1 夕闇 <塗り絵:雪華さんから>
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七緒の幼稚園が夏休みに入る前日、園で妹の朝子に会った。
ちょうど七緒を年長組の靴箱まで送り届け、帰ろうとしたところだった。
「久しぶり!」
私の姿を見つけた朝子は、手をあげて笑いかけてきた。
それに気づいた甥の詩音が母親の手を振り払い、勢いよく駆け寄ってくる。
「おばちゃん、七緒は? もう行った?」
尋ねたかと思ったらあっと叫び、答えも待たずに走り去る。
靴箱の前でお尻をつけて座っている、七緒の姿を見つけたのだ。
「もう、あのバカ」
後から追いついてきた朝子は、私の隣に並び腰に手を当てる。
小さな二人の姿に目を細める姿が眩しく映る。
「七ちゃん、すっかり馴染んだな。物知りだからクラスでマジ尊敬されてるって詩音が言ってたわ。あのバカ、俺のいとこだぞって自慢げにしてるみたいだけど。家ではどう?」
何気ない言葉に、朝子の気遣いを感じる。
七緒の転園はこれで二度目だ。
今度こそうまくいってほしい。
これまでの経緯も私の不安も、朝子はみんな知っているのだ。
「うん。ブランクがあったとは思えないくらい、スムーズな一学期だったわ。詩音のおかげだね」
上履きのかかとを踏みつけた詩音が七緒の隣にしゃがみ込み、おしゃべりするのを眺めながら答える。
七緒は上履きを持った手を止めて、詩音の話に夢中だ。
手を動かしながら聞けばいいのに、七緒は本当にどんくさい。
「あんなバカでも、役に立てることがあって嬉しいわ」
朝子の笑顔は文字通り朝顔に似て、みずみずしく爽やかだ。
おおらかで、温かくて。
私とはまるで違う。
もし七緒の母親が私じゃなくて朝子だったら、七緒は今より幸せだったんじゃないだろうか。
射るように鋭くそんな思いが胸をよぎる。
いけない。
私のそういう思いが、七緒を苦しめてきたのだ。
思わず首を振る。
「ううん、本当に。今の七緒があるのは、詩音と朝子のおかげだもの」
私が笑うと、朝子はなぜか首を傾げて困ったような顔をした。
胸にムカデが這うかのような、ぞわぞわとした焦りが沸き起こる。
「あの七夕会からもう一年が過ぎたんだし。気持ち、切り替わった。ほんとに」
続けて口にした言葉に、また余計な事を言ってしまった、と冷や汗をかく。
子供の頃からそうだ。
私は人の顔色を伺いすぎる。
「そっか。よかった」
たぶん朝子は、私の言葉を信じてはいない。
でも信じたような演技をしてみせる。
鷹揚に笑って。
「姉ちゃん、夏休み暇だろ? 一緒に遊びに行こう。莉音も詩音も喜ぶし」
莉音は詩音の姉で今年から小学校に通っている。
年が近いせいか三人はとても気が合っているように見えた。
「そうだね、近いうち連絡する」
私はそう返し、手を振って別れた。
でも、きっと私から連絡することはない。
私は人が怖いから。
とてもじゃないけど自分から連絡なんてできない。
朝子はそれもわかっていて、きっとあたりまえのように誘いの電話をかけてくるだろう。
門を出てすぐに、重く気持ちが打ちのめされているのを感じた。
また、上手くやれなかった。
一年前の七夕会の話なんか、どうして持ち出してしまったんだろう。
また、気を遣わせてしまった。
また……。
私の心は夕闇の色に沈んだ。