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星に願う 〜娘は発達障害でした〜  作者: 遠宮 にけ ❤️ nilce
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41 私の見方が世界を変える

挿絵(By みてみん)

41

 翌日、退園手続きのため七緒を連れて園へ出向いた。


 新学期直前。

 園内では先生方が掲示の貼り替えを行っていた。

 次の行事は運動会。

 大玉を転がす動物たちの掲示に胸が軋む。


「こんにちは、誰かお探しですか?」


 先生の一人が黄金色の日差しを降り注ぐように溌剌(はつらつ)とした声で呼びかけてきた。


「あ、アプリコット組の深町です。優里香先生は……」


 私は水底の海藻のようにゆらりと顔を上げ、夢の中にいるようなぼんやりとした心地で尋ねた。

 ここは眩しすぎる。

 同じ場所にいるはずなのにまるで私だけが薄い膜の向こう側、別世界にいるみたい。




 職員室の優里香先生は私の姿を確認すると机の上に準備してあったオレンジ色の封筒を手にし、席を立った。


「すみません、わざわざお越しいただいて。書類は教室で記入していただいてもよろしいでしょうか。一緒に七緒ちゃんが製作したものなどもお渡ししたいんです」


 職員室には落ち着いて書類を書くスペースはない。

 私は静かに頷いた。


「さぁ七緒ちゃん、一緒に行こう」


 先生は後手に職員室の扉を閉めると、七緒の正面にしゃがみ込んだ。

 七緒はタコのようにぐにゃぐにゃと姿勢を崩し、私の足元で寝っ転がっている。


「もう、すみません。七緒立って。家じゃないんだから……」

「あっ」


 七緒は突然私の言葉にかぶせるように声を上げ、教室とは反対の方向に駆け出した。


「えっ、七緒? どこ行くのよ!」


 慌てて目を上げ姿を追う。


 七緒は水槽の前でたらいを抱えて立っているおじいさんに飛びかかった。

 用務員の森さんだ。

 足元に敷かれたタオルの上にはポンプとオブジェ。

 運動会に向けて、水槽の装いを変えるのだろう。


 用務員さんは七緒を見下ろし、それからこちらに目をやり会釈をした。 


「あ、ちょうどいいわ。すみません、森さん! 七緒ちゃんのこと見てもらってもいいですか?」


 優里香先生は用務員さんに向かって声を張った。

 用務員さんはお安い御用と言うように、優里香先生に向かってひらひらと手を振ってみせる。


「そんな、悪いです」


「用務員さんこの夏で退職するんですよ。七緒ちゃんのこと本当にかわいがっていたので、最後に一緒に過ごさせて下さると嬉しいです。七緒ちゃん、水槽の掃除をお手伝いするのが大好きだったんですよ」


 七緒は森さんが床に置いたたらいの前に、パンツが見えるのも構わずしゃがみ込んだ。

 窓から差す日光がキラキラと水面に反射し、七緒の笑顔を揺らす。

 膝に手を当て中腰になって話しかける用務員さんと七緒は、本当のおじいさんと孫みたいに仲睦まじく見えた。


「辞められるんですか。……まさか七緒のことが原因で?」


「それは、全然違います。もうお年ですから、肉体労働はきついって言ってました。もともと七夕会を最後にしようと決めてらっしゃったんですよ」

 

 優里香先生は顔の前で大きく手を振った。


――またあの子だ。


 七夕会の準備で集まった時、用務員さんの後をついて回る七緒を指して噂していた保護者たちの声が浮かんで、思わず固く目をつぶる。


「本当に深町さんのせいではないんです。あんなことが原因で辞めたりなんかしませんよ」


 あんなこと。

 たかが園内の小さな行事。

 まだほんの子供の、ちょっとした失敗。


「すみません、先生方にも、皆さんにも本当によくしてもらったのに」


 子供たちはこれから毎年行事のたびにステージに立つ。

 大人になってしまえばいつのことだったか曖昧になるくらい、小さな事件。

 取り返しのつかないことでもなんでもない。

 そんなこともあったよねって振り返ればそれだけの、なんでもないこと。


 ……悔しい。


 涙が溢れ目頭を押さえる。


 だけど今を生きる子供達にとっては、七緒を見る目を変えるのに十分な事件だった。

 それによって生まれた評価、関係を覆すことは難しい。

 いくつも積み重なっているなら、なおさら。

 だから私は七緒を連れてここを出るんだ。


「深町さん……行きましょう」


 優里香先生は他の職員から泣いている私の姿を隠すように階段へと誘導した。


「すみません」


 かたく唇を噛み締める。

 怒って何が悪い、と眉間に皺を寄せた昨日の誠司の顔が浮かんだ。

 そう、私の中にあるのは怒りだ。

 でもその怒りを特定の誰かに向けて、七緒に向けて、自分自身に向けて……何が変わる?


「私の方こそいろいろと配慮が至らなくてすみませんでした」


 私に窓際の席を勧めた優里香先生は教室の扉を閉めると、子供椅子に腰掛けた私に向かって深々と頭を下げた。


「子供を守ってあげられないなんて、保育士失格です」


「そんな、頭を上げてください」


 先生を責めても仕方がない。

 何も変わらない。 


「違います。先生、私が弱かったんです。もっと強くならないといけないんです。私が……」


 言い掛けて言葉を飲み込んだ。

 

 違う。

 私を責めたって変わらないんだ。

 先生を悪者にしても、千秋たち保護者を責めても、香澄ちゃんたちクラスメイトを憎んでも、世界は変わらない。

 それは七緒の障害を嘆いても、自分の至らなさにうんざりしても同じことだ。

 ばかみたいに日々が続いていくだけ。

 責める気持ちは置いておいて、これからどうするのかを選ばなければ、何も変わらない。

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