44 一人じゃない
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「愛羅と香澄ちゃんたちの関係で、私もちょっと悩んでた。七緒ちゃんママは香澄ちゃんママと学生時代からのお友達だから、悪く言ってると思われたら嫌だなと思って打ち明けられなかったんだけどね」
「……そうなんだ」
愛羅ちゃんママの言葉にどう返事していいか戸惑う。
香澄ちゃん、友梨ちゃん、理乃ちゃん、それから愛羅ちゃん。
児童館で四人はいつも仲睦まじくじゃれ合っているように見えていた。
ハンディのある愛羅ちゃんをはじくことなんて一度もなかったと思う。
ラムネに混ざり込んだ小石みたいにいつまでも溶け込もうとしない七緒と違って、愛羅ちゃんはみんなとうまくやっているものだと思っていた。
違ったのだろうか。
「七緒ちゃんママはあの子達の児童館での姿しか知らないもんね。園では全然違ったのよ。たくさんの子がいるんだもん、香澄ちゃんたちに愛羅なんかより気があう子がいるのは当然。愛羅だってそう。園では別の子と遊んでて、香澄ちゃんたちとはほとんど絡みがないの。児童館では親の目もあって、無理してるんじゃないかなって思ってたんだ。香澄ちゃんたち」
愛羅ちゃんママの言葉に、ショッピングモールで香澄ちゃんを連れて歩いていた千秋の姿が浮かんだ。
七緒のために香澄ちゃんを頑張らせてきた、と不満をぶつけてきたときの忌々しげな眼差し。
「そっか。みんな楽しそうに見えていたけど。私、鈍いから……」
千秋に言われるまで香澄ちゃんの気持ちなんて想像したこともなかった。
同じ障害児でも愛羅ちゃんはちゃんと遊べるのに七緒だけができない。
自分たちだけが違う、ダメなんだって思い込んでいた。
同じ空間にいたはずなのに、愛羅ちゃんママの見てきたものと私の見ていた景色は全然違う。
これまで七緒のことで頭がいっぱいで、目も耳も塞いでいたのかもしれない。
愛羅ちゃんママの告白に自分が恥ずかしくなる。
「香澄ちゃんママはすごく親切。一緒に遊んであげなさいって、いつも声をかけてたもんね。七緒ちゃんに対してもそうだったでしょ。香澄ちゃん、愛羅に合わせて遊ぶのなんかおもしろくないだろうなって、私いつも申し訳なくて。たまにならいいけど、園でも外でもなんて大変だもん」
愛羅ママの吐露する申し訳なさに強く共感した。
うまくやっているように思えた愛羅ちゃんママも私と同じように引け目を感じていた。
悩んでいたのは私一人じゃない。
土に水が滲むようにじんわり安堵の気持ちが沸き、同時にチクリと罪悪感が胸を刺した。
「良かれと思って気を使ってくれてるんだよ。それに愛羅ちゃんはいい子だから、きっと香澄ちゃん達も楽しかったんじゃない?」
「わかってるわ。でも善意だから困るのよ。愛羅は幼いしすごく我が強いもの。香澄ちゃんたち相当苦労してたと思うわ」
私の言葉に愛羅ちゃんママは弾けたゴムのように反応した。
「七緒ちゃんママの気持ち、わかるって言ったら怒られるかもしれないけど、愛羅も人並みの成長じゃないから七緒ちゃんのことなんとなくわかる。同じ年頃の子とは成長速度も興味があることも全然違うもの。だから私は七緒ちゃんが誘われて困るのも、やりとりが噛み合わないのも仕方ないよねって思ってたの。七緒ちゃんママは七緒ちゃんの気持ちを尊重して、急かしたり仲間に入りなさいとか言わないのに、香澄ちゃんママ達はそれも不満そうだったでしょ。やっぱりわかんないんだなって。見えているものが違うからさ。いい人なんだけど」
「そうだ、友梨ちゃんちとは、あれからどうなの?」
共感されることの安心感と千秋に対するうしろめたさにいたたまれなくなり、慌てて千秋のことから話をそらした。
千秋は私の気持ちや七緒のことなんて何もわかっていないかもしれない。
でも途方に暮れていた私に手を差し伸べてくれた。
七緒の障害を知って力になろうとしてくれた。
憎まれているのだとしても、嫌いになることなんかできない。
「友梨ちゃん? 児童館で香澄ちゃん理乃ちゃんと一緒にいるのを見かけるけど、最近は一緒に遊んでないの。その方がお互い気を使わなくて済むし、いいのよ。愛羅はたぶん普通学級は無理だろうし、いずれは離れる運命だもん」
クスリと笑って答える愛羅ちゃんママの声色に、しこりを感じた。
娘を傷つけられたのだ。
それも悪意を持って、攻撃された。
かつて娘を七緒に傷つけられたと思い込んだ友梨ちゃんママも、私にきつい言葉を向けた。
日頃穏やかな愛羅ちゃんママだって、胸の内は収まりきらない思いに震えている。
「新しい園にはもう通ってるの?」
「……二学期は行事が忙しいから。七緒は途中から入って馴染めるような子じゃないし、ちょっとゆっくりしようと思ってる」
愛羅ママの質問にとっさに言い訳がましい言葉が飛び出す。
後ろめたい。
どうするつもりなの、と自分で自分を急かす声が沸く。
「そうね。それもいいのかも。またよかったら児童館でも公園ででもお話ししましょうよ。これから進学のこととか、いろいろ相談したいし。私、そういうこと話せるの七緒ちゃんママくらいなの」
「私も、誰とも話せなかったよ。ありがとう。愛羅ちゃんママ」
夏休みの終わる直前、園をやめると言ったら、誠司は私の意志を肯定してくれた。
先のことを考えていないんだって言っても、園なんか行かなくても平気だって言ってくれた。
でもその時なぜか突き放されたような心細さを感じ、ひどく反発してしまったけれど。
なのに同じことを愛羅ちゃんママに言われると、ストンと自分を許していいんだと思えた。
私頑張ってたんだって、七緒も頑張ってきたんだって芯から思えた。
私は、一人じゃなかった。
愛羅ちゃんママと、会う約束はしなかった。
児童館でも公園でもまだ、千秋と顔をあわせると凍りついてしまいそうな気がしたから。




