16 誠司
16
夜、洗濯物をたたんでいると突然冷たいものが首筋に触れた。
ひゃっ、と肩をすくめ、振り返ると誠司が真顔で見下ろしていた。
「ほれ」
誠司が手にしているのは、チルドから取り出したばかりのキンキンに冷えたビールだ。
「……ありがと」
「ちょっと休憩して、酒盛ろーぜ」
私がビールを受け取ると、誠司は顎でテーブルを指した。
「もうちょっとで終わるから……」
ひとまずビールを傍らに置き、洗濯物をたたみ続ける。
すると誠司は私の向かいに腰を下ろし、近くにあったタオルを手繰り寄せ、たたみ始めた。
「ありがとう」
私は顔も上げずに呟いた。
誠司は普段あんまり気が利くほうじゃない。
私が風邪をひいていても言わなきゃ気付かないし、家事が押してバタバタしていても平気でテレビを見ていたりする鈍感なタイプだ。
言えばやってくれるし、困っているとわかれば助けてくれる。
優しい人ではあるのだけれど。
そんな彼がこんな風に寄ってきて自分から手を貸すのは、なぜなのか。
私にはもう、わかっていた気がする。
「夕子さー……俺が七緒を風呂入れてる間、泣いてたよな」
誠司はちらりと上目遣いでこちらの様子をうかがっている。
やっぱり、気付いていたんだ。
風呂から出た後テーブルに着いた誠司が、お盆を運ぶ私の顔を妙にじっと見つめていたのを思い出した。
慌てて涙をぬぐったせいで、擦れて頬が赤くなっていたのかもしれない。
「…………なにそれ。気のせいじゃない?」
私は誠司の視線に気づかないふりをして、手元の洗濯物をたたみ続ける。
「七緒、幼稚園でうまくいってないんじゃないか?」
風呂場での誠司は七緒から聞く幼稚園での出来事に安心し、芯から喜んで相槌をうっていたのではなかったのか。
甲高く幼い声に不釣り合いな固苦しい言葉使いで、得意げにどこか上から目線で語られる七緒の報告。
それに対して大いに感心したようにそうかぁ、と言って見せる誠司の間延びした声が浮かぶ。
あれは演技だったのだろうか。
誠司は七緒の話をどんな思いで聞いていたのだろう。
「……そんなことないわよ。七緒は楽しんでる。それより明日の七夕会。大所帯だからね。じぃじと朝子達も来ることなったの覚えてるよね?」
洗濯物を畳み終え、顔を上げる。
誠司に私の不安をどう話していいかわからなかった。
困った時にも深く悩まず、即解決策を検討して実行しようとする、男らしく頼り甲斐のある夫だ。
だからこそ園からの報告がなく事実関係が何一つ明らかではない今、曖昧な話を伝えて事態を混乱させたくはなかった。
彼を巻き込むのが怖かったのだ。
「……なんだよそれ」
眉間に皺を寄せ私を睨みつける誠司の目には、怒気がこもっていた。
「ほら〜もう忘れてる。ばあばが仕事で、じぃじ一人で園に行くのが嫌だから朝子達誘っちゃったって前にも言ったよ?」
誠司の怒りに気がつかないふりをして、いなすように顎を上げ口を尖らせてみせる。
「頼むよ、もう」
軽く笑って洗濯物を手にし立ち上がろうとすると、両の腕を掴まれた。
「そうじゃなくて……ごまかすなよ。泣くほど辛いことがあるんだろ? なんでとりつくろうんだよ」
腕を握る手に力がこもり、誠司の口元が歪む。
「大事な奴が泣いているのに俺には何もできないのか? ……俺は、なんのためにお前のそばにいんだよ」
私はこれまでただまっすぐ七緒を思って、最善を尽くしてきたつもりだった。
そこではいつも一人ぼっちだった。
でも、どうして一人でなんとかしなきゃなんて思ってしまったんだろう?
いつもそばに、誠司がいたのに。
「……ごめん……」
誠司の胸に額をつけると涙が溢れ出した。
私は、一人ぼっちなんかじゃなかったんだ。