34 受け入れてほしいから
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「話をするときはちゃんと相手の反応を見なさい」
出勤前、慌ただしく髭剃りをしている誠司の隣でとめどないおしゃべりを始めた七緒に、声をかける。
もちろん七緒は私の注意など聞こえていないかのように、おかまいなしに話し続けている。
いつものことだ。
私も誠司も一応注意は促すものの、結局これまで諦めてなすがままにしてきた。
それがいけなかったんだ。
今はわからなくてもいずれわかる。
七緒に関して言えば、そんなことはないのだ。
相手がうんざりしていることなど気づいてもいないのだから。
「七緒! パパは今忙しいのよ」
七緒には私の声が届かない。
届いていたとしても単なる雑音としか思っちゃいない。
自分の話を中断して相手の話を聞くことが難しい。
そういう脳の特性を持っているからかもしれない。
だけどそんなことはよその人には通じない。
このままでは七緒は人に嫌われてしまう。
押し通しても家ではなんてことはなかったんだから、と外でも同じことをしてしまうだろう。
家でできていないことが外でできるわけがない。
私たちはのんきに七緒に人を無視しても平気な感性と、経験値を踏ませてきてしまったのだ。
普通の子なら慌ただしさや相手の無反応さに気まずさを感じて、それとなく話をやめるのだろう。
けれど、相手の様子を感じ取れない七緒にはそれがわからない。
こういう子だからこそ、ちゃんと理解させ、やめさせなければ。
私は焦っていた。
「何度言えばわかるの。今パパは忙しいんだってどうしてわからないの。よく見て。返事もしていないし、顔も見ていないでしょ。今は話せないのよ」
諭すように解説する。
七緒が話し続けるのはテレビやどこかの本で見た科学の豆知識の披露だ。
一方的な相手の興味関心、反応など全く期待していない、マシンガンのように止まないおしゃべり。
そうかって一言返事してやれば満足するんだから別に構わないじゃないか、と誠司は言うけれどそれではいけないのだ。
やめさせなければ。
「七緒! 黙りなさい!」
伝わらなさにイライラし、結局怒鳴ってハッとさせる。
その繰り返しだった。
「面白くない」
玄関で靴を履きながら誠司が呟いた。
「この頃家にいても楽しくないよ。仕事から帰ってからも朝もピリピリピリピリ。家族でいる時くらいさ、楽しく過ごしたいと思わない? 夕子はこんな毎日で、いいの?」
背を向けた誠司の言葉に、突き放されたような気がした。
私だって好きで厳しくしているわけじゃない。
家族で楽しくいたい、これからの時間を穏やかに過ごしたいからこそ頑張っているのに。
「ごめん。でも、これまでが甘やかしすぎだったんだよ、私たち。七緒が集団の中でやっていくには必要なことだと思う」
私の言葉に誠司は深い息を吐く。
「そうかもしれないけどさ……やべ。ちょっと、遅刻するわ。また今度話そう。行ってきます」
慌ただしく駆け出す誠司を見送る。
「あれっパパは?」
「今出たでしょ。同じ家にいるのになんで気がつかないの」
やはり七緒はこのままではいけない。
夏休みに入るとすぐに月一回の心理指導があった。
心理士に会うのは七夕会以降初めてだ。
前回の心理指導では相談するような出来事がほとんど見当たらなかった。
園でも家でもパニックをおこすこともなく穏やかに過ごせていて、順調ですね。
心理士とのやりとりは現状の確認で終わり、七緒に今必要なスキルはなんなのか、何を目指すべきなのか向こうからは何も教えてくれなかった。
もっとこちらから求めていかなければ。
今回は心理士に尋ねたいことが山ほどある。
七緒が園で穏やかでいられるのは特別に配慮してもらっているからだ。
でも世の中そうはできていない。
七夕会の件ではっきりわかった。
将来社会へ出て、この程度の障害で配慮してもらえることなんてほとんどない。
できることが目立つ分、配慮どころか理解すらしてもらえないかもしれない。
七緒を特別な子ではなく普通の子にするには、どうすればいいか……。
「ちゃんと椅子に座りなさい」
待合室のベンチで座っていられず、本をのぞきこんだまま蛸のように地面へ流れ落ちる七緒を叱責する。
この子は姿勢を保つことが難しいのだと、聞いてわかってはいる。
でも周りはそうは見ない。
行儀の悪い子供。
注意もしない親。
意識すればできることなんだから普通に見えるようになるために、頑張らせなくては。
本を取り上げ腕を掴み、引き上げる。
「先生!」
本を奪われた七緒は、廊下で看護師と書類を覗き込んで話しこんでいる心理士の姿を見つけて駆け寄った。
ベンチに座っていた私も慌てて立ち上がり、会釈する。
驚いた。
七緒は月に一度しか合わない心理士の顔を覚えていたのか。
名前を言ってもピンとこないみたいだったから、わからないものだと思っていたのに。
「こんにちは七緒ちゃん。お久しぶりですね。いま看護師さんとお話しているから七緒ちゃんとお話しすることはできないの。あと五分したらお部屋に案内するね。それまでベンチで待っててくれるかな?」
心理士は早速トークを始めようとした七緒を制止した。
それから私のそばにあるベンチを指さす。
「そうか」
七緒は素直に言葉に従い、ベンチに戻った。
「七緒、心理士さんのこと覚えてたんだ」
「うん。先月は二人で黒ひげ危機一髪をやったのもちゃんと覚えているよ」
七緒が得意げに微笑む。
心理士の顔を覚え、他の職員とちゃんと見分けている。
記憶力だって悪くない。
それならばなぜ園の友達を見分けられないのか。
優里香先生から園ではお友達の顔と名前をまだ覚えていない、と聞いていた。
それなのに、七夕会の時などはっきりと香澄ちゃんの名前を出していた。
その時の出来事と重なる。
わかっているように見えたりわかっていないようであったりする七緒を、どう理解していいかわからなくなる。
七緒は人の顔と名前を覚える能力くらい、本当はちゃんと持っているんじゃないだろうか。
ただ関心がないだけ。
姿勢と同じで意識し続ければできることではないのか。
要は気持ちの問題。
関心を持てば覚えられるなら、ちゃんと関心を向けさせればいいだけだ。
そもそも人と暮らしていくのに人に興味がないなんて、失礼ではないか。
教えればできるのならば、努力して人としての礼儀を身につけさせなければ。
ちゃんと教えなければ。
しっかり躾けなければ。
そうすればきっと七緒は受け入れてもらえる子供になるはずだ。
私は希望を持った。




