第三十二話 肉と、血と、涙と。
縁ちゃん視点です。
長いの続いたので、次の展開への接続上、ちょっと短め。
横道が訪れた、その翌日。
県庁。教育委員会の分室。
いつものようにドアをすり抜けた幻宗は、次いでそれを開けて入って来た古谷老人に振り返る。
『いつも我らより早い渡瀬殿がおらぬな?』
「おや?
兄者、なにやら書置きが。」
自分のデスクの上のメモを手にした古谷は、それを幻宗とともに見た。
----ごめんなさいっ! 幻宗さん! 古谷さん!
ちょっと早いけど、夏季厚生休暇に変えて一週間休みますッ!!----
『なんとも落ち着かぬ走り書きぶりよのう。』
「だいたいどこに行ったか、察しがつきますが。」
『ふふ。まあ、よいではないか。』
縁ちゃん視点です*****************************
どんどんどんッ!
朝、いきなりアパートのドアを叩く音が。
ふえええッ?!
なになになに?
ビクッとして固まっちゃった私。
「なんだろ、朝っぱらから。
大家さんかな?
家賃まだ大丈夫なはずだが……。」
パジャマ姿のまま、寝ぼけ眼の先生は、朝食中のキッチンの椅子から立ち上がると、よろよろっとドアに向かった。
『私、誰だか見てきますよ?』
「ああ、いいよ、縁。俺、出るから。」
かちゃ。
「どちらさ
「雨守クンッ!!」
ふわああああッ!
言いかけた先生に、抱き着こうとする渡瀬さんがそこにッ!!
『ストップストップストップ!!』
口から魂が飛び出るんじゃないかってくらい慌てちゃったけど、すんでのところで間に合って、先生と渡瀬さんの間に紙一重の状態で滑り込むッ!!
「あっ! ご、ごめん……なさい。」
私と目が遭った渡瀬さんは、愕然としながら小さく声を絞りだした。
『いえ。
その、あの、抱き着きたいのはすごくよくわかるんですけど、
先生、まだ肋骨が。。。』
そこに立ち尽くした渡瀬さんの体は震えていた。
私から視線を移し、しばらくの間ずっと上目遣いで私越しに先生を見つめる渡瀬さんは、今にも泣き出しそうだった。
って……あれ?
もしかして知ってるの?
先生がまだ骨折しっかり治ってないってこと……。
どうして?
先生は桜ケ丘高校を退職する時、書類を出しただけで渡瀬さんに理由は伝えてなかった。
私は絶対言った方がいいって言ったのに。
私が言葉に詰まってると、渡瀬さんは堰を切ったようにしゃべりだした。
「嘘だって……思いたくて。
でもホントだったらどうしようかって。
不安で、不安で。
でも無事で、良かった。
私……どうしたらいいか、わからなかった。」
次の瞬間、ただ棒立ちになって、その場に声をあげて泣き出した渡瀬さんにびっくりしてしまった先生は、おどおどしながらその手を彼女の肩に乗せる。
「と、とにかく、中へ。な?」
「うううッ! ううッ!」
美人なのに垂れてしまった鼻水をぬぐいもせず、まるで子供のように泣く渡瀬さんを先生はどうにかなだめながらキッチンの椅子に座らせた。
「いったい、どうしたって言うんだよ?」
先生から差し出されたティッシュを、ボックスから続けざまに何枚も何枚も引き出すと渡瀬んさんは涙を、鼻を、もうなんだかわからないくらいにぐしゃぐしゃに拭き出した。
「フグッ……これ……。」
「なにこれ?」
渡瀬さんがバッグから取り出してテーブルに置いた二つのカプセル。
医療関係に使うものかな?
て……まさか?
「これ、雨守クンの肉と血……だって。」
「は? はあああああッ?!」
今世紀最大に驚いた顔をしたのは、先生だった。
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『それじゃあ、渡瀬さん達が、その嗅ぎまわってたって人から
先生を守ってくださったんですね?』
「いや。守られたのはお前だよ、縁。ありがとうって、言うべきかな。」
「うえ~~んッ!」
私と先生を交互に見ていた渡瀬さんは、また泣きじゃくりだした。
『ど、どうしたんですかっ?』
「雨守クンのことだから、きっト
縁ちゃんを守ろうとした ン でしょ?
それはい ィの。
雨守ク が大事なのは、縁ちゃんなん って。
わかってるのにッ。
でも、私、その場にひらへなはっはほほが悔ひくて。
悲ひくて。
うえ~~ん。」
泣きながらだから、時々聞き取りにくかったけど。
「バッ、ばかこいてんじゃないぜ、まったく。
助けてもらったのは俺だ。
縁がいなかったら、今ごろ俺は……。」
すると渡瀬さんは、今度は先生を睨んで涙をだだ流ししながら叫んだ。
「やっぱり! うえ~~んッ!
雨守クン、なによッ?!
きっと雨守クンの前に縁ちゃんが立ちふさがって守ってたんでしょ?!
あなたがこんなんなるってことは、
普通なら雨守クンより縁ちゃんが被害甚大だったはずじゃないッ!
どんだけ勇気いると思ってんのよ?
それをのほほんと朝寝坊してコーヒー飲んでッ!
甘ったれてないでさっさと治りなさいよッ!!」
『わ、渡瀬さんッ?!』
「泣いたかと思えば勝手に怒って、いったい何しに来たんだよ?」
『先生、それは言い過ぎですッ!!』
「うわ~ん!!」
『先生、渡瀬さんに感謝しなきゃダメですよぉ。』
少し、口を尖らせたら先生は渋々頷いた。
「ン……してるよ。そりゃあ、もちろん。でも、どうしてまた急に。」
もう、先生ったらほんとに鈍感なんだから……。
ひとしきり泣いた渡瀬さんは、まだ肩をひくひくしながら小さく、とぎれとぎれに答えた。
「ごめん なさい。
なんだか、安心 したら、気が抜け ちゃった。
落ち 着いたら、帰る わ ね、
縁ちゃん。」
「そうか。」
『そうかじゃないですッ!
渡瀬さんッ!
いいからちょっとゆっくりしてってくださいね!
ね、ほら鼻かんで。』
私の差し出したティッシュにそのままチーンと鼻をかませる。
なんだか渡瀬さんが可愛いような。
でも、何してんだろう私って気がしないでもないですッ。
ようやく、おちついた渡瀬さんは、ホントに魂が抜けたように、呆けたままつぶやいた。
「私、一週間だけ、ここにいていい?」
「はあ?!」
『どうぞ!!』
ふえっ?!
勢いでそう言っちゃったけど、今、なに言っちゃったんだろ?
私!