27 障害があります
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「違う……七ちゃんじゃない。わざと突き飛ばした子がいるんだよ。あたし見たもん」
ママたちが一斉に莉音の方へ顔を向ける。
莉音は、私たちから遠く離れた廊下の突き当たりに立っていた。
皺が付いてしまいそうなくらい、ぎゅっとスカートを握りしめている。
「莉音……」
朝子が息を飲む。
「メガネの子がやめなよって言ったから、髪の長い女の子が突き飛ばしたんだ。泣き出した女の子と一緒にいた子。あの子がやったんだよ」
その言葉に周囲はざわつく。
香澄ちゃんのそばに寄り添っていた女の子……友梨ちゃんだった。
「そんな……」
莉音のすぐ真後ろに立っていた友梨ちゃんママが、青ざめた顔で口元を覆う。
「……みなさん、まだ子供たちに確認したわけではありませんよ。今回の件は子供達のせいではなく、私の責任です。これほど多くの子供達が関わっているのですから、私のクラス運営が至らなかったのです。みなさまや子供達に辛い思いをさせることになってしまい、本当に申し訳ありませんでした」
優里香先生はそう話して再び深々と頭を下げた。
大勢のママさん達の目が友梨ちゃんに向いてしまうのを警戒したのだろう。
「子供達はもう一度お話の時間を持った後、支度をさせできた子から一人ずつお返しいたしますので、もう少しお待ちください」
優里香先生が引っ込んでしまうと、廊下は再び騒然となった。
「ねえねえ、今話してた子は誰? 知ってる?」
「その話が本当だったら、愛羅ちゃんを突き飛ばした女の子は、友梨ちゃんってこと? やだぁ」
「そんな事を言っても、やっぱりあの子のせいじゃない? いくら香澄ちゃんが言ってたってわかってるはずだよ。すっごく賢いんだもん。わざとに決まってる」
あちらこちらから聞こえてくるママたちの噂話は止まらない。
この場で沈黙しているのは千秋と、友梨ちゃんママと、私たちだけだ。
「ママ!」
よそのママ達に色々詮索されそうになって怖くなったのか、離れた場所にいた莉音が朝子の胸に飛び込んだ。
朝子は、七緒との関係を詮索されて私の立場が悪くなることを恐れたのだろう。
後ずさって距離を開けた。
誰? 見たことない人だよね、なんて朝子にまで詮索の目は伸びた。
朝子はさっと後ろを向いて、抱きとめた莉音の姿をママたちから隠した。
それから、優里香先生の監督責任という声も上がった。
この件で来年から七夕会がなくなるんじゃないか、などとお袈裟に言う人までいる。
この中に自分たちは当事者だと感じている人は、どれくらいいるだろうか。
客席に乱入していた子供はたくさんいたはずなのに、みんな他人事のような顔をしている。
自分たちの子は巻き込まれただけで、悪いのは七緒や、香澄や、友梨。
そう結論づけて安堵している。
千秋や友梨ちゃんママに、何人か慰めの声をかけるママたちが見える。
声をかけられた二人は、緊張の糸が切れたようにポロポロ涙をこぼし、ハンカチを頬に当てている。
そのことに少しほっとして、それから孤独感に襲われる。
皆が七緒をからかったのだと優里香先生が話していたのに、それでも七緒のせいという周囲の認識は変わらない。
普通でない限り、七緒が悪なのだ。
賢いのに、わざと、という言葉が頭をめぐる。
どうしたらわかってもらえるの?
どうしたら……
「ご……ごめんなさい。聞いてもらってもいいですか」
私は子供のように手を上げてママたちの注意を引いた。
教壇に立っていた頃は大きな声が出ていたはずなのに、今はうまく声が出せなかった。
「夕子……何を……」
誠司が不安げに身を寄せる。
「これまで敢えてみなさんにはお話をしてこなかったのですが、七緒には障害があります」
私の言葉に場が一斉に場がシンとなった。
緊張に生唾を飲み込む。
「発達障害と言って、見た目ではわからない障害です。年中からの入園になったのも、園と相談の上プレクラスでならしてからと考えてのことでした。ここまで、先生から色々と配慮をいただきながらの通園でした。七緒は言葉はよく知っていますが、上手にコミュニケーションをとることができません。周りの様子や意図が読めず、今回のように、からかいだということもわからず真に受けてしまうことがあるんです。決してわざとじゃないんです……」
七緒が入園してから、この話を事前にしておくべきかどうかずっと悩んでいた。
入園時に、園からもどうしますか? と打診はあった。
四月にある最初の保護者会でお話する時間をとることもできますが、との話だった。
言わなければわからない障害。
見てもわからない障害。
もしプレで過ごした時のように溶け込むことができたなら、伝えることはかえって偏見を生むかもしれない。
そのままの七緒を受け入れてくれたら……。
そう思ってあえて口にしない道を選んだ。
先生がわかっていてくれるのだから、大丈夫だと思っていた。
「障害? あの子が?」
「聞いたことあるわ、発達障害。あれでしょ? よくニュースでも出るじゃない。犯罪を犯した人に発達障害があったとかそういうの。怖いわよね。でもどんなことも悪事の理由にはならないわ」
「でも空気読めないとかいうの、誰にだってあるわよね。そんなの障害のウチに入らないわよ。なんでもできちゃうんだもの。ちゃんとわかってるわよ、ねえ?」
ママたちの声に膝が崩れそうになる。
どうしたらわかってくれるの。
どうしたら許してくれるの?
「ご迷惑ばかりお掛けしたようで、本当に申し訳……」
「謝るな! それは何に対する謝罪なんだ。障害があってごめんなさいか?」
突然誠司が怒鳴った。
「七緒は誰にも危害を加えてなどいないだろ。例えば目が見えない人がぶつかって人に怪我をさせたって言うんなら、それは謝罪すべきだろう。障害があろうがなかろうが関係ない。危害を加えたんだからな。障害への対策はそれとは別問題だ。でも今はそうではない。目が見えないことでからかわれ、そのせいで騒動が起きたようなもんだろ? それにたいして謝罪をすべきなのはどっちなんだ!」
はっきりとした口調で言い放つ。
私に向けて……いやみんなに聞こえるように。
誠司の言葉に周囲がシンとなる。
「目が見えないせいで騒動を起こしてしまいごめんなさいか? 障害があるのがいけなかったのか? 違うだろう。それじゃ障害者は生きていけない。……ここは障害者に対して理解がある園だと妻から聞いていましたが……それは目に見える障害だけを指すのでしょうか?」




