22 香澄ちゃん
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「お前が行っちゃうからだぞ! 俺らは止めようとしただけだよなぁ。なんで入っちゃうんだよ」
七緒を追いかけてきた男の子は、必死で唾を飛ばしながら自らの正義を叫び、口をとがらせる。
客席の間に突っ立っている子供達も、そうだそうだと言わんばかりにぎゅっと七緒を睨みつけた。
全部七緒のせいだと言わんばかりだ。
「香澄ちゃんに席に戻れと中に押し込まれたんだ。朝演技した後と同じように席へ戻るんだって」
七緒は整然と尋ねられたことに答えた。
ひるむ様子もなく大人のような口調で、流れるように話した。
言いつけることになるのに、香澄の名前を口にするのにも、躊躇がなかった。
「ひどい! 私、そんなことやってない!」
暗幕のすぐ脇に立っていた香澄は、唇を震わせわっとその場に泣き崩れた。
私は右手で口元を覆った。
まさか、香澄ちゃんが……?
千秋のうちは両家の祖父母も同席している。
大勢の前でこんな風に名指しされ一体今どんな気持ちでいるだろうか。
考えると血の気が引いた。
七緒が友達の名前を初めて口にしたのが、よりによってこんな時だなんて……。
「いいですか。今ここは、そういう話をする場ではありません。演奏中なのですよ。全員すぐに教室へ戻りなさい」
園長先生にぴしゃりといい伏せられて、子供達は悄然として退場口へと戻った。
七緒も不服そうに口を尖らせ首を傾げながら、指示に従う。
客席から戻った友梨ちゃんが、泣き崩れてしゃがみこんでいた香澄ちゃんを支え起こした。
表情までは見えないがなんどもチラリと七緒の方に顔を向けて、話しかけている。
どうしてこんなことに?
「何か子供達の間で勘違いがあったようです。お騒がせして申し訳ありませんでした。ライチ組の皆さん、大丈夫ですよ。時にはこういうこともあります。さあ、もう一度がんばりましょう!」
園長が客席に頭を下げ、それからステージの子供たちを励ました。
そう。園長の言う通り勘違いなのだ。
七緒は悪ふざけでこんなことをするような子ではない。
本人の言う通り大真面目だったのだろう。
たとえ客席が真っ暗で椅子に大人たちが座っていたとしても、席へ戻れと押し出されたら、言葉を鵜呑みにし、そうするものだと信じて実行してしまう。
なんだかおかしい、間違いかもしれない、そう思ったとしても確実に間違いだと言われない限り、確かめようと座席に向かう。
それはとても七緒らしい行動に思えた。
しかし、もし七緒の言う通り……なのだとしたら、香澄ちゃんが七緒に間違ったことを教えたということになる。
自分は暗幕の向こう側に残ったままで。
これは一体どういうことなのだろう?
園長の仕切り直しの後も、なぜか司会はなかなか演技を再開させなかった。
場内が再びざわめき始める。
「すみません、佐藤愛羅さんのご家族の方いらっしゃいますか。それから藤原理乃さんのご家族も……いらっしゃいましたら退場口までお願いいたします」
マイクを通し二組の家族の呼び出しがかかる。
客席の間から愛羅ちゃん、理乃ちゃんの両親が不安げな顔をして立ち上がる。
不穏な空気に場内のざわめきは一層大きくなった。
「きゃあ!」
そうこうしているうちに、過度の緊張からか突然ステージの子供が嘔吐した。
子供達の表情が一気に強張る。
「おいおい、散々だな……」
カメラ席の方から不平の声が上がった。
それらは燻るようにふつふつと会場じゅうに立ち込めていく。
一旦子供達は舞台から降り、10分間の休憩をとるというアナウンスが入った。
舞台も掃除しなくてはなくてはならないし、子供たちの強張った気持ちも一掃する必要があったからだ。
「今の子、本当にこうなることわかんなかったと思う? 大人みたいな受け答えしてさ。わかっててやってるよね?」
「たしかに〜。ちょっと普通じゃ考えられないよね。しかも自分で人のステージぶち壊しといて誰かのせいにするなんて、性格悪いったらないわ」
「ほんとよ。かわいそうに、吐いちゃって……」
アプリコット組の親も会場にいるから遠慮はしているのだろうが、そこここで小さな不満がこぼれ出した。
我が子の晴れ舞台を邪魔されたとあって腹立ちなのだろう。
「……夕子」
突然後ろから腕を引かれ、振り返ると誠司がいた。
思わず目を丸くして仰ぎ見る。
「どう……して」
「出よう。お義父さんたちも、もう外で待ってる」
誠司はそのまま有無を言わさぬ勢いで私の腕を引き出入口へと向かう。
「もうこんなところにいる必要はない。それよりも、すぐに話したいことがあるんだ」




