6-38 剣祇祭 おまけ
横内孝之は、眼下で繰り広げられる戦いにただただ圧倒された。人智を凌駕した怪物とただ一人の人間の、無謀とも取れる戦い。
彼が篝村魔導官署に配属されて七年になる。二月に一度は不浄が現れ、討伐に向かった。中には片手間で相手に出来るようなものも存在していたが、大多数は異なる。強大かつ凶悪。
理不尽ともいえる力を持ち、人界を蹂躙する異形。どれほど準備をしても、警戒をしても、犠牲者は出る。そのたびに怒りの炎を宿しながら対峙し、ぼろぼろになりながら戦ってきた。
決して上等な成績で魔導官学校を卒業したわけではない横内にとっては、繰り返される命がけの戦いは苦痛であった。しかし、それでも七年もの歳月を戦ってこれたのは、同僚と村人たちのおかげであった。
署長は四十を超える年齢ながら第一線におり、時に厳しく、時に優しく、彼を導いてくれた。特に、長い年月により培われた観察力、直観力、洞察力による分析は芸術的であり、憧憬の念を抱いた。
副署長は、掴みどころがなく、ぼんやりと煙草をふかしていることが多かった。時折、村人が訪ねてきたと思えば、日が変わるまで酒を酌み交わしながら将棋を指したりと、良くも悪くも奔放な人物。だが有事の際には率先して村人の避難指示に行っていた。優劣をつけるわけではないが、最も村民を思っていたのは彼だったかもしれない。
一つ上の先輩がいた。豪放磊落な性格で、やたらと腕力で解決しようとする節があった。いつも着崩した恰好で、気が付けば身体を動かしているような男性。岩のような見た目とは裏腹に、子供好きで日が暮れるまで遊んでいるということも良くあった。
初めは距離のあった村民も、どんどんと打ち解けてくれた。怪我をすれば山のような見舞い品を持ってきてくれた。当然のことだというのに、助ければ涙を流しながら感謝の言葉をくれた。中には、娘を貰ってくれと言う変わり者までいた。
小さな村だった。何もないといっても過言ではないような、辺境の寒村。しかし、居心地がよかった。骨を埋めたくなるほどに、第二の故郷と言えるほどに思い入れのある村だった。
だが、それはもう存在しない。
不浄に、あの化け物に全て壊されてしまった。
不浄の恐ろしさは身に染みている。実戦経験は豊富だと自負している。だからこそ言える。不浄、荒角は強い。今まで、この村に現れたどの不浄よりも強い。文字通りの化物だ。人間の手におえる代物ではないとさえ思う。
だというのに掛坂雲雀は、それと対等に、否、圧倒すらしていた。
彼の名は聞いたことがある。むしろ、知らない者のほうが少ないだろう。それほどに名の知れ渡った魔導官だ。
いつであったか、酒の席で署長が口にしていた。あれは人類の財産だと、存在が奇跡だと、まるで恋い焦がれる少女のような目だった。
「……ああ」
思わず声がこぼれる。今なら、署長の気持ちが分かる。
金の髪をたなびかせ、強者に立ち向かい、それを更なる力で押しつぶす。力には力、簡素かつ暴力的な理。だがそれは、現世において絶対的な理には違いなかった。
正面から真っ直ぐに征く。無謀な吶喊とも取れるほどの愚直な攻め。荒角は体勢を低くし、首を押し縮め、雲雀が間合いに入った瞬間、その角で薙ぎ払う。避難の遅れた村民十八人を一撃で死に至らしめた攻撃だ。簡素であるが、荒角ほどの巨体ともなれば必殺の攻撃となる。
金の獣は、角がどこを通るか分かっていたかのように跳ね、避ける。巨大な棺桶状の魔導兵装を背負っているとは思えない軽やかさだ。重力がその場にないような錯覚すら覚える。一気に懐び潜り込むと同時に、棺桶の溝の一部が展開する。吐き出されるように現れたのは二メートルはあるだろう、巨大な直刀であった。瓦程の厚みがある。ただしそれに刃のようなものは見受けられず、扁平。直刀の形をした鉄板、そんな印象である。
