6-39 剣祇祭 おまけ
その光景は大きな絶望感を放っていた。というのに、横内はそれよりも強い違和感を覚えざるを得なかった。
荒角の攻撃は完璧であった。文字通り、必殺の一撃。相手の虚をつく意外性、回避すらさせない速度、無数の盾すらも穿つ破壊力。どれもが一級品。放たれれば死は免れない、実体化した殺意。
荒角の角の先端から流れた血液がぽたりと一滴落ちる。黒く、粘着質なそれは人間のものではなく、篝村の大地に呑み込まれる。
「血……そうか」
血液だ。雲雀の胴体を貫いている角は丸太のように太い。直撃すれば傷どころではなく、上半身と下半身が分かれても不思議ではない。そうなれば当然、大量の血液がこぼれる。だというのに、これはどうなっているのか。
一滴たりとも人間の真っ赤な鮮血は飛び散っていない。そして雲雀は当たり前のようにそこに立っている。立往生という風でもない。それどころか、まるで何もなかったかのような雰囲気さえする。
「――――ッ!!」
沈黙を、荒角の悲鳴が切り裂いた。咆哮ではない。苦痛によってもたらされた苦悶の声。伸びた角が勢いよく引き戻される。変化は目に見えて明らかだった。
鋼鉄を思わせたその雄々しい角、その先端は鍛え抜かれた槍のような鋭利さを誇っていた。それが一転、先端が円柱形へと変わり果てている。初めからその形であったように、断面にはひびも解れもなく、年輪を思わせる筋肉が見て取れる。ごぽりとそこから血液が滴っていた。
角の断面と接していたためか、粘着質の血液がこびりついた制服を脱ぎ捨てる。肌着の上からでも分かる程、隆々と膨れ上がった筋肉があらわになる。その身体にはやはり傷一つない。何らかの異能を用いたことは想像できるが、それがどんなものであるのかさっぱりわからない。切断系と考えるのが普通であろうが、だとすれば切断された角の先端はどこへ行ったのだろうか。まるで、鋼鉄の角を『消滅』させてしまったかのように跡形もない。
「んー、一年半、いや、二年ぶりか」
一歩歩み出、ぼそりと呟く。形の良く薄い唇が弧を描く。嘲笑と歓笑の入り混じった表情。端正な顔立ちのせいか、重圧を放つ。
「俺様に異能を使わせるとは大したもんだ。褒めてやる。さて、次は何をしてくれる?」
一歩一歩、踏みしめるようにゆっくりと前進する。荒角は動かない。否、動けないが正しいのだろうか。
いまだ生命力は尽きないが、節々からは血が流れている。普通の生物であれば、すでに絶命しているか瀕死となっているだろう。だが不浄の異常な生命力はそれを許さない。死ねずに苦痛を長引かせる。
「さあ、どんな変化を見せてくれる?」
荒角が怯えた様に後ずさる。数多の不浄を目にしてきたが、初めて見る光景。目の前で起こっている現実が夢物語のように見えてならない。
「どうした、何かしてみるがいい。何をしてくれる? 角を増やすか? 毒でも吐くか? 空でも飛ぶか? さあ、見せてみろ」
距離は縮まり文字通り、目と鼻の先で双方が睨みあう。
「……なんだ、何もないのか」
棺桶に手を伸ばすと、刃の潰れた直刀がこぼれ出る。それを握ると同時に荒角の側面に撥ねる。この期に及んでも、その動きは敏捷かつ鋭い。
直刀が大きく振りかぶられる。
「じゃあ、死ね」
刃のないそれは獲物を断つことは出来ない。が、雲雀の膂力をもってすれば、殺傷するには十分である。
衝撃は村全土に及んだ。発生源では土壌が砕け、岩盤付近にまで至っている。直刀は湾曲し、仮にも刀であったという面影はない。一枚が甲羅を思わせる鱗の有した荒角の首は完全に押しつぶされていた。断末魔の悲鳴さえ上げることなく、脊髄は扁平に叩き潰され、皮と肉とぐちゃぐちゃに混ざりあっている。
「横内」
唐突に名前を呼ばれ飛び上がる。こちらを紫と緑の双眼が捉えている。
慌てて斜面を滑り降り、荒角を横目に雲雀のもとへ歩み寄る。
「ほれ」
手渡されたのは日本刀だった。直刀とは違い刃がある。丁寧に手入れもされており、思わず目を奪われてしまうほどの妖しげな光沢を放っている。量産品のものではなく、どこかの刀匠の鍛えたものであるのは間違いないだろう。
ずしりとした重みが忘れかけていた殺意を思い出させる。
荒角に目を向ける。首が潰され、気道も動脈も機能していないというのに、わずかに頭部が動いている。まだ生きているというのか。首を落とさねば死なないとまで言われる生命力、こうまで強靭であるというのか。
刀を握りなおす。友の仇が目の前にいる。躊躇うことはなかった。
「……」
解放感とでもいうのだろうか。それとも達成感だろうか。行ったことは極々僅か、瀕死の荒角の首を切断した。たったそれだけで、あとはただ見ていた。
だが、それを情けないとは思わなかった。感覚が麻痺していたのだろう。掛坂雲雀という絶対的な力を見て感化されたのか、妙な全能感があった。
荒角の死骸の回収は明日の朝一番に来ることになった。解剖し、今後の不浄発生のための資料となる。同時に亡くなった方々の葬儀も行われる。出来ることならば個々で行いたかったが、人数が人数であるため一度に執り行うしかなかった。
集会所に安置された損傷の激しい、あるいは腐敗の進んだ遺体は火葬された。出来ることならば篝村の集団墓地に埋めてやりたかったが、魔導機関の調査が入る為それはかなわず、村からはやや離れたこの篝村集会所の裏に埋葬された。
酒瓶と花を供え、手を合わせる。報告できるようなことは決して多くはないが、仇は取れたと、安らかに眠ってくれるよう願う。
