第三十四話 恩師②
「ええ。『あいつ』が死んだ時から幽霊が見えるし、
こうして死んだ人と話もできるようになったんです。」
『そう……だったのか。
「あの子」が亡くなったというのは、風の頼りに聞いていたよ。
結婚するんだろうとばかり思ってたのに……。
あ、いや……もうそれは昔のことでいいようだな?』
先生の先生は、隣の渡瀬さんをちらと見て微笑んだ。
「はい。もう、昔のことです。」
だけど、『あの子』って、先生が好きだった女性のこと!
先生の先生も知ってる人だったんだ!!
(ちょっとまどろっこしいから以後『先生』にしますよ?)
でもでもでも、けけけ結婚ッ?!
そんなふうに周りの人が思うほどだったなんて……。
私はその人と先生の『別れ』がどんなものだったか知っていたから、そうは言ってもまだ動揺は小さかったけど。
隣の渡瀬さんには、先生にそんな人がいたってこと自体初めてだったはず。
渡瀬さんはとみると、やっぱり……。
驚きのあまり言葉もだせずに目を真ん丸にして、開けた口をパクパクさせていた。
それに気づくと『先生』も目を丸くした。
『まさか、あなたも私のことが?』
「え……ええ、実は最近、そうなりまして。それよりその……。」
半ば呆然としたまま、たどたどしく聞く渡瀬さんが言い終わらないうちに、『先生』は顔をくしゃっと皺だらけにして微笑んだ(やっぱり私だけは見えてないみたいね)。
『これは失礼を。
でも、共通点があるのはいいことだねぇ。
せっかく来てくれたのに、今、娘夫婦は買い出しに出ていてね。
高校二年生の孫だけなんだが……。』
そして心配そうな面持ちで玄関奥の土間へ目をやる。
すると、奥から白いブラウスに紺のスカート、長い黒髪を後ろで一つにまとめた、大きな瞳がきりっとした女の子が出てきた。
「あ! お客さんですか?」
その子は先生に元気よく尋ねた。
『妙子、部屋を用意してやってくれんか。
雨守、泊まっていくんだろう?
見れば怪我をしたようだが、ここの湯は傷にもいい。』
「はい。お願いできますか?」
先生の返事は偶然二人にしたものに聞こえたけど、妙子さんにはお爺さんは見えていないみたいね。
妙子さんは屈託のない笑みを浮かべる。
「なんだかお客さんが来てるかなって気がしたんです。
居間にお茶の用意しかしてないけど。
私、ちょっと出かけなくちゃいけなくって。」
妙子さんは胸の前で両手を合わせ片目を瞑って見せた。『先生』は妙子さんに正面から顔をぐっと近づける。
『半日授業だったからって親の目を盗むように……またあいつか?』
半日って……ああ、この時期だと三者懇談かな。それに「またあいつ」って……そっか!
妙子さん、きっと彼氏に会いにいくんだ!
『先生』のお小言が聞こえるはずもない妙子さんは、自転車の前まで来ると、小さくぼやいた。
「あ! またハンドルの向き、変わってるし。お爺ちゃんかなぁ?
もう、勝手なことしないでってあれほど……。」
ぶつぶつ言いながら妙子さんはハンドルを握ってブレーキを確かめる。
すると、ぱっと顔が明るくなった。
「あ。変なひっかかりなくなった。サンキュッ!」
「どうかしたの?」
尋ねる渡瀬さんに、妙子さんは眉をあげながら笑って答えた。
「ああ、いえ、気のせいだと思うんですけど。
私のお爺ちゃん、先月亡くなったばかりで。
でもなんとなくまだその辺にいるような気配感じるんですよね。
私、お爺ちゃん子だったから。」
先生は妙子さんに微笑んだ。
「気のせいでも、ないかもよ?
心配で自転車の具合見てたんだよ、きっと。」
「お客さ~ん、大人がそんなの真に受けちゃダメでしょ~う?」
妙子さんは呆れたように大きな瞳を先生に向けると、笑って自転車にまたがって、砂利の敷かれた小径を走りにくそうにこぎだした。
「父と母、すぐ帰ると思いますから~。
どうぞ上がって、お茶でも飲んでてくださいね~ッ。」
『こぉら! 妙子ッ!!』
小さくなっていく妙子さんの背中に『先生』は怒鳴る。でもおっかなくないの。それでか先生も苦笑した。
「相変わらずですね。 先生の『こぉら!』
あれじゃ高校生、言うこと聞くわけないですよ。」
お孫さんなら、尚更かな。
『あの子だけが心配なんだよ。それでかなぁ?