型など関係なしに、直刀を乱暴に凪ぐ。砂塵を巻き上げ、大気を切り裂き、荒角の左前脚を叩く。鈍い音と不浄の意味を持たない喉からの音が篝村中に響き渡る。間髪を置かず、脇腹から生えたもう一本を粉砕する。が、その膂力に耐えきれなかったのか直刀が歪み、ひしゃげる。
しかし雲雀に動揺はない。棺桶に手を伸ばすと、再度展開、酒瓶ほどの太さの筒が二つ転がり出る。あの棺桶は直刀の鞘かと思っていたが違う。
言うなれば兵装の倉庫だ。あの中に無数の魔導兵装が収められ取り出し、臨機応変に用いるというわけだ。魔導兵装は各々に特性を持っている。例えば、日本刀の魔導兵装なら切断能力を特化させるため刃を形成魔導によって保護するなどだ。それは魔導兵装を用いる上で大きな利点であるが、同時に欠点でもある。この特性は据え置きであるため、変更がほぼ不可能なのだ。それによって生じる事態は相性の不一致でえある。例えば、甲虫の不浄。これは持ち前の甲殻が分厚く、より強固になる。その硬度は金属を優に上回り、人間の力で振るわれる刃物などでは傷すらつかないことなどざらである。こうなっては特性も宝の持ち腐れだ。
だが、雲雀のもつ棺桶は違う。無数の魔導兵装を収め、臨機応変に用いることであらゆる敵と渡り合える。あれこそ魔導兵装の理想形と言えるだろう。もっとも、たいていの魔導官に持ち運ぶことすらできないのであろうが。
二つの筒は雲雀の手の中で変形し、片面が斜めに切断されたような形状となる。ちょうど鹿威しの竹筒のようだ。それを掌に乗せ振るい、緑青に覆われたような鱗の薄い部分に突き刺す。
同時に内部から爆発する。筒状である為、空洞から止めどなくどす黒い血液がこぼれ、新緑の大地を穢していく。不浄の回復力をもってしても、あまりにも大きな損傷である。簡単には傷は埋まらず、唾液をまき散らしながらもがき苦しむ。その間にもう一つ、棺桶から四つを取り出し。確実に穴を穿った。
「すげえ……」
感嘆の言葉が無意識に零れる。己も戦闘経験は踏んでいる。同年代でも上位に入ると自負している。だが、それは井の中の蛙であった。
掛坂雲雀を見ればその自負がいかにちっぽけなものであるか分かる。戦闘に慣れているという言葉で片付くような戦い方ではない。まるで未来が見えているような、完全な読みによる的確な攻撃。
荒角が血を流しながら、雲雀を圧死させようと思い切り横転する。しかしそれを村に設けられた畦に身を隠し難なく躱す。血走った眼を雲雀に向けると、飛蝗のものを思わせる後脚を大きく動かし、大地を蹴る。踏み固められた赤土が爆発し、その巨体が霞むほどの速さで跳躍する。右前脚を地面に突き刺し、体勢を整えながら、雲雀と距離をとる。
最初の睨み合いとは正反対の立ち位置。荒角の喉が振動、槍のような歯をむき出しに咆哮する。山々を切り裂くように木霊し、大地と木々が震える。
「……ほう」
雲雀が感心したように呟く。
不浄の最大の特徴は、その適応能力あるいは変化速度である。荒角も例外ではない。
全身が大きく脈動、皮膚が漣のように揺らぐ。波の行きつく先は後脚である。蠕動と共に筋肉が膨張し、圧縮される。それが繰り返されると、徐々に全身の形状も変わってくる。雌の蜥蜴を思わせるでっぷりとした形状は骨が浮き上がるほどに痩せこける。対照的に後脚は太く、不釣り合いなほどに逞しい。そして荒角という名の由来となった一対の鋸鍬形虫を思わせる角は不可視の万力で締め上げられている様に矢状面に寄っていき、力任せに捻じ曲げられる。二重螺旋、より太く、より強固に、より鋭利となり、鉛色の鈍重な光を孕む。