「よう」
「掛坂殿」
魔導官服ではなく、半襦袢を纏っている。魔導兵装の手入れを終え、軽く水浴びをしたのだろう。金色の髪が陽光できらりと輝いている。
「このたびは、ありがとうございました。何度礼を言っても足りませぬ」
両ひざをつき、頭を垂れる。
一人では決してなしえなかったであろう仇討ち、それが出来たのは偏にこの御方のおかげである。何度頭を下げても、謝意の籠った言葉を紡いでも足りはしない。それでも、今はこうしたかった。
「礼なんざいい。頭を上げろよ、そうやってぺこぺこされるのは苦手なんだ」
「しかし」
「いいっての」
こつりと小突かれ、さすりながら立ち上がる。
「横内、お前この後の処理はまかせていいか?」
「は? え、ええ、問題ありませんが」
一人になってしまったが、報告と事後処理は十分にこなせる。
「迎えの車が来るそうでな。どうやら別の任務が入ったらしい」
「も、もうですか?」
荒角を退治してまだ半日と経っていない。そんな短時間では魔力はおろか、肉体の回復もままならないのではないだろうか。
しかし、雲雀は気にした様子もない。
「はは、まったく……どこもかしこも雑魚ばかりだからな。俺みたいな最強の存在が必要なんだろうさ」
確かに、この人からすればたいていの存在は自身より下等に見えるだろう。実際に目の当たりにした力であるが故に、それは分かる。だが、死者を愚弄するような言葉に一瞬息が詰まる。
「それは……」
「……だからこそ、組織内の改革が行われたんだがな……まだ手が届いていねえか」
掌を握りしめ、眉を寄せる。
「強大な不浄の出現しやすい場所にこそ実力のある魔導官を多く配備すべきなんだが……ったく、前任の爺婆のせいで割を食うのは地方の連中ばっかりだ」
吐き捨てる。
魔導機関の大規模改革が行われたのは三年前である。旧体制では年老いて現場から離れた魔導官達が各部署を管理してた。魔導機関設立当初はそれで問題がなかったのだが、魔導機関の持つ数百年の歴史がそれを腐敗させていった。汚職、縁由による不当な昇級、金銭の横流し、権力の独占、生じた問題の隠蔽などが当たり前に行われるようになっていた。力なき者たちを保護するための存在が、気が付けば一部の限定的な人間が利益を貪るための組織へとなり下がっていた。
そこに刃を入れたのが、現魔導機関総司令である。彼は旧体制の穢れをありとあらゆる方面に開示し不正を暴いた。警察組織、政党、財閥、一般人、そして皇族に至るまで、一部の隙もない根回しによって旧体制を完全に破壊。そして、自身が中心となり、新体制を築き上げた。後に『俊異の降臨者』と言われ、魔導機関の頂点に君臨している。
新体制による最大の変化は、地方に属する魔導官の待遇であった。旧体制では、有能な魔導官は権力者の元に配備されることが多かった。これは彼らの意思ではなく、権力者達の自己顕示欲、蒐集自慢のためであった。これによって都市部以外の危険地域には実力の高くない魔導官が配備され、その命を散らすことも少なくなかったのだ。
まずそこに目を付けた新体制では、地方に相応の実力を持った魔導官を中心に、旧体制の三倍にも及ぶ人数の魔導官が配備されることになった。それと同時に過剰なまでの魔導兵装、魔術具の配備、保険制度の充実、居住施設の改善、医療従事者の配備、給料の劇的な増額などが行われたことで、地方魔導官署の環境は大幅に向上した。同時に新人魔導官の死亡率は十分の一まで下がり、『ハズレ』とまで言われていた地方に、自らの意思で配備を要求されるものまで現れていた。
新体制の恩恵は、魔導官だけではない。都市部と離れ、再開発、近代化を重要視されていなかった地方にも大きな変化をもたらせた。外部より魔導官やそれを支援するための人材が流れ込むようになり、新たな雇用の出現、資金や物資、人材の流通が加速、それによる急速な近代化。結果的に、日ノ本全体に血の気が通ったといっていいだろう。
当時は若手の魔導官による改革を良しとしない者もいたが、これほどの結果を示した現魔導機関総司令に対する不満の声は瞬く間に霞消え、多くがその傘下に加わったことで、その立場を不動とした。
しかし、それでも現状が完璧であるかと言われれば否である。魔導機関の育成部が尽力をしてはいるが、魔導官は絶対数は不足していた。これは魔導官学校へ入学できるのが一部の富裕層のみであったという旧体制の悪しき名残である。現在は国から支援金が下りることで家柄に関係なく、本人の意思さえあれば入学が出来るようになったが、それは三年前からのことである。魔導官学校は基本的に五年制であるため、必要数が輩出されるにはまだ時間がかかるのだ。しかし急ぐあまり、未熟な魔導官を配備しようものなら、貴重な人材が無駄に命を散らすこととなってしまう。それでは意味がないのだ。求められる場所に、十分な実力を持った魔導官が配備されなければならない。
ここ、白矢木は旧体制の影響を大きく受けていた。実力も不十分で、数も足りない。今回の事件においてそれは顕著であった。署員の半数が避難誘導と不浄分析に繰り出されたことで、実戦に臨めるのは僅か二人のみ。それで今までは対処できていたかもしれないが、荒角という強大な相手に対してはあまりにも頼りなかった。
「今回の件は上にしっかりと報告しておく。必要な物資や臨時の魔導官が来るまでは頼むぞ、横内」




