6-40 剣祇祭 おまけ
自分にやれるのだろうかというひんやりとした不安感が産まれる。ほんの数日前までは下っ端であったというのに、本来は何年も経験を培い、一段一段と昇っていく階段を全速で駆け上がってしまった。否、駆け上がらざるを得なかった。
表情に出ていたのだろう、雲雀の大きな手が横内の肩をつかむ。当人は軽く握っているだけであろうが、その重さと力強さに瞠目する。
決して体温が高いというわけでもないのに、そこからじわりと熱が広まっていき、不安感が呑み込まれる。
「……はい」
思ったよりも大きく、勇ましい声が出たことに驚き、思わず喉元を撫でる。
呵々としながら犬歯を覗かせる。
「まあ、何かあったら連絡しろよ。すぐに来てやるからよ」
「それは……頼もしいです」
「だろ?」
篝村集会所敷地前のほんの少しばかり舗装された畦道に一台の大型車が止まっている。ほとんどが手付かずの自然に覆われているこの地において鉄の塊は不相応にみえた。稀に見かける乗用車とは異なり、基礎構造の設計から頑強さを求められていることがありありと伝わってくる無骨な形をしている。
「さて、じゃあ行くわ」
「ご武運を。それと、掛坂殿」
「うん?」
「本当に、ありがとうございました」
礼はいいと言われようと、どうしても口にしたかった。
「だーかーらー、礼はいらねえっての。ああ、そうだ、そんなに感謝したいなら物を寄越せ。食い物がいいな。名産品なら尚良しだ」
一切の遠慮のない口ぶりで要求され、小気味よさを覚える。
「名産品ですか。この辺は……酒、ですかね」
この辺は水資源が豊富である為、広く稲作が行われている。多くが食用の米だが、一部では酒米も作られている。流通数は多くないが、白矢木の酒は愛好家の間では評判の良い品となっている。だが、雲雀は首を横に振る。
「俺、酒飲めねえから無理」
意外にも下戸であるそうである。正直、驚く。
「酒作ってるってことは、米とかもあるだろ?」
「ええ、まあ。ですが知名度はあまり……」
日ノ本の米といえば、大半が『早稲』というだろう。ここから遥か南西にある地区で、国内の農産物の多くはここから出荷される。決して不味い米であるということはないが、やはり早稲産と比べられると閉口してしまう。
「知名度なんざいいんだよ。とにかく、米送れ、米。そうすりゃ俺が上手く宣伝してやる」
「宣伝、ですか?」
「おうよ、多少は復興財源になるだろ?」
ああと内心で深くため息をついた。この御方はそこまで考えてくれていたのか。短期的に見れば今回の不浄による復興財源に、長期的に見れば篝村だけでなく、この白矢木地区全体の財源となる。
「分かりました。上等なものを山のように送らせていただきます」
「はは、そいつは楽しみだ」
踵を返し、こちらへ振り向くこともなくひらりと手を振る。その巨大な背中を見送りながら、横内は腰を折り曲げ、深く頭を下げた。
「お勤め、お疲れ様です」
「ああ」
荷物を詰め込と、魔導兵装の重量で車が揺れ、軋んだ。標準的な規格の自動車では詰むことすら困難であり、仮に為しえたとしても骨格が歪んでしまう。それ故に用いられる自動車は特別に設計され、製造された物となる。
「……んん?」
雲雀が眉間に眉を寄せ、怪訝な顔をする。視線の先は自動車の後写鏡に写る運転手の顔であった。目深く深くかぶり、顔面の全容は伺えないが、まだ若い男である様だ。細くとがった鼻筋に微笑をたたえた口元。
「いかがなさいました?」
「…………いや、いいや。最寄りの駅まで」
腕を組み、思い切り背もたれに体重をかける。再度、車が軋み、揺れる。それが収まると同時に、動力部に火を入れ駆動が始まる。
篝村から白矢木に向かうまでの道は、ある程度固められているがやはり凹凸が多い。頬杖をつきながら、雲雀は流れゆく新緑の眩い景色を見ながらぼんやりと故郷の景色を思い出す。
夏の記憶は、いつも輝いている。それが日差しのせいなのか、無邪気だったためなのか、あるいは隣に唯一無二の友がいたためなのか、あるいはそれら全てが理由なのか、分からない。
空調もない車内であるため、窓を開け大気を取り入れる。木々の間を走っている為か、心なしか車内よりは涼しく感じられた。積み荷の揺れる音と蝉の鳴き声と車の駆動音に包まれ、双方口を開くことはない、様に見えた。しびれを切らしたのか、運転手が声を上げる。
「……ねえ! 気付いてるんだし声をかけてよ!」
帽子を片手で払いのけると、ふわふわとした紫色の癖毛が顔を覗かせる。男性にしてはやや長めだが、雲雀と比べると短い。後ろ髪は襟足まで、両脇は耳にかかる程度、前髪はまつ毛に触れるかどうか。垂れ下がった目元の奥には燃えるような紅の瞳があり、困ったようにこれまた垂れ下がった眉をしている。雲雀に比べるとやや色白で、うっすらと隈も浮かんでいるため不健康な印象を受ける。不満の声を大きく上げ、鏡越しに雲雀を睨む。
