17 崩れる
17
七夕会の朝、七緒は一足先に園バスで登園した。
園の体育館は狭いため、会場に保護者が立ち入ることができるのは、自分の子供の学年が出演する時間だけだ。
午前中に子供だけで演技を見せ合い、午後が保護者たちの入る本番となる。
年中は午後の一時半から。
私たちは十一時にじぃじや朝子たちと、園近くの国道沿いにあるファミレスで落ち合う約束になっている。
その後一緒に園に向かう予定だ。
バス停からの帰り道、浮かんできたのは昨日園で会った友梨ちゃんママたちの視線だ。
胸にあいた穴から、靄のようにとめどなく不安が湧き出してくる。
昨日の夜、誠司に今七緒が幼稚園でどういう状態なのか話をした。
森さんのことも、千秋の見た七緒の様子も、友梨ちゃんママとのことも、それ以外にいろいろな噂があることも打ち明けた。
過去、七緒の前で自分の腕を噛むなど惨めな行為をしてきたことも、誠司の前ではするりと言葉にすることができた。
困った時にこそ頼るべき医師や心理士の前でも、取り繕って言えずじまいだったというのに。
こんなダメな母親の私を、誠司はどこもダメなんかじゃないと言って固く抱きしめてくれた。
今日園に行くのは、一人じゃない。
誠司がそばにいてくれる。
それでもいざ園に向かおうという段になると、膝が震えた。
「ひっでえ顔。じいさんたちが見たら心配するぞ」
バス停から戻り、リビングに顔を出した私を誠司がくさした。
目が合うと、涙が浮かんでしまう。
「ちょっ……なに」
誠司が知ってくれている。
それだけで、どうしてこんなに弱くなってしまうのだろう。
一人で立ち向かおうとしていた時よりも、今の方がずっと泣き虫だ。
踏み固めてきた土台が崩れ、水がしみどろどろになってしまったみたいに、私は頼りなくなってしまった。
「だって……」
次々に溢れ出す涙を拭う。
「お前……バッカ。なんで……」
コーヒーを飲んでいた誠司は、巣に水を入れられた蟻みたいに慌てふためき、椅子の音を立てて立ち上がる。
「泣くほど嫌なんだったら、家で待ってたっていいんだぞ。大勢行くんだし」
誠司が私の肩に手を当て、ゆっくりと抱き寄せる。
肌を介して直接響いてくる声に、ほっとする。
「それじゃあ、七緒がかわいそう」
「七緒だって、無理して見に来られたって嬉しかねーわ。そんな顔されるより家で笑って迎えてくれる方がずっといい」
そうだろうか。
七緒は人の表情まで目に入らないんじゃないだろうか。
笑っていようが泣いていようが、そこに私という形さえあれば満足する。
そう思いかけて首を振る。
「私、やっぱり怖いんだよ……みんなの目が怖い……」
誠司はうん、と低い声で答える。
「堂々としていればいいって思うかもしれないけど、それでも足が竦むの。ずっと味方してくれてた千秋にだって、会うのが怖い」
千秋のことは昨日話したけど、誠司はきっともう名前なんか忘れてる。
誰のことだかわからないまま、黙って聞いているんだろうな。
そう思いながら、でもそれでもただ頷いてもらえることが心地よかった。
「じぃじたちが見に来ることだって怖い。せっかく来てくれるのに、がっかりさせないかな。みんなと同じようにできなくても、七緒のこと今までと変わらず可愛い孫だって思っていてくれるかなって」
私は不安をどんどん吐き出した。
「莉音や詩音も呆れずに、七緒のこと好きでいてくれるかな。……朝子は、これまでどおり七緒を子供達のそばにいさせてくれるかな……もうこれ以上、誰にも嫌われて欲しくない……」
このままの私を、七緒を受け止めてもらいたい。
嫌われたくなくて、比べられるのが嫌で、大切な人にさえ会うのが怖い。
夕ちゃんはいい子ね、それに比べて朝ちゃんは。
朝子と七緒の姿が重なる。
七緒はこんなに素晴らしいのに。
「そんなわけ、あるかよ。……夕子は、なんか誤解してる。ちょっと待ってろ」
誠司は身を離すと自室に駆け込んだ。
※ぽやっとしていたらストックが尽きてしまいました。
しばしお休みし、27(木)より連載再開と致します。