第二十八話 なりすまし④
『先生ッ!』
「さあ、どうした?
ここまで来るのが精一杯って感じだが大丈夫か?
これから殺やり合おうってんだ。
頼むぜ、おい?」
顔色が白く感じられる先生は、少し前屈みに顎をひいたまま、小さな掌内さんを上目で見つめた。
「誰もわかってくれないと決め込んで、
人を信じられないまま死んだから無理もないが。
……後代は信じられるんじゃないのか?」
「……はあッ?」
少しの沈黙の後、彼女は顎を上げて先生を見つめ返した。
『先生には、私達の話が聞こえていたわ。』
「幽霊の私を見抜いただけじゃなく、盗聴まですんのか?
呆れた野郎だな。」
先生はゆっくりと前に一歩踏み出した。
「誰彼かまわず敵に回してたんじゃ、この先やっていけないぜ?
まずはその体から出るんだ。」
「なに偉そうな口きいてんだ!
お前ら教師は皆そうだ!
それで何かありゃあ、
てめえだけは関係ないってツラして高みの見物なんだからな!」
『雨守先生はそんな人じゃない!
今、私に話してくれたじゃない?!
先生だって、わかってくれてるわ!!
これから先、どうするか一緒に考
「うるさいっ!
お前は黙ってろ!!
さあ、かかって来いよ!
さっき見せた『闇』とやらで、私を葬り去るんじゃねえのかよッ?!」
彼女は私の声を遮って先生に食って掛かる。
まるで挑発するように。
先生は彼女を睨んだ。
「自殺なんて手段選ぶような奴だから、
死んでもなお、自暴自棄になってるわけか。」
「ふんッ。
盗み聞きしといて、なんでもお見通しってツラしてんのが……。」
小さな体を震わせながら深呼吸をすると、彼女はくわっと目を見開いて叫んだ。
「気に入らねえんだよッ!!」
突然、草むらからの熱気がぶわっと辺り一面に湧きあがった。
無数の草が根っこの土をつけたまま、ぶちぶちっと地面から抜けて空へ舞い上がっていく。
なにをしようというのッ?
私の疑問は次の瞬間には解けた。
草が目的じゃないッ!
地中の石だッ!!
小さな石から握りこぶしくらいある石まで、いくつもいくつも空中に浮いてきたッ!
『先生ッ! 伏せてッ!!』
叫び終わるより早く、私は先生の前に飛んだ。
石はまるで弾丸のように飛んでくる!!
こんなもの喰らったら、先生が死んじゃうッ!!
先生を守りたい一心で、瞬きもせず両手を広げるッ。
飛んできた石は私の直前で、空中で大きな音を上げて細かく爆ぜていく。
でもだめ!
止められはするものの、砕けた破片のいくつかは私の体をすり抜けて……!
「がはッ!!」
振り向くと先生の体から、霧のような血煙が上がっていた。
『先生ッ!!』
地面にうつぶせに倒れた先生は歯を食いしばっている。
「に……二、三発喰らった。」
そんなことないッ。
もっといっぱい、体に受けている!
高笑いの後、彼女はふざけたように囃し立てる。
「ほらほら先生!
早くアレ出さねえと、次こそ死ぬことになるぜ?
本気でこいよッ!!」
『もうやめてッ!』
私の叫びに、一度彼女は顔をしかめると怒鳴り返してきた。
「これからの頼子に、私を知ってるこいつがいちゃあ……。
邪魔なんだよッ!!」
今度は彼女の背後にあった、あの桜の木。
その三分の一ほど残っていた幹の根元が、ぐぐっと地面ごと盛り上がった。
根っこについた土がばらばらと落ちる。
その下に、人が抱えられないほど大きな石……違う、岩が見えた!
あんなのぶつけられたら、今度こそどうなるかわからない!!
それに、その前に私の力が……。
ボゴボゴっと音を立ててその岩は、桜の根の一部を地面から引きちぎりながら空中に浮きあがった。
その時!
ウオオオオオオオオオオオオンッ……
獣か何かの悲鳴か叫び声のような音が、公園中に……いえ、周囲の山の木々を揺らすほどに響き渡った。
驚いた彼女はあたりを見回す。
空中に浮いていた岩が、ドーンという地響きを上げてその場に落下する。
「あの、桜だ!!」
先生はおでこを地面につけたまま起き上がろうとする。
『え?』
次の瞬間、くらっとよろめいた私は、桜に向かって ぐんっ と吸い寄せられ始めた。
いけないッ!
抗おうにも、さっきまで飛んでくる石を防ぐのに精一杯だったから、もう力が入らない!!
