6-36 剣祇祭 おまけ
松雲寮から第六十六魔導官署までは十分も歩けばたどり着く。しかし、その十分でも眩暈を起こしそうな熱気に、汗を滴らせる。こんな中で模擬戦をしようものなら日射病は免れないであろう。どこかで水と塩を補給しておいた方がいいだろう。
署の階段を駆け上がり、木製の重厚な扉を勢いよく開く。
「頼もぉーう、署長はいますかあ!」
執務室には人はおらず、むわりとした熱気に満ちている。窓は全て開かれているが、風がまるで抜けない。
「……どうした、篠宮義将」
ぐったりと、珍しく覇気のない状態で仄が万年筆を握っている。何かしらの報告書に追われているようだ。
「あれ、副署長、署長は?」
「ん? ああ、あの人は東北に赴いているぞ」
「東北ですか?」
そちらに向かうような任務を言い渡されていた記憶はない。となると、雲雀個人への任務という事になる。つまりは。
「遊撃魔導官としてだ。帰りは……五日か六日後だろうな」
交通網というものが未発達であるがため、どうしても長距離の移動には時間がかかってしまう。都市間であれば舗装のされた道が備わっていることも多々あるが、生憎、東北地方はそうではない。
「ちぇー、じゃあ無理ですか」
「何がだ?」
「いえ、署長と模擬戦しようかなと思いまして」
熱気のせいか、寄っていた眉間の皺が更に深くなる。なまじ美人である為、その迫力は凄まじい。気にしていないのは五樹位なもので、華也と綴歌は小さく肩を揺らす。
「署長と、模擬戦?」
「はい」
目元を押さえ、小さく唸る。
「……ああ、そのなんだ、自殺願望があるんなら相談に乗るが……」
「違いますよ!?」
「違うのか」
「当たり前です!」
ほっと胸をなでおろす。心なしか、皺も薄くなったようだ。
「その反応を見る限り、副署長は署長が戦っているところを見たことがあるんですか?」
「ああ」
六之介の問いに小さくうなずき、懐かしむように瞼を下ろす。
「あれは、そうだな、私がここに配属されてすぐのことか。近くの村落に不浄が出てな、確か……『黒咢』だったかな、熊の不浄だ」
几帳面に並べられた書棚から、一冊の報告書束と取り出し、広げる。手渡される。
「……犠牲者は三人で」
「……大きさは、全高四メートル、体重は五百六十六キロ」
「……身体的特徴は、胸まで裂けた大顎」
写真も添えられている。丸々と肥えた躰、異様に短い後ろ足、対照的に鎌のような爪を宿す長い前腕、頭部は胴体と一体化しているのか、異様に長く、名前の由来である巨大な顎には三列の鋸のような歯が並んでいる。胴から下は不格好な熊と言えるかもしれないが、頭部だけを視れば毛むくじゃらの鰐のようにも見える。
「その大咢と署長が戦ってな。私は普通の魔導がほとんど使えないため、見ているだけであったが……凄まじかったぞ」
ぺらりと頁を捲る。
そこにはもう一枚の写真。戦闘後のものと思われ、大咢が力なく地に伏している。
「なん、だ、こりゃ……」
五樹の言葉は皆の心の声を代弁していた。
仕留めた不浄を写した写真である。異形の熊が駆除されただけのもの。だが、異様なのは不浄の状態であった。
まず、両腕がない。この写真を見る限り、武器によるものではない。何か、力任せに引きちぎられたような断面。胴体からは臓器と砕けた骨が顔を覗かせている。そしておそらく決定打となったであろう部分、頭部である。大顎は限界以上に裂かれ、だらしなく舌が伸びている。幾重もの獲物を屠ったであろう牙は大半が砕かれ、肉を露呈させている。
惨殺体、そんな言葉がよぎる。
「凄まじいだろう? 何が恐ろしいかというとな、それは素手で、それも五分に満たない時間で行われたんだ」
「す、素手……?」
写真を見ては、目を擦る。これが素手で行われたと言われて、受け入れることのできる人間が存在するのだろうか。機関車か何かに撥ねられたと言われた方がまだ信じられる。それほどの凄惨な写真だった。
「ついでに言うと、ほとんど強化の魔導も使っていなかった」
「ええ……」
そこまでいくと、距離を置きたくなる。本当に人間であるのだろうか。
「篠宮」
六之介がぽんと肩を叩く。珍しく優しい顔をしているが、その裏に何か憐れみのような、好奇心のような色が見え隠れしている。
「な、なんだよ?」
「男に二言はないな?」
「待て! いや、待ってください! これは……ちょっと予想外、というか、無理だ、死ぬ」
「大丈夫大丈夫、手加減してくれるから、たぶん」
「俺、署長が手加減してくれてる様子を想像できねえよ」
華也と綴歌がうんうんと頷く。それに関しては、六之介も同意である。
面倒くさい、そんな一言で雲雀は全力で襲い掛かってきそうだ。
「まあ、なんだ。向上心があるのはいいが、相手は選ぶと良いぞ。お前たちでやってもいいし、何なら隣の魔導官署に話をつけてやってもいい。だから」
一呼吸を置き、こちらを見据える。
「……署長とやることだけは、やめておけ」
その一言に込められた圧力に、了解をせざるを得なかった。




