3 欠陥
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七緒の成長は順調だった。
保健センターで行われる、市の一歳半検診も難なくパスした。
親の欲目だろうか。
七緒は集められた同じ年頃の子供と比べ聞き分けがよく、まるで小さな大人のように思えたものだ。
検診の待合室では子供達が飽きて走り回ったり、帰りたいと泣き出したりしていた。
でも彼らはあやされ、口にラムネを放り込まれると、驚くほど簡単に気をそらされる。
中にはラムネ欲しさに軽くグズってみせたりと、一枚上手な子もいるくらいだ。
ママ達は世間話で気を紛らせながら、そうしてだましだまし時間を稼ぐ。
七緒はといえば、全くそうではなかった。
ぐずっている時にラムネなんて差し出したら、そんな話はしていない! と突き返すような子だった。
彼女が求めていたのは見通しだ。
後五人終わったら七緒の番よ。
ほら今一人入ったわ、あと四人ね。
そう言ってみせると、七緒は私の腕時計を覗き込んだ。
そして一人当たりどれくらいの時間がかかるのかを計測し、だから私の順番はこのくらいの時間だ、などと笑ってみせる。
まだ二歳前なのに時計も読めるの?
公園で地面にひらがなだって書いてたわよ。
やっぱり学校の先生の子供だもん、英才教育なさってるのね。
やりとりを目にしたママたちにはそんな風に言われたが、そうではない。
あの子はぬいぐるみやボールより文字と数字が好きで、勝手に覚えたのだ。
そんなことを口にしたら反感を買うのはわかっていた。
曖昧な笑みを浮かべ、首を傾げる。
七緒が欲しいのは自分への関心やラムネではなく、規律とルール。
例えば、表示された金額を入れてボタンを押すと見た通りのジュースを出す、自販機のようなわかりやすいものだ。
それがあれば安心で満たされる。
他の子とはまるで、生き物としてのベースそのものが違っている。
まるでタヌキの中に紛れ込んだアライグマのようなものだ。
そっくりな顔して中身はまるで違う。
七緒みたいな子はどこにもいなかった。
ママ達から聞く子育て話は、いっそう私を孤独にした。
検診を終えた頃くらいからだろうか。
七緒は激しい癇癪を起こすようになった。
ひどい時は一日中、なにかしら地雷を踏んでは訴え、泣き叫んだ。
魔の二歳なんて言葉がある。
反抗期。
誰もが乗り越えていくものなのよ。
そう思って、抱きしめてもなだめても、却って火がついたようにのけぞり叫び続ける我が子に耐えた。
うまく言えないけれど、七緒の欲求は決してわがままではなかった。
彼女が欲しているのは、ものではなく、正しい状態。
失敗のない完璧な世界。
納得できる何かだ。
「最初からもう一回やり直して!!!!」
想像と違う事態に遭遇した時、七緒は決まってこう叫んだ。
今ここにあるこれを傷一つない元の状態に戻せ。
そんな魔法使いでもなければ叶えられないような欲求を突きつけ、何時間だって嘆き、訴え続けた。
「七緒は癇癪のスイッチが入ったら手がつけらんない。ホント参るよ」
そんな時、誠司は平気で七緒を置いて外へ出た。
なんて無責任なんだろう、と思ったが案外それは正解だったのかもしれない。
スイッチがオンの間はどんなに気をそらそうとしても、七緒は頑として言葉を受け入れなかった。
切れるまでは何をしても無駄。
むしろ構えば構うほど混乱し、長引いてしまう。
スイッチが切れると、七緒は元の小さな大人の顔に戻り、嘘みたいに平然と話しかけてくるのだ。
だったら、その時に相手をしてやればいいじゃない、と誠司は言う。
気楽な誠司が羨ましかった。
私には七緒を一人家において出て行くなんてこと、絶対にできなかったから。
それにそのスイッチだって切れるのがいつなのか、見当もつかないのだ。
何時間もこだわり続けることもあれば、三十分ほどで切り替えられるときもある。
その間、七緒はまとわりつき訴え続ける。
「もう一回最初から、もう一回やり直して、もう一回……」
そして私が七緒のそばでしたことといったら、全くロクでもないことばかりだ。
しつこくまとわりつく七緒を突き飛ばして部屋の鍵をかけ、引きこもる。
パニック状態になっている七緒の目の前で、いい加減にわかって、できないものはできないのよと叫び、青たんができるほど自分の腿を殴りつける。
血がにじむほど自分の腕に噛みついて泣いたことさえあった。
おかしいのは七緒じゃない。私。
うまく解消してやれない私が母親としてどうかしているのだ。
そう思った。
乳幼児検診は自治体によって方法が違いますね。
夕子の場合、市の指定した日程で同月生まれの子が保健センターに集められて検診を受けるという形にしました。
出生日順などで時間差で受付になっているという感じでしょうか。
今は指定の病院で自分で予約を取ってというところの方が多いのかな?