第二十七話 なりすまし③
人間の体で移動してるんだから、まだそんなに遠くには行ってないはず!
一気に急上昇して、まずは上空から通学路を見下ろそう!
いたッ!
通学路の桜の枝葉の間に、掌内さんの体が見えた。
坂道を駆け下りていく彼女は途中の十字路で、なぜかぴたりとその足を止めた。
そして右に曲がると、ゆっくり歩いていく。
あの桜があった公園に向かってるわ!
今度はそこに一気に急降下して……そのつもりが!
突然眩暈がして私は公園の草むらに落ちた。
西日のさす草むらからは、もわっとした熱気が立ち込めている。
暑い……。
なんとか立ち上がったけど、体が思うように動かない。
こんな時にッ?!
彼女はと見ると、あの折れた桜の、まだ半分残った太い幹を背に私に気がついたみたいだ。
今は怒鳴るでもなく、ただ恨めし気に私を見上げ、見つめている。
とにかく話を!
『なんて呼べばいいの? あなたのこと。』
「は?」
『私は後代、縁。
あなた、私のことどうして知ってるの?
一体、誰なの?』
彼女は、しらけたように首を振ると再び私を睨んだ。
「……あいつとはどういう関係なの?」
『あいつ? 雨守先生のこと?』
「教師なのはわかってる。
教師なんて奴らは皆死ねばいいのに。」
吐き捨てるようにそう言う彼女は、それでもまだ美術準備室で見た鬼のような形相からは程遠くなっていた。
可愛らしい掌内さんの顔のまま、ただ眉を顰め、私から目を逸らしていた。
『私だって、死ねとまでは思わないけど軽蔑してた先生はいたわ。
死んだあとまで、そんな嫌な先生絡みのつまらない噂を立てられてた。
それに死ぬなんて思ってもいなかったから、描き残した絵に未練があった。
それで死んだ場所に縛られて、成仏もできなかった。
でも先生はそんな私を見つけて、話を聞いてくれたわ?』
「……くだらない。」
『そうかしら?
私はある人の力を借りて他の幽霊が見えるようになったけど……。
最初から他の幽霊が見えて、
ものを動かせる力まで持っているあなたにはわからないでしょうけど、
それまで言葉でも、手紙でもなんでも
誰にも気持ちを伝えられなくて、一人きりで、切なかったわ。』
「孤独だったってか?」
吐き捨てる彼女に、力強く答えた。
『そう。だからこそ、私には雨守先生は大切な人よ!』
すると彼女はまっすぐ私を見つめ返してきた。
「その大切な男を傷つけられて、怒って追って来たってか?」
『怒るというより、あんな暴力は許せない。』
「ふん……どっちも同じじゃんか。
私にだって孤独がどんなものか、それくらいわかる。
生きていた時は、誰もわかってくれなかった。」
『ねぇ、あなたには一体何があったの?
掌内さんとどういう関係があるの?
なぜ、そんなに憎しみをまき散らすの?』
「いいよ。
あんたに負ける気はしないから教えたげる。
雨守っていったっけ?
あの男にはどうせ、わかるだろうから。
その前に自分の口から話しておく。」
この人、雨守先生だけじゃなく私も憎んでいる?
理由もわからないなんて嫌だけど、話を聞きながらなにかわかりあえないかな?
でもそのあと、どうすればいい?
眩暈をこらえて彼女を見つめる。
彼女はゆっくり山の奥を見上げると、夕日に目を細めながら話し出した。
「私もさ。ずっといじめられてきてたんだ。
図体でかいし顔も可愛くないの、笑われてね。
保育園、小学校、中学校と、ずっと。
糞のような男子は毎日後ろから蹴り入れてくるし。
サンドバッグじゃねえんだっつーの。」
そして掌内さんの、
身長140㎝ちょっとくらいの小さな体、その左腕をそっと右腕で愛おしむように撫でおろした。
さっき見た思念派で、彼女の体格が大きいのはわかっていた。
私より遥に……むしろ雨守先生の背丈くらいはあったもの。
でも、もしかして……。
本当は、穏やかな人だったんじゃないの?
毎日蹴られてたって、無抵抗だったってことでしょ?
その反動で……今までのきつい言動は強がり?
「隣町の高校に進めば、何もかも変わるんじゃないかって思ってた。
でも、どこも同じさ。
ねぇ、にこやかな女が一番怖いって、知ってる?
私みたいなの、守ってるふりしてると点数上がるからね。
引き立て役じゃねーっつーの。」
『そんな人がいたの?』
「ああ。
それが一番、質タチが悪くてさ。
周りのバカな連中使って私を笑い者にして、いいとこで自分登場。
それを無自覚でやるんだぜ?
担任のバカも、成績優秀なそいつのこと丸々信じ込んでてさ。
皆、何もわかっちゃいないんだ。」
『誰にも言えなかったの? 親にも?』
「親ねぇ……。
できちゃったなんとかで、種撒いたほうの顔は知らない。
母さんは生きてくので精一杯だったからなぁ。
あんま、話してなかったわ。」
『ごめんなさい。』
「なに謝ってんだよ、バカじゃねえの?
