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7-1 正義のミカタ 

 全国の魔導官署では新聞の購読は義務付けられている。これは日ノ本全土の情報を効率的かつ正確に把握しておくためである。特に気象情報、不浄の出現、災害の発生、行方不明者などの情報は重要とされ、国内最大手である旭日新聞が魔導機関と正式に協定を結んでいる。


 六之介は執務室の椅子に腰掛けながら、紙面に目を通していた。今日はさほど気温が高くないが、昨日、一昨日はこの夏一番の猛暑であり、脱水症状や日射病で十八人の死者が出たようである。年齢を見れば老人と幼児が多い。


「水分補給と塩分摂取は欠かせないよねえ」


 ぼそりと独り言をこぼしながら、自家製の経口補水液を飲む。湯冷ましの水に食塩、やや多めの砂糖を溶いたものであり、そこに柑橘類の果汁を加えたものである。温い上に甘いのか塩っぱいのか、どっちつかずの味で褒められたものではないが、成分的に問題はない。


 事件もなければ依頼もない。五樹あたりならば退屈だと喚きそうであるが、魔導官のような職種は退屈であるに越したことはない。というのが建前であり、本音は、何もせずに新聞に目を通すだけで給料が貰えるなんて最高ではないか、文句のつけようがない、である。ぎしりと外の階段がきしむ音がした。足音の連なりからして二人であろうか、軽やかな足取り。三度、扉を叩く音がする。



「どうぞお」


 いつにもまして間の抜けた声が出た。扉の向こうにいたのは、二人の同僚である。


「お疲れ様です、六之介様」


「なんですの、今の腑抜けた声は……」


 赤紫色の矢絣の着物に紫紺の袴、髪を高くくくりあげ簪で器用にまとめた華也。白地に寒色の水玉が描かれた着物にいつもの一対の巻髪ではなく華也と同じような髪型の綴歌。


「おー、二人共華やかだねえ」


 普段は漆黒の魔導官服ばかりを見ているせいか、鮮やかな出で立ちがよく映える。加え、この二人は和装がよく似合う。型にはまるというべきか、


「ありがとうございます」


 にこりと笑うと簪が揺れる。絹素材のつまみ細工で精巧につくられたそれは上品な光沢を放つ。4つの枝垂れ桜の先には色彩を微妙に変えたつまみがぶら下がり装飾を単調足らしめている。注意深く見てみると二人の簪は色は違うが形状は同じであるようだった。


「お揃いかい?」


「あら、よく気付きましてよ。褒めて差し上げますわ」


「誰でも気づくと思うけど」


「篠宮さんは気付きませんでしたわ」


 ああと納得する。彼はそういった変化に対して愚鈍であるような印象がある。


「二人はその簪を買いに?」


「いえ、宛もなくぶらりとしていて、目に止まっただけですわ」


 いわゆるウィンドウショッピングというものだろうか。なるほど女性らしくていい。


「あ、それでですね。こんなものを買ってきたので宜しければ」


 手渡された紙袋は熱を持っていた。この日差しによるものでも華也の体温によるものでもなく、内容物その物が故であるようだ。

 がさりと開けてみるとふわふわとした褐色で僅かな光沢を有する生地がなだらかな曲線を描き、仄かな甘い香りを放つ菓子が二つ。確かどら焼きというものだったか。名前と見た目は知っているが、実物を見たのは初めてであった。


