないけれど。
というか、「帰ってからにしましょう」?
「帰ってからって、一度帰ってからまた僕たちは会うってこと?」
「え? いえいえ、違いますよ!」
じゃあ他に何があるんだ、と考える僕に、佐々木さんはスマートフォン片手に一歩さらに僕に近づいた。
クチナシの甘酸っぱい匂いが鼻腔をくすぐる。変わった香水を付けてるみたいだ。
「連絡先を交換しましょう。『LINE』やってますよね?」
こうして僕は、スマートフォンを手にして初めて身内以外の、ましてや女子の連絡先を手に入れたのだった。
佐々木さんのことはまだ全然掴めないし、はっきり言って苦手なタイプの人だけど、とりあえずこの連絡先は大事に登録しておこうと思う。
☆ ★ ☆
佐々木さんが屋上から降りてから、少し時間を開けて僕は屋上から降りた。
一緒に屋上から降りて行って、もし校内で誰かに2人で歩く様子でも見られたら、それこそ目も当てられない。
ただでさえ、僕は学校ではモブキャラか嫌われ者の位置にいるのだ。変な噂が立つと僕だけじゃなく佐々木さんにも被害がいってしまう。僕のせいで他人に被害が出るのは、それだけは絶対いやだ。
「お、佐原じゃん。なにしてんの?」
校舎の二階で、階段を降りる時にばったりと北村くんも出くわした。
北村くんの後ろには、眼鏡をかけた少し小柄な女子生徒もいる。誰だったか。見覚えはあるのだけど。
「今から帰るところ」
「お、俺も今から帰るところなんだよ」
スクールバッグをひょいと片手に持ち上げながら、北村くんは笑顔で言う。
「今日は早いんだね」
「文化祭も終わって、生徒会もひと段落したからな」
11月始めに行われた文化祭。良くも悪くも大盛況だった今年の文化祭も、確かに終わった。
それこそ、今年の生徒会の仕事は、もうほとんど終わりなのかもしれない。12月なんて、期末考査があるだけで、それ以外に目立った行事はないはずだし。
「そうだ、よかったら佐原。お前も一緒に行こうぜ」
「ん?」
「飯。今から小鳥遊と行こうと思っててさ」
北村くんが親指で指差すのは、先程から北村くんの後ろに立っている女子生徒だ。
僕が視線を向けると、ぺこりとお辞儀をしてきた。僕も首だけでお辞儀を返した。
この子は誰だろうと考えていたけれど、小鳥遊という名前を聞いて合点がいった。この子は北村くんと同じ生徒会の役員だ。
小鳥遊、小鳥と遊ぶと書いて、小鳥遊。小鳥が遊ぶところに鷹はいない、という語源だった気がする。
それはさておき、珍しい名前だからなんとなく覚えてしまっていたわけだ。
しかし、この場合、小鳥遊さんのお邪魔になるのではないのだろうか。僕と小鳥遊さんは面識があるわけじゃない。僕が行くとかえって迷惑になるんじゃなかろうか。
「いや、遠慮しとくよ」
断らざるおえない。
「なんでだよ、予定でもあるのか?」
「うん、僕の帰りを待ってる可愛い妹の元に早く帰らないと」
「あん? お前ってそんなシスコンだったか?」
「そうだよ、知らなかった?」
「知るかよ。どちらかといえばお前妹に対しては無関心だ、とか言ってたじゃねえかよ」
そんなこと言っただろうか。覚えていない。
「いいよな? 小鳥遊」
「はい。私は構いませんよ」
「だってよ、ほら行こうぜ」
おいおい、どう見ても言わせてるんじゃないかそれは。
先輩にそう言われて、反論できるやつはいないだろ。
仮に小鳥遊さんが本心で構わないと思っているとしても、僕はこの後家に帰って佐々木さんと話さなければならないのだ。不本意ではあるけれど、あの子とお話をしなければならない。
そこまで考えて、はた、と僕は思った。
「うん、じゃあ行くよ」
僕の了承の言葉に、北村くんはにっこり笑って「流石!」と、僕と肩を組んできた。
北村くんも北村くんで、どうしてこんな僕と絡むのだろうか。そんなことを思ったりした。
佐々木さんには悪いけれど、LINEでのお話は少し後にしてもらおう。
今後佐々木さんと協力関係を結ぶのなら、今北村くんとしっかりと話ができるこのタイミングを逃すのはあまりにも惜しい。
乗り気ではないにしろ、乗りかかった船である。できる限りの成果をあげよう。