40 届かない
久々の更新なのでこれまでのあらすじです
ちょっぴり変わったところはあるけれど、何がって問われると上手く言えない不思議な娘、七緒。
年齢にそぐわないほど利発な七緒だが、どうも意思の疎通がうまくいかない。
三歳を迎え保育園に入園させるが、そこで母夕子は家庭での虐待を疑われる。
「本人のためにも一度専門機関に見ていただいてはどうですか」
保育園に勧められ療育センターを訪ねた夕子はそこで娘が発達障害ではないかと告げられた。
集団保育を諦め仕事を辞し、七緒の障害に向き合おうと気持ちを切り替える夕子。
しかし診断を受けたものの療育になかなか繋がらない。
そんな時同い年の娘を持つ同級生千秋と再会。
事情を知った千秋は、娘が通う園で障害児を受け入れているから一緒に通おうと誘ってくれる。
プレスクールで十分に園に馴染ませたのち入園。
けれども自由な七緒の姿をクラスメイトは受け入れられない。
”不思議な七緒”
七緒の悪い噂は夕子の知らない間にママたちの間で広まっていた。
不穏な空気を感じながら参加した行事で小さな事件が起きる。
事件をきっかけに紐解かれる噂の真実。
見えてきたのは園の子供や親たちにとって賢く見える七緒の障害は、受け入れられないという現実だった。
千秋にも突き放されすっかり人が怖くなってしまった夕子は自宅に引きこもり……というところまで。
40
切り出したのは夏休みがあける一週間前だった。
「園をね、やめようと思うの」
誠司と二人並んでソファーに腰掛け録画してあったドラマを見終わった直後、そう口にした。
面白い話だったね、なんて毒にも薬にもならない感想をシェアするようにさらりと言った、つもりだった。
ソファーの背もたれに肘をかけてくつろいでいた誠司は身を乗り出し、私を見つめた。
やめてそれからどうするの。
頭の中で誠司の言葉を予測する。
こんなギリギリになって言い出すなんて。
きっと園は新学期の準備でバタバタしている。
もっと早く、判断すべきだったのに。
言った先から頭の中に責める言葉がこだまして、視線を落とした。
「わかった。じゃあ、秋からはどうしようか」
誠司は自分を見ようとしない私から顔を逸らした。
きっと私が目を合わせられないと知っているからだ。
誠司は優しい。
「考えなきゃだめよね」
今のままじゃダメなことくらいわかっている。
だけど、何も選びたくなかった。
選んでしまったとたん、足元が緩んでズブズブと埋まっていくような気がするから。
何を選んでも間違いばかりを引いてしまうから。
また上手くやれなかったら、と想像し身をすくめる。
「……別に、幼稚園なんて行っても行かなくてもいいんじゃないかな。義務教育じゃないんだからさ。夕子も家にいるわけだし」
誠司は持っていた缶ビールをローテーブルの上に置いた。
どうしてだろう。
誠司の言葉に却って焦りが募る。
このままではダメだろうって杭を打つように私に基準を与えてくれたら、誠司に選択の責任全部押し付けてしがみつくようにして立ち上がることができる。
誠司が言うならきっと大丈夫、失敗しても私が悪いんじゃない。
私のせいじゃない、そう思えたかもしれない。
なのに。
「誠司は、本当にそう思っているの?」
受け止めてもらえてほっとすべき場面で、反対にたてつくような言葉が飛び出し、気付く。
本当は私こそが七緒を園に行かせなきゃダメだって焦っているんだ。
なぜ?