それかあんたは恵まれてたんだろうよ。」
思わず、はっとしてしまった。
私は、恵まれていた……確かに、親には何でも話せたもの。
無意識に、自分の価値観で話してしまった。
この人は、そんな相手の心も見抜いていたんだわ。
うつむいた私に、彼女は静かに続ける。
「別にいいさ。
でも、笑われるってのは毎日が苦痛でな。
どうにも我慢ができなくなって。
自分でも、つまんねえことしたって、後悔してる。
……私、首吊ったんだ。」
『自殺……したの?』
「説教ならごめんだからな?
図体でかいのが災いしてさ。
途中で縄が切れて落ちた時に頭部強打。
昏睡して数日後にようやく死亡。
死んだ時まで笑い者になっちまった。」
『そんな! 笑い者だなんて。』
彼女は少し、自嘲するように笑った。
「周りの連中は裏じゃそうだったのさ。
特にあの女、
私が隣で眺めてるのも知らずに、人前で悲しそうに泣いて見せてさ。
その直後、トイレじゃケロッとしてやんの。
どんな演技派女優気取ってんだか。」
『酷い……。』
「だろ?
腹が立ったから少しでもホントのこいつの姿を晒してやろうと思った。
私、遺書とまでいかないけど、
こんなことあったって日記は付けてたんだ。
それを母さんに分かってもらうように、枕もとに置いた。」
『お母さん、驚いたんじゃないの?』
「そうだなぁ。
いつも忙しそうで、特にかまってもらった覚えもないのに。
母さんは死にそうな顔してその日記持って方々に訴えたよ。
本当のことが知りたいって。
私が話しておけばいいだけだったのに。
言えるわけないじゃんか。
一番大好きだった人になんて。」
『うん。心配かけたくないもの。』
「うん。
でも結局何も変らなかったよ。
あの女も、周りの連中も、そんなつもりじゃなかったって。
大勢でよってたかって笑いものにしてたから、その自覚も割り勘さ。
ふざけんなっつーの。」
『それで、どうなったの?』
「結局、なんとか調査委員会なんてのを作る作らないだの。
遺書って明確に書かれてないだの。
いじめと決められないだの。
そんなことに一年間。
……その間に母さん、疲れが原因で死んじまったよ。」
『そんなのあんまりッ
思わず叫んだ私を、手を振って止めながら彼女は初めて悲し気にうつむいた。
「私は死んで初めて、母さんに謝った。
でもさ。
その時初めてわかったんだ。
幽霊同士、相手がわかるわけじゃないんだなって。
母さんには、私の姿も、声も……。
母さん一人、なんだかまぶしい光の中に消えちまった。」
言葉に詰まってしまった私の顔を見上げると、また彼女は冷めた笑いを口元に浮かべた。
「そんな時さ。頼子に会ったのは。
頼子は夜、電車に飛び込もうとしてた。
自殺なんて、バカしかみないだろ?
とりあえず話を聞かせてもらおうかなってさ。」
『それって、いつのことなの?』
「この春、頼子は高校に入学したばかりだった。
頼子には私が見えた。
私を怖がりもせず話してくれた。
桜が咲いた……こんな公園の隅で。
やっぱり親には言えないって。」
『じゃあ、トイレで大勢の子から暴力受けていたのは……。』
「へえ、話が早いな。
そんなもの、私はあんたらにぶつけてたのか。」
驚いたように彼女は目を見開いた。
「ああ、それは頼子の記憶。
中学卒業まで、そんなことの繰り返し。
笑ってやり過ごせば、それ以上酷いことされないって思ってたらしい。
バカだろ?
人のこと言えないがな。」
『あんなこと、毎日のようにされていたら、
どうしていいかなんて、誰だってわかんないよ。
バカだなんて、言えない。』
あの学校で、奥原さんだって自尊心を壊されて戻れなかったんだもの。
中学生の頼子さんなら、尚更。
全然悪くないのに。
悪いのはどんな理由を並べたって、絶対いじめる側なのに。
「高校に入れば解放されるんじゃないかって頼子は思ってた。
でも、まさか同じ高校にあいつが進学していたとはね。
黙ってたら相手の思うままだし、
頼子が死んだところで、あいつは笑ってるだけだって。
私が経験したこと、そのまま話した。」
この人、本当に自分のこと後悔してるんだ。
それで頼子さんを……。
深く彼女は頷いた。
「私が守ってやるからって約束した。
そうしたら頼子が一緒にいてって言ったんだ。
勇気を出して嫌だって言うって。
私以上に辛い思いしてる頼子を、もうほっておけなかった。」
『それで憑依したの?』
「ああ、そういうこと。
それに雨守って奴の言ったとおりさ。
頼子を殴ったあいつを、あの時私は殺すつもりだった。
まあ脅かすのが精いっぱいだったけどね。
あいつが間抜けな死に方してくれたお陰で頼子は解放された。
でも。」
『でも?』
また彼女は自嘲しながら首を振る。
「私のせいなんじゃないの?
あいつの取り巻きがぎゃーぎゃー喚いて下らない噂流して。
それで……頼子は学校に行けなくなった。
だから。」
『ここに転校してきた……。
でも、さっきあなた「こんなとこに来なければ」って。
誰がここに来ようって決めたの?
頼子さんは無事なの?
そこにいるの?!』
問いかける私には答えもせずに、彼女はまた不敵な笑いを浮かべて、私の背後を睨んだ。
「おしゃべりはここまでだ、後代縁。
さあ、ケリでもつけますか。」
振り返るとそこに、脇腹を抑えてかろうじて立っている先生がいた。