6-34 剣祇祭 おまけ
うだるような気候が御剣を包んでいた。いたる所で陽炎が昇る。行きかう人々は日傘をさし、帽子をかぶり、手拭で汗をぬぐいながら、暑さに耐えていた。
松雲寮は基本的に日当たりが良い立地をしている。それは生活をする上で長所であるが、稀に見る酷暑である今夏においては短所と言えた。
「……あああああっつい……」
食堂の机に突っ伏しながら、呪詛のような声を五樹が漏らす。紺色の甚平から出た足は水の入った桶に突っ込んである。ほんの数分前までは氷が浮かんでいたというのに、もう生ぬる
くなっている。
「……」
その向かいで、綴歌が無言でぐったりとしている。彼女の出身は雪国である為、どれだけ経とうとこの気候には慣れそうもない。冷夏であったという去年でさえ、彼女は二度倒れた。
今年は本格的にまずいかもしれないと憎らし気に差し込む日差しを睨む。
「六之介たちは大丈夫なんだろうか」
ここにいない二人の部屋も二階だ。直射日光は勿論の事、熱が壁伝いにくるため尋常ならざる室温となる。さながら蒸し風呂であり、とてもではないが居座れたものではない。だから
こそこの二人は、比較的に日陰である食堂にいる。
「……生きてはいるでしょう」
動きたくないという思いが伝わってくる。いつものような明朗さは一切ない。
「まあまあ、ちょっと見に行こうぜ。女子の部屋は確認し辛いしよ」
脱水症状で倒れていたなどということになっていては、笑うこともできない。最悪、死に至る。
「……仕方ありませんわね」
ゆらりと瀕死の幽鬼のように立ち上がる。小突くだけで倒れてしまいそうな弱々しさだ。
食堂入口の暖簾を潜り、階段を上る。一段上がるごとに室温の変化がありありと伝わり、二階に着く頃には汗が噴き出していた。蝉たちの大合唱が熱を際立てている。
「ええと、六之介の部屋は……と。おおーい、六之介、いるかー」
扉越しに声をかけるが、返事はない。
「おおーい」
無音。本当に倒れているんじゃないだろうかと取っ手をひねると、何の抵抗もなく扉は開いた。室内はむっとした熱気に満ちている。こんなところでは一時間と過ごせないだろう。
ただ、室内が無人であったことに胸をなでおろし、扉を閉じる。
「おりませんの?」
「ああ、いないな。どっか出かけてるのかな」
この気候の中、六之介がわざわざ外出するとは思えないが、いないことは間違いない。
華也の部屋は隣である。綴歌が扉を叩く。
「華也さん、生きてます?」
扉越しにばたばたと音がする。
「生きてますよー、どうかしました?」
水色の着流しを着ている華也は汗一つかいていなかった。それどころか、部屋の名からふわりと涼しい風が流れてくる。思わず瞠目する。
「え、なんですのこれ」
「どうかしましたか?」
「……涼しい空気が」
ああと呟くと、入室するように告げる。断る理由もないため上がり込むと、華也の部屋は外と比べると季節が一月ほど進んでいるのではないというほど涼しい。
窓際には簾がかけられ、その傍らの金魚の描かれた風鈴が時折、りんと鳴る。
「どうしてこんなに涼しいんですの? 何かしまして?」
「ええと、私は多少の資金援助を」
そういって天井を指さす。そこには梁の間に網を張り、寝転がりながら本を読む六之介の姿がある。
そして彼の直ぐ傍には送風機があった。
「あいつ、蜘蛛にでもなったのか」
「何を言ってるんだ、お前は。馬鹿なのか? ああ、馬鹿か」
「一人で納得するな!」
呆れた様にこちらを見ている。
「えっと、実は六之介様が送風機を改造なされて」
「改造?」
「はい。冷蔵庫がありますでしょう? それの冷却部分と送風機を組み合わせたと」
天井に括りつけられている二つの送風機をよくよく見てみると、和紙で出来た管が伸びており、木製の箱とつながっている。見たこともないような奇妙な形に綴歌は首を傾げる。
「お前、そんなことも出来るのか……」
「大したことではない。ただの組み合わせだ」
「冷蔵庫の中身で部屋を冷やしてるのか?」
「そんなわけないだろ」
壁に掛けられた縄梯子を用いて、するすると降りてくる。
その手には南蛮語が印刷された本と筆記長が握られていた。
「ほい、すんだ」
「わ、ありがとうざいます!」
ぞんざいに手渡されたそれらを華也が宝物のように抱きしめる。
「翻訳か?」
「ああ」
高く積まれた本の山を縫う様に歩き、何やら一枚の紙を手にしている。どうやら報告書であるようだ。
「こんな感じだ」
報告書の裏面には、無数の数字と恐ろしいまでに緻密な絵があった。単位などは分からないが、設計図であると分かる。
「これは……」
「まあ、要するに、冷蔵庫の冷却機能によって生じる冷気を送風機で送っている、それだけだな」
「冷却機能で直接部屋を冷ますわけにはいきませんの?」
「無理無理。とてもじゃないけど、この部屋を冷ませるような能力はないよ。それこそ二十台、三十台と必要になるかもね」
冷蔵庫はかなりの高級品だ。松雲寮に置かれている個人用のものは酒瓶ひとつ入らないような大きさだが、それでも魔導官の平均月収の二倍から三倍はする。そんなものを何十台も購入するというのは現実的ではない。
「なるほど、だからこの箱の中の空気だけを冷やして送り出していると」
「ああ。それに、温度が低くなれば体積が小さくなるからな。一度送り出してしまえばそのまま下に留まる。シャルルの法則だったかな、たしか」
物理化学はあまり得意ではないため、やや言いよどむ。
五樹と綴歌が顔を見合わせ、打ち合わせをしていたように同時に首を傾げる。
「何?」
「いや、お前、そういうのってどこで学ぶんだ?」
「どこか高等な学舎、あるいは研究施設出身とかですの?」
そういえばこの二人は伝えていない。自分の出身を知っているのは華也と署長の二人、自分の正体について知っているのは華也だけだ。
どうしたものかと一瞬考える。隠していることで何かしら利益があるかと言われたら否である。例えばこの二人が、実は敵であり自分の正体を探っているいうことがあれば話は別だが、共に過ごして観察は済んでいる。結論を言えば、そんなことは欠片もない、恐ろしいほどに生真面目で愚直な人間である。
ならば話してしまった方がいいだろう。さすればこちらの指揮や判断を信用してくれるようにもなるであろうし、なにより、この世界の常識から浮いた自分の説明を繰り返ししなくとも済む。
「二人とも、少し聞いてくれ」
「なんだ?」
「自分がこういった知識をどこで得たか、そして自分がどこから来たのかについてだ」