「ありがとう、いただくよ。昼食の代わりだ」


「え、これが?」


「充分」


 美味くて、腹が膨れればそれでいい。栄養素の偏りは夕飯でいくらでも補える。

 包装紙を破り口に含む。芳ばしさとしっとりとした食感、控えめな甘み。生地の内側から滑らかな漉し餡が出て来る。なるほど、これがどら焼きとやらか。


「うん、美味しい」


 なかなか後を引く味だ。幾度もかじりつく。こちらの世界に来て一番良かったことは、好きに飲食ができることだと思う。


「よかったです」


「どこで買ったの? 今度買いに行きたいんだけど」


「商店街にあった伊勢屋が露店を出し始めまして……」


 そこならば自分でもわかる。署からも遠くはないので、買いに行こうと決める。


「むぐ……そういえば、篠宮は? 簪を見て気が付かなかったとか言ってたし一緒だったんじゃないの?」


 彼も休みだ。本日の出勤は六之介と雲雀、午後から仄である。


「篠宮様とは署に来る途中ですれ違ったんですよ、木桶と釣り竿を持って」


「街の子供たちとザリガニを獲っていましたわ」


「何やってんの、あいつ……」


  子供とじゃれ合いながら、犬のような笑みを浮かべる五樹の姿を思い浮かべる。

 なんだか可哀想な人間に思えてきた。少しだけでも優しく接してやるべきであろうか。


 開かれた窓から滑り込むように風が入ってくる。それに合わせる様に、新聞からひらりと一枚、風に乗り、中空を舞い落ちる。急きょ刷られた一枚であるようだ。まず目に飛び込んだのは他の文字の十倍はありそうな巨大な文字列。


「せ、『正誅仮面』……?」


 『正誅仮面、現る!』。書体まで変えられ、これ以上なく強調されている。


「ああ、また現れましたの」


 綴歌はまるで良くあることだと言わんばかりだった。

 六之介が落ちたそれを拾い上げ、目を通す。


 『七月二十八日土曜日、第二級魔導都市・八坂にて内藤誠(十八)の遺体が発見された。死因は失血死とみられ、遺体には十数か所の刺傷があった。現場には『正誅』の文字が刻まれており、警察では正誅仮面を名乗る怪人の犯行とみて捜査が行われている』とまとめられている。


「なんなの、これ」


「正誅仮面はここ四、五年の間で現れるようになった年齢、性別、身長、体重など一切不明の怪人ですわ」


「身長くらいは分かるんじゃないの?」


「なんでも目撃されるごとに身長が異なっているそうですわ。ある時は縮こまった老人に、ある時は力強い四肢の青年に、ある時は華奢な少女に」


「……複数人いるってことかな」


「その見方が強いですわね」


 何らかの組織の人間であるのだろうか。


「しかし物騒だね。正体不明の殺人鬼か」


「いいえ、殺人鬼ではないのですわ、それに類似するものではありますけれど」


 ひょいと紙を奪われる。綴歌はさらりと目を通すと、ああ、やはりと呟く。


「正誅仮面は殺人鬼ではなく、橋渡し役ですわ。被害者と加害者……いえ、加害者となる被害者と被害者となる加害者の」


「?」


「今回発見された内藤誠は、少し前に婦女暴行、強盗殺人で逮捕されていますの。ですが未成年であるということ、精神的に不安定であったこと、判断能力が低下していたことが考慮されすぐに野に放たれましたの。そちらの方には詳しくはないですが、少年法とやらも関係しているそうですわ」


 そこまで言われ、綴歌の言葉の意味を理解する。


「そうか、さっきのって」


「ええ。正誅の文字と共に発見される遺体は皆が前科者、加害者でありながら大きな罰を受けなかった者。そして、彼らが遺体として発見されてすぐに自首する方々がいますの。それは決まって、遺体となった者たちに決して消えない傷を負わされた者たち、つまりは被害者の身内、友人といった方々なのです。その方々は決まってこういうそうですわ。『正が誅した』と」


 なるほど、確かに殺人は犯していない。復讐の代行人というわけでもない。殺人の補助とも取れるが、人と人を合わせただけとも言える、


「警察は?」


「野放しにはできない、という事で捜査、指名手配はしているようですわ。ですが、本腰を入れているのかと言われるとなんとも。正誅仮面の存在によって凶悪な事件が減っているということは間違いありませんし。警察も魔導官も、動けるのは事件が起こってから。つまりは後手。その上、抑止力になろうにもこちらは必要以上に加害者を傷付けることは出来ませんが、加害者はこちらをいくらでも攻撃できますわ。我々は抑止力として力不足なんですね。特に、タガが外れている人間からすれば、なおさら。しかし、そこに対等な存在、即ち、死をもたらす存在がいれば話は別ですわね」


 どこかもどかしげに、それでいて呟くような声だった。


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