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7-2 正義のミカタ


 どすどすという荒々しい足音がした。華也と綴歌、二人分の足音よりも大きい。こんな音を立てるのはご立腹の仄か遅刻寸前の五樹か、あるいは。

 扉が乱暴に開かれる。


「あー」


 肩を大きく回しながら気怠そうな声を漏らす。同じ場所から現れたというのに、たおやかな二人と比べるまでもなく、とんでもないほどに粗暴である。


「どうかしました?」


「あー、ちょっとな……」


 不機嫌という様子ではない。言うなれば、何か失態を犯してしまったような、どこか極まりが悪そうに頭を掻く。どうやらこれは雲雀の癖のようなものであるようで、何かしら考え込む前に見られる動きだ。


「……って、筑紫、ちょうどいい」


「なんですの?」


 部屋の隅にいた華也と綴歌に気が付くと、六之介、綴歌の順で指をさす。


「お前ら、八坂に行ってこい」


 沈黙の後、六之介と綴歌と顔を見合わせる。


「はあ、八坂、ですか? 何かあったんですか?」


 二人の疑問を代弁したのは華也であった。三人の視線が雲雀に注がれる。雲雀は大きくため息をつきながら、自分の席に腰を下ろす。椅子を形作る金属製の骨が悲鳴を上げる。


「ばれた」


「へ?」


何か悪さでもしていたのだろうか。


「六之介を魔導官にしたとき、書類にイカサマしてたのがばれた」


「ええっと、それは、つまり?」


 魔導官としての認定がやけに早いとは思ったものだが、やはり正規ではない手段を取っていたようである。華也から借りた教科書には手続きには一週間ほどは要するとあるが、六之介はわずか二日のことであった。

 何を端折ったのかは分からないが、とにもかくにも八坂に赴き、そこで本人が必要な書類を提出する、その程度のことであろうと踏んでいた。 


「このままだと魔導官資格が剥奪されっから、八坂に行って国家試験受けてこい」


「……は?」


 何か聞き間違えを、聴覚に異常でも生じたのであろうか。しかし、窓越しに聞こえてくる蝉の鳴き声は個の判別が出来るほど明瞭に捉えられる。


「魔導官資格剥奪されそうなんだよ。だから、一週間後の試験で合格して来い」


「ちょおおおおっと、待ったああああ!」


 綴歌が叫ぶ。もはや悲鳴に近い。


「試験って、魔導官試験ですわよね? それも、この時期という事は……」


「予備、ですね」


 華也が顔を引きつらせている。こんな表情は滅多にみられるものではない。


「ですわよね? それを一切勉強をしていない六之介さんが受けると!?」


「そうなるな」


 あっけらかんと言ってのける。


「受かるわけありませんわよ! 予備なんて現役の私たちでも受かるかどうか……」


「華也ちゃん、難しいの?」


「学生時代、過去問を受けさせていただいたことがありますが、人生で初めて、問題用紙を破り捨てたくなりました」


 苦虫を噛み潰したような顔を浮かべ、眉間に手を当てる。よほど不快な思い出であるらしい。

 馬鹿がついてもおかしくない程真面目でお人好しな彼女がここまで露骨な嫌悪を示すなど、初めてのことだった。


「綴歌さんは終了後に燃やしてました」


「あんな災厄、残しておきたくありませんもの。あの問題をつくった存在を人間だとは思いません、畜生にも劣りますわ!」


 あんまりな言い様である。


「まあ、きついのは間違いないが……筑紫は首席で卒業してたろ? 一週間、付きっ切りで教えてやれよ」


「あのですね、教える分には構いませんの。問題はそこではなくてですね、わずか一週間で予備試験に合格させるということがですね」


「じゃあ命令。八坂に行って六之介を試験に合格させること」


 命令と言う言葉は絶対である。それが自身の所属する組織の人間ものならば尚更だ。

 綴歌は頭を抱えてしまう。


「あのー、署長、綴歌さんが嫌なら私が……」


「ああ? 何言ってんだお前、結構前から予定あるって言ってたろうが」


「え? ……あ」


「結婚式だろ、いったん帰省するとか言ってたろうが」


「え、結婚するの、華也ちゃん」


 確かこの世界の結婚適齢期は二十歳付近であったはずだ。彼女もそのぐらいになるだろう。とはいえ、そんなことは露程も耳にしていなかった。


「あ、はい。地元で」


「へえ、相手は?」


「近隣の酒屋の長男ですね。大きな酒蔵を所有しているんですよ」


 華也の実家はかなりの地主だと聞いた。結婚をするというのならやはり相手もそれなりの力のある人物なのだろう。


「そうなんだ。んー、自分も行きたかったなあ。散々お世話になっているし」


「え?」


「え?」


 お互いに首を傾げあう。

 何だろうか、話がかみ合っているようでかみ合っていない気がする。


「華也ちゃん『が』結婚するんじゃないの?」


 そう認識していたのだが、間違っているのだろうか。

 無言。不思議と蝉の鳴き声もピタリとやんで、風も止まる。生ぬるい空気が全身を包む。ちらりと綴歌に目を向けると、呆れた様にこちらを見ている。


「ち」


「ち?」


 華也の口から空気の塊が吐き出される。それが起爆剤となり、爆発する。力を籠めればかるくへし折れてしまいそうな、色白で細長い喉から発せられたとは到底思えない怒号であった。


「ち、ちちちちち、ち、ちぃがぁいぃまぁすぅぅぅぅぅっ!!


 声量に飛び上がる。雲雀は予期していたようで、すでに耳を塞いでいた。


「私では! 私ではない、です! 姉です! 次女の由香姉さまです!」


「そ、そう」


 そういえば兄弟姉妹が多いと聞いていた。


「私! は! 結婚! どころかっ! 殿方と! お付き合い! いえっ! それどころか! 手を! つないだことも! 六之介様が! 初めて! なんですから! ねっ!」


 呼吸の途切れごとに一歩、また一歩と距離を詰められる。その迫力に圧倒される。


「しませんから! 結婚とか! しませんからぁ!」


 その勢いと怒気に頬が引き攣る。ここまで激情をあらわにした彼女を見るのは初めてである。今日は色々な華也の顔を見る日である。

 肩で大きく息をしながら、顔を昂揚させ、目はうっすら血走っている。しかし、ようやく落ち着きを取り戻したようであった。


「はあ、はあ……すみません、取り乱しました」


「そうだね、うん」


 平静を装うが、腰が抜けかけたのは秘密である。数秒、見つめ合ったあった後にふいと華也が顔をそむける。


「……もうちょっと、気にしてくれても……」


「へ?」


 人並み以上の聴覚がしっかりとその声を拾う。何を気にしろというのだろうか。他人を怒らせるような発言は控えろということか。だとすれば、どれがそれにあたったのだろう。


「何でもないです!」


 今度は慌てた様子である。どうも人の心情変化の察知には疎いようである。


「あー、お二方、乳繰り合うのはよろしいかしら?」


 つまらない芝居を観たと言わんばかりの大きなため息。


「ちちっ!?」


「あー、ごめんごめん」


 いったい何の話をしていたのであったか。記憶を探る。しかし、それよりも早く雲雀が口を開く。


「何でもいいから、早く八坂に行く準備をしてこい!」


 蹴りだされ、鈍痛にもがいている所を綴歌に引きずられる。

 ほんのついさきほどまで存在していたはずの平穏は、泡沫の如く儚く消えた。

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