まだ成仏も出来ずにこの様だ。』
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柱の大きな古時計が三時を告げた。
古民家ならではだなぁ。
天井を見上げると何本もの太い柱が屋根を支えてる。『先生』に案内された広間には囲炉裏が。
それに母屋の裏には、垣根に囲まれた露天風呂まであるんだって。
先生は『先生』の勧めもあって、先にお風呂にいった。
でも渡瀬さんは、ここぞと『先生』に聞きたいことがあって、なんだか落ち着かない様子。
「あの。先生も、美術の先生だったんですか?」
『いや、私は地歴。日本史専攻ですよ。
……高校時代から雨守の描く絵が素晴らしいと評価されていましたが、
悪いが私は絵はからきしだった。』
「あの……雨守クンって。その。
こっ、高校時代って、どんな生徒だったん、ですかぁ~?」
さっきからきっと、一番聞きたいことじゃないことばかり。
それでいいんですか?……って目で訴えたら、渡瀬さん、口パクで「待ってよ」だって。
でも私、高校時代の先生が、どんなだったか知りたいなッ。
『ああ。あいつは昔は今より無口でね。何考えてるのか、さっぱりだったな。
ああ、ほんと、まったくさっぱり。』
「『そんな!』」
あまりの言われように私も渡瀬さんと同じ言葉を声にだしていた。
『いや。でも、あいつは私なんかより、よく人を見ていたよ。』
「先生より雨守クンが……ですか?」
それまでにこやかだった『先生』は、渡瀬さんから囲炉裏に視線を落として、しみじみ語り始めた。
『クラスに小柄でひょうきんな子がいてね、
いつも周りからいじられて自分も笑っていた。
最初、私も友人同士の遊びの延長だと思っていたんだ。
クラス全員が、
それが段々「いじめ」になっていこうとは気づきもしていなかった。』
急に、胸がズキンと傷んだ。
それって、紗枝さんと同じなんじゃ……。
『ある日の昼休み。
たまたま教室の前を通りかかった私が覗くと、
どうやら何か芸をやらされてからかわれてたその子に、
雨守が近づいて言ったんだ。
「やめろ」って。
普段全然しゃべらないあいつが、立ち上がってそんなことを言うから、
皆驚いてしまった。』
きっとゆらっと立ち上がって、冷たい目で言ったに違いないッ。
そんな風に言われたら、それに小柄な子が見下ろされたら、きっとすくみ上ったはず。
『口調は静かだったが、あいつは怒っていたんだろう。
「こんなのおかしくないか」ってね。
お前のほうが可笑しいだろ?ってチャチャ入れる他の生徒にも、
「どこが可笑しいか言ってみろ」なんて、静かに迫ってねぇ。』
ごくり、と息を飲んじゃった。
きっと無表情だったんだろうけど、怖い顔してたに決まってる。
『騒然としだした彼らの間に私は入って、
皆で考えようなんてホームルームを開いたが。
まあ……教師のすることって、なんだか滑稽に思えるね……。
でも、いじられてた子が「ほんとはイヤだった」ってぽつりと言った時、
初めて皆、はっとしたんじゃないかなぁ。
あいつの発言がなかったら、どうなっていたか。
きっと悪質な「いじめ」に変わって、取り返しのつかないことになっていた。』
そうだわ……本当は、どこにでもよくある光景なのかもしれない。
紗枝さんの場合は、取り返しのつかないことになってしまったんだ。
『だから、私は皆に謝った。
間抜けにも、本当に知らずにいて、すまなかったと。
それを揚げ足とって反発してくるような子が誰もいなかったから、
私は助かったんだろうけどねぇ。』
どこか自嘲するように『先生』は笑った。
『後であいつに、よく言ってくれたなって、礼を言ったんだ。
そうしたら
「黙って見てたら、俺も彼を苦しめてたのと変わらないから。」
って、それだけ答えた。
あいつの勇気に比べれば、私は大したことはしていない。
あいつはその後も、ほとんど一人でいることが多かったが……。』
先生、やっぱり昔からそういう人だったんだ。
見て見ぬ振りができないんだな。
ほっとけないんだろうな。
痛い目に遭っちゃうのはいやだけど、それでも先生、知らんふりしないもの。
私、そんな先生に会えたことが、改めて嬉しくしくなりましたッ。
『ところが、あいつが三年の時だ。
言っていいのかな。
まあ、いいよね。
あいつが『あの子』に……恋をしたんだろうなぁ。』
「『そ、そこのところを詳しくッ!!』」