「縁ッ! 手を離すな!!」
先生は口から血を吐きながら、私の右手を掴んだまま倒れた。
『先生ッ!!』
「あの桜……まだ、生きてやがった。
あいつに根っこ切られて、い、生き延びようと、
霊を……お前を取り込もうとしているッ!」
四月に激しい雨で折れてしまった桜は、そこに数百年も取り込んでいた霊達のすべてを放出していたからだ。
「ごほっ!!」
突然先生が咳込んだ。
その瞬間、先生の手の力が緩んだ。
私の力は……もう、残っていなかった。
『ああッ!!』
地面を滑るように一気に体が足から引っ張られる!!
桜の幹が目の前いっぱいに迫った時、一瞬肩が外れたような錯覚を覚えた。
『あなた?!』
見上げると、私の手を彼女が掴んでいた。
頼子さんの顔は、なぜか穏やかに見えた。
「後代、縁。あんたに会えて、良かったよ。」
そう言うと、彼女はいきなり私をものすごい勢いで先生のもとまで投げ飛ばした。
『なにをしようというのッ?!』
「じゃあね。」
ふわっと頼子さんから、その体より二回り以上も大きな女の幽霊が現れた。
頼子さんの体はがくっとその場に膝をついた。
髪を後ろで束ね、そばかすのある大人しそうなその幽霊は、私を見て寂しそうに笑った。
そして抵抗する様子を微塵も見せず、桜に引き寄せられてく。
『私ね、紗枝っていうんだ。』
そう言って笑うと、その姿は一瞬うごめいたように見えた桜の幹に、音もなく呑み込まれていった。
同時に周りでさざめいていた山の木々も、何事もなかったように静かになった。
「『紗枝さんッ!!』」
私の声は、最初に聞いた頼子さんの声と被った。
頼子さんは生きていた。
ずっとそこにいたんだ。
「紗枝さんッ! 紗枝さんッ!!」
よろよろっと立ち上がった頼子さんは、泣きながら桜の幹に抱き着いた。
「頼子も紗枝に、依存していたのか……。
どおりで気配はあれど、その意識が良く見えなかったわけだ。」
起き上がってそう呟く先生を、私は支えながら寄り添った。
すると、桜の幹に白い顔が一つだけ浮き上がってきた。
穏やかでとても優しい顔をした紗枝さんだ。
『泣かないで。頼子。』
「紗枝さん、私を守ってくれるって言ったじゃない?
私を一人にしないでよ!」
涙を拭うこともなく頼子さんは叫ぶ。
紗枝さんは優しく答えた。
『違うよ、頼子。
私みたいに、自分から一人にならないで。』
頼子さんはだだをこねるように、その顔を紗枝さんの顔に押し当てた。
『ここでいい友達、見つけるんだよ。
大好きなイラスト、たくさん描いて。
ちゃんと人に見せて!
きっとその先生、私のことも黙っててくれるから。
もう誰も、頼子を怖がりはしないから。』
「でも、だからってあんな酷いことしたらダメだよ。」
『私に説教するくらいなら、心配ないか。』
声にだして紗枝さんは明るく笑った。
先生と二人、桜に近づきながら私は声をかけた。
『紗枝さん。
あなた、頼子さんから出たら、
最初から自分は消える気だったんじゃ?』
『……悔しいけど、その先生の言う通り。
自殺なんて死に方すると、いいことなんて一つもなかった自分を、
消してしまうことばかり考えちゃってさ。
成仏もできそうになかったし、ヤケになってたしね。』
「もう私、自殺したいだなんて、言ってないよ?」
『ああ、そうだね。
頼子は強くなろうとしてたもんね。
ただ……。』
紗枝さんは頼子さんに向けていた優しいまなざしのまま、先生を見上げた。
『その先生に私のこと気づかれたから、
前の学校のように、また頼子が周りから怖がられるんじゃないかって。
それであの準備室を飛び出しちゃったけど。
……その先生に、一思いに消して欲しかったのかも知れない。』
「大人を利用しようだなんて。大概にしろよな。」
静かに言う先生に、紗枝さんは一度苦笑すると目を閉じて呟いた。
『あんた、ほんとに変な人だね。よく先生だなんて……。』
その時、肝心のことを私は聞いていなかったことを思い出した。
『紗枝さん、どうして私を知っていたの?』
『ごめん。
なんだかもう、眠くなっちゃって。
こんな安らかな感じ、初めてでさぁ。
……ありがとう、縁さん。』
そう言ったきり、紗枝さんは覚めることのない眠りについてしまった。
もう日は暮れて、あたりは暗くなり始めていた。
痛いのはイヤなんですってば