その異常な形状は、槍を連想させた。二突き目を必要としない、一撃必殺の力を宿す魔槍だった。
荒角は後脚を折り曲げ、力を蓄える。血管と筋肉が無気味に浮き上がる。膨張、圧縮、膨張、圧縮の繰り返し。限界まで膨らんだ風船のような危うさを感じさせる。骨と皮だけになった前足で半身を支え、穂先を雲雀へと向ける。
どれほどの威力となるのか、もはや想像すらできない。ただひとつわかるのは、これが必殺の攻撃であるという事のみ。
沈黙が支配する。気が付けば風も止み、木々のせせらぎも聞こえない。じっとりとした空気に呑み込まれ、頬を汗が流れる。
先に動いたのは荒角であった。
地面は弾け、隣接していた山肌をも砕く。地割れすらも引き起こす脚力によって銃弾の如く発射された荒角は大気を切り裂く。二十メートルを超える巨体であるというのに、目視不可能な速度は、人間の反射速度を上回っていた。形成の魔導による防御は勿論の事。回避ですら不可能な穿。必殺であることは疑いようもなく、確実な死をもたらす凶器。
だがそれは、相手が普通の人間であればの話である。
雲雀の人外じみた感性、所謂第六感というものは敵の行動を予期させていた。変形した躰が、その形状が、殺意が、その集合体である不浄がどう動くか、彼には見えていた。それ故に動ける。
突進と同時に横へ大きく撥ねる。荒角の体躯を考えれば、多少動いた程度で躱すことは出来ない。が、だからといって早く動きすぎればこちらの動きに合わせ、照準を合わせてくるだろう。文字通り、『同時』。そして全速で避ける。それは薄氷を履むが如き危うさであったが、見事に渡りきる。
不浄はその音速に匹敵する速さで斜面に直撃し、自爆する。
――はずであった。
巨大な銃弾となり大気を抉りながら、荒角はその両口角より生えていた突起を垂直に地面にぶつける。一見軟質的に見えるそれの中身はみっしりと隙間なく圧縮された骨が押し込められていた。一対のそれらは原始の自動車の制動装置の如き役割を有していた。
土飛沫が巻き上がり、地面が深く削られる。当然、荒角の驚異的な質量と暴力的な速度による力を一点に受けたそれは無事では済まない。筋肉ごと引きちぎられ、鮮血と肉片をまき散らしながら粉砕される。しかし、それでもその効果は絶大であった。
音速の銃弾は、駆ける獣の速さとなり荒角の細く頼りなく変形した前脚でも十分に停止できたのだ。
間を外され、雲雀の動きが止まる。時間にすれば一秒の半分、それにも満たないだろう。しかし、命の奪い合いにおいてそれはあまりにも大きな時間であった。
静止と同時に荒角が首を動かし、獲物を正面に捉える。距離にして十五メートル。巨大な体躯を誇る荒角をもってしても、攻撃するには大きすぎる距離だ。ただそれは、つい先ほどまで、つまり変化前の荒角にとっては、である。
螺旋状に絡まり、黒光りする角から軋む音がする。表面にある無数の凹凸の隙間がかたかたと震え、弾ける。
一対から一本へ、巨大な角は外見だけではなく、内部構造に大きな変化が生じていたのだ。それは蛙の舌に似ていた。鋼鉄の角は何百にもなる節が存在しており、その奥に限界まで圧縮された強靭な筋肉があった。筋肉はさながらバネのように縮み、力を蓄え、獲物が正面に来るのを待ち構えていたのだ。先端に備わった穂先は無慈悲なまでの加速度で、弾け出る。こんどこそ、完全に目視が出来ない。
雲雀の目の前に緑の盾が複数形成されるが、紙切れのように貫く。そして、魔槍は雲雀の腹部を確実に捉えた。




