26 七緒を守る
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逃げるな、と言い放った誠司の険しい視線に気圧され、目を逸らす。
千秋はそんな私たちを尻目に、教室のある二階へと階段を駆け上がって行った。
みんな教室へ子供を迎えに行ってしまったのだろう。
気がつくと私達の他に一階にはもう誰もいなかった。
青や緑の札を首にかけた親子が、手をつないで階段を降りてくる。
「ママァ、はやく!」
一人で先に駆け下りてきて階段で叫ぶ子の姿が見え、廊下は再び騒がしくなる。
年中組の教室から子供達が解放されはじめたのだ。
もちろんこれから話し合いとなるアプリコット組はまだまだ時間がかかるだろう。
「行かなきゃ」
階段へ足を向ける私を、誠司が引きとめた。
「夕子、昨日事実確認をきちんとしようって決めたよな。自分のことじゃないんだ。七緒の前で簡単にこっちが悪かったなんて謝るなよ。傷つくぞ」
「七緒が悪いなんて言ってない、私がいけなかったの」
誠司が何かいいかけて、ため息をつく。
私だって七緒が可愛くないわけじゃない。
七緒の探究心や、美しいものに吸い込まれる新芽のように柔らかな心を愛しいと思う。
守ってやりたい。
だけど正しさにこだわって誰かを傷つけ怨みを買うことが、七緒を守ることになるだろうか。
確かに莉音の話は本当だろう。
七緒は嘘なんかつけない。
香澄ちゃんがなにを思っているのかはわからない。
七緒を陥れた香澄ちゃんに対し、グラグラと煮え立つような怒りを感じるのも確かだ。
だけど、と思うのだ。
今だってこんなに浮いていて、よくない行動がいっぱい噂されている七緒だ。
ありのままの七緒で受け入れられるなんて……それは夢だ。
今のままじゃダメなんだ。
千秋や香澄ちゃん達に七緒を嫌って欲しくないからこそ、うやむやにしていたい。
そう思うのは間違っているだろうか。
「わかってる、七緒の前では言わない」
誠司はまだ不満げに眉を寄せていた。
「本当にそろそろ行かなきゃ」
「姉ちゃんごめん、変に目立たせちゃって……うまくやれなくて」
朝子が莉音を体の前に抱きながら、苦い顔をする。
莉音を守るような朝子の姿を見ていると胸が痛んだ。
「ううん。優里香先生ならきっとわかってくれてるはずだから。ありがと朝子、莉音」
そう言い残し、私と誠司は階段へ向かった。
私は七緒の味方をしてやれない。
信じてやれない。
素敵なところも認めてやれないで憂鬱なため息をついてしまう。
ひどいお母さんだ。
頭の中をそんな思いが巡り、自然と足の運びも荒くなる。
だめだ、だめだ、私じゃだめだ。
私に母親なんかできっこなかったんだ……。
「夕子おばちゃんは間違ってる」
声がして振り返ると莉音がいた。
「あたしだって犯人探しなんかしたくないよ。けどやっぱり悪いことをしたら早く見つけないとダメ。いいことと悪いことが、わからなくなったらだめだから。ママはいつもそういうよ」
莉音はそのまま私達を追い抜いたかと思うと、そのまま駆け出して教室前にたむろする大人たちの中へ飛びこんで行く。
「莉音!……全く」
階段下で名前を呼ぶ朝子がもうっとばかりにため息をつき、階段を上がってくる。
ちょうどアプリコット組の教室が開いた。
もう廊下にはうちのクラスの保護者以外残っていない。
「本日は、せっかくの七夕会でしたのに私の配慮が行き届かず、あのような事態を引き起こしてしまい大変申し訳ありませんでした」
中から出てきた優里香先生は子供達を残して扉を閉め、深々と頭を下げた。
ざわざわしていた廊下はいっぺんにしんと静まり帰った。
「本来であれば退場後、子供たちをトイレに促し、そのまま各自教室に戻らせる予定でした。中にひどく体調の悪い児童がおりまして、私が誰にも援助を頼まずつきっきりで対応してしまったため、見る目が手薄になってしまいました。そのために子供達の間で混乱が起き、あのような事態になってしまったんです」
優里香先生の言葉に廊下がざわつく。
「理乃ちゃんでしょ。あの子去年も吐いてたわよ。すっごく緊張するタイプなんだよね」
「でも先生いなくてもさ、みんな去年も経験しているんだからわかるよね? おかしいって思わなかったのかしら」
「ほら、あの子は年中からだから……」
「それでもみんなが教室に戻っていったらわかりそうなものじゃない? 普通なら」
「普通じゃないんだってあの子は」
あの子。
優里香先生が誰の名前も出さず子供達の混乱と表現したにもかかわらず、ママ達の噂は自然と七緒のことに集中した。
「先生、あの子はどうしてあんなことやったんですか?」
ママの一人が先生に疑問をぶつける。
あの子がやった、の言葉に友梨ちゃんママに七緒だけじゃありませんよ、と言った誠司の姿が浮かぶ。
客席に飛び込んだのは七緒だけじゃない。
それなのにママたちの間では事件はすっかり七緒の起こしたものになってしまっている。
質問をぶつけたママさんの子供は教室に戻っていただろうか。
それとも客席に入り込んでいたのだろうか。
巻き込まれて迷惑したと憤っているのだとしたらと思うと恐ろしかった。
「七緒ちゃんにとっては初めての七夕会でした。午前中子供だけの会の時は退場後座席に戻って観劇していたため、クラスメイトの言う事を鵜呑みにしてしまったのかもしれません。単独ではなく複数名が七緒ちゃんに対し席に戻るのだとそそのかし、からかったていたと証言が取れています。七緒さんだけの責任ではないんですよ」
個人名を出さずにいた優里香先生は、もう今更ぼかしても仕方がないだろうと判断したのか七緒の名前を口にした。
先生の口から、香澄ちゃんだけでなく七緒をそそのかした子は他にもたくさんいたのだと聞いて、なぜだかほっと胸をなでおろす。
クラス全体にからかってもいいと思われているというのは、七緒にとって決していい状況ではではないのに。
それでも香澄ちゃん一人に責任の目が向けられるよりはずっとよかった。
「でも普通、言われたからってまさか本当に奥まで入ってしまうとは思わないじゃないですか。だから焦ってみんなで止めに行ってあげたんじゃないですか? あの子なんで入っちゃったんでしょうね。全然様子が違うんだから言われたとしても、普通わかるでしょう」
先ほどのママがさらに食ってかかる。
だからあの子は普通じゃないんだって、と周囲のママ達が失笑する。
「それに先生、愛羅ちゃん救急車に乗っていったじゃないですか。あれもあの子のせいなんでしょ? 救急車に乗る前、愛羅ちゃんママがそう言ってるの見たって噂になってましたよ」
優里香先生が質問に答える前に、別のところから質問の声が上がる。
先生の言葉が詰まる。
嘔吐する梨乃ちゃんにつききりで見ていないのだ。
「……一斉に追いかけた際、誰かがぶつかってしまったんだと思います。七緒さんのせいだとは誰も言っていませんよ」
誰かが、という曖昧な優里香先生の返答に耳を貸す人はいないようだった。
それでもその騒動を起こしたのは七緒なのだから……と。