「えー、いや、面倒くさいし」
「面倒ってなんだよ! せっかくこんなとこまで友達が会いに来たのに!」
「は? 友達? 誰が?」
「……ごめん、それは本気で落ち込むからやめよう?」
眉をさらに下げ、泣きそうな表情を浮かべる。はあと大きくため息をつく。
「はいはい、んで、何しに来たんだよ。『魔導機関総司令』殿」
一際大きく車が揺れる。窓から広がるのはどこまでも続く田園地帯である。穏やかな夏風に稲穂が揺れる。
名は、飯塚亜矢人。一見すればまだまだ若造であり、人の上に立つような人間には見えない。しかし、その技量、知識、観察眼は常人を遥かに凌駕している。故に有する二つ名は『俊異の降臨者』。
「なに、白矢木へ視察に着ていてね。偶然、ひばりんが近くにいるって聞いたもんだからさ」
「嘘つけ」
ぴしりと言い放つ。
「なにがさ?」
おどけるような口調。
「こんな辺境のど田舎に視察なんざ来るわけねえだろ。再開発の下見にしたって総司令が来るなんざあり得んし、遺跡が見つかったにしてもまず派遣されるのは研究者が主だ。わざわざお前が足を運ぶ理由がねえ」
「ふふ、ばれたか。じゃあ本音。君に会いたくてね」
「きも」
「ひどくない? ま、ただ会いに来ただけじゃないんだけどね。ちょっと重要な案件もございまして」
穏やかに携えていた笑みは消え失せ、がらりと空気が変わる。放たれた声は突き刺さるような鋭利さを孕みつつ、無機質なものであった。
「先日、第百八十七魔導官署の署員を中心とする二十人が反魔力団体『此世』の基地制圧を試みた。作戦、戦力、準備に抜かりはなく、こちらの損害は極小となると思われた。しかし、制圧には成功したものの四人が死亡、二人が重軽傷を負うという被害を受けた」
「敵の戦力は?」
「戦闘員と思われるには五人。魔導官はまずこの五人を無力化し、拘束した。その後、極力平和的に解決を試み、無条件の降服を要求した。しかし、唐突に魔導官一人が壁に叩き付けられた。死は免れたが、骨を何本かやられ意識を喪失、戦線離脱。同じような現象が繰り返し発生し、六人が攻撃を受けた」
「異能か?」
「いや、魔力は感じられなかったらしい。生存者の話によると。何かに吹き飛ばされたというよりは壁に『落ちた』あるいは『引き寄せられた』といった感覚だったそうだ。魔力を生じない異能……こちらは君やすずちゃんからの報告にあった『超能力』と見ている」
「その超能力者は捕まったのか?」
ふっと空気が元に戻る。夏の暖気を含んだ車内は窓を開けていても、やはりひどく暑い。
「いや、残念ながら。制圧は出来たけど、多くを取り逃したとのことだ。試合に勝って、勝負に負けたね」
ははと警戒に笑うが、内心は穏やかではないだろう。旧体制とはことなり、新体制の魔導機関は敵味方問わずに人命を第一としている。功よりも命、それが亜矢人の目指す魔導機関の基礎となる方針である。
「それで、これからが本題だ。その基地は人員の割にかなり大型でね。その上、相当巧妙に隠蔽されていた。雀蜂の巣があるだろ? 地中に埋めて見つけ辛いアレ。まさにそんな感じでね、魔導機関では『蜂ノ巣』と仮称した。どうやら『此世』内部でも極秘扱いの研究施設だったらしい」
助手席に置かれていた資料を手渡す。写真や記録が事細かに書かれている。押印されたようなかっちりとした書体は見慣れた飯塚亜矢人の文字であり、彼の性格がよく現れていた。
「それと、これは『蜂ノ巣』へ向かう途中で見つかったものでね。三枚目を見てほしい」
「……なんだこりゃ?」
張り付けられていた写真に写っていたのは、三つの輪によって構成されたものであった。まず地面に対して水平方向と垂直方向を向いた輪が二点で交わり固定されている。それらより一回り小さい輪が内側にある。これも二点で固定されているように見えるが、図示された情報によると回転が可能であるようだ。そして、それらの中心に足場のようなものが置かれている。基本となる構造はそれだがあちかこちから何十もの伝線と大小の機器がこれでもかとばかりに繋がれている。
「ひばりんにも分からない?」
「機械は俺の管轄外だ。専門はお前の妹だろ」
亜矢人と良く似た髪質の、工学関連では恐ろしいほどに優秀だというのに、いつかさらりと自害してしいそうな自虐癖のある女性の姿を思い出す。
「いや、亜矢音でも分からないそうでね。現在調査中。ただ一つ分かったことがあってね」
「なんだ」
「どうやらこの機械は『魔力を持たない物質』で構成されているらしい。以前、君が送ってきた『クリスベクター』なる銃器とおなじく、ね」