辞めてもいいよねって尋ねたのは私のほうなのに。
このままじゃ七緒はちゃんとした大人になれないかもしれない
ちゃんと、ちゃんとさせなきゃ。
取り返しがつかなくなる前に。
失敗するのが怖い。
うまくやれない自分が嫌い。
私は、私が……困っているのは私だ。
「……夕子?」
誠司が眉を寄せてこちらを覗き込む。
怪訝な顔でこちらを見つめる誠司が遠い。
たったひとり、銀河の只中に放り出されてしまったような心細さに胸が震える。
体温を感じるほど近くにいるのに、なんて遠さ。
私と同じ焦りを誠司は感じていない。
同じ子を見ていてもみんな捉え方が違う。
だからいいんだって思ってきたはずなのに。
問題を共有されなくて苦しい。
私の感じている不安はこの人にはきっとわからない。
「……本当は一日中部屋から出もしないで何してるんだって、思ってるでしょう? 母親のくせに、教師のくせにこんな小さな子を躾けることもできないで、これからどうするつもりだって言いたいんでしょう? 誠司は……」
「そんな風に思って君を責めているのは俺じゃない。夕子、お前自身だよ」
誠司は七緒に似た静かな目で私を見つめた。
睨みつけるように誠司を見返しながら頭の中はぐちゃぐちゃだった。
私の主張そのものがあべこべだ。
ダメともいいとも、どんな答えも許さない問いを発して八つ当たりしている。
何をどうしたいのか、どう感じているのか、どうしてこうなってしまったのか。
……わからない。
「七緒はいい子だよ。クラスにいたどの子よりまっすぐで親切で十分いい子だ。曲がった事が嫌いなのは夕子そっくりで、一つのことに一所懸命なのは俺に似てる。七緒がダメだなんて俺は思わない。大丈夫、いい子なんだ」
七緒がいい子だってことくらい、私だってわかってる。
でもこのままじゃ七緒はどんどん人から離れていってしまう。
誰かと関われない子になってしまう。
就学までに七緒に集団生活に必要なことを身につけさせなきゃいけないのに、家から出られない私のせいで、経験を奪ってしまう。
焦りが喉元にせり上がる。
「確かに障害はあるんだろう。だから選んで入園したんだ。なのに障害を理由に嵌められて、それを怒って何が悪い? 改善を求めて何がおかしい。俺は七緒を問題だっていうやつらのいるところにわざわざ通わせなくてもいいと本気で思ってるよ。障害があろうがなかろうが誰だって自分が歓迎される場所でいたいと思うもんだろ」
「でも……」
自分がやめたいと言いだしたはずなのに、誠司に園を否定されるとありのままの七緒を見守ってくれた優里香先生や用務員さんの姿が浮かんで胸が痛んだ。
千秋だって最初は善意で手を差し伸べてくれたのだ。
七緒の面倒なんて重荷を背負わされることがなければ、香澄ちゃんが苦悩することもなかった。
毎日不満を言う娘の姿に気を揉み、義父母達大勢の人の前で恥をかかされた千秋。
先生や子供たちを困らせ、ママ達をうんざりさせたのは私達だ。
彼らを、わかってくれない奴らだって切り捨てる気持ちになんかなれない。
私がもっと目を配っていれば、私が。
「他の選択肢なんていくらでもあるんだ。もういいじゃないか。七緒だってよくやったんだ。夕子も」
誠司の言葉に反射的に首を振る。
私が悪いんじゃなければ、じゃあ一体誰のせいなの?
園から逃げて、それからどうすれば状況が好転する?
誠司の言うような歓迎される場所なんてどこにあるの?
どこにも出口がないことを知るより、私がいけないから、直せばいいんだからって思えたほうがずっと希望が持てる。
そう、私は私の中に逃げ込みたいんだ。
「誰がお前を否定してる? 責めている奴なんかいないだろ。お前の内側でお前を責めているやつは誰なんだ。よくやったんだよ夕子は。よその親となんら変わらない。何も欠けてなんかいない」
誠司の瞳が歪む。
強い励ましの言葉。
だけど誠司の言葉は私の内側には沁みていかない。
レインコートをたどり落ちる水滴のように私の表面をなぞり滴り落ちる。
隔たれた向こう側の温度だけがうっすら伝わる。
「……どうすれば、お前に俺の言葉が届くんだ」
肩を落とす誠司の姿に胸が痛む。
聞いてる。
ちゃんと聞こえてる。
誠司の言葉をただの慰めだとかそんな風に思わない。
私は頑張った。
よその親のやってきたことに比較しても、どこも欠けてなどいない。
なんら変わらない。
誠司の言うとおりだ。
……だけどダメ。
私のせいにしていなければ、世界に絶望してしまう。
「ありがとう。ちゃんと、届いてるよ」
誠司を悲しませたくなくて笑みを浮かべる。
なんども誠司の言葉を噛み締めながら、噛むほどに染み出すガムの味みたいに、誠司の言葉が少しでも私に染み入ってくれればいいと願った。
誠司の言葉は何も間違っていない。
悪いのは私じゃない。
それなのにどうしても私は私を”OK”と言えない。
私に巣食う自己否定の根深さに震えた。




