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6-33 剣祇祭 おまけ

 篠宮五樹の朝は早い。日が昇ると同時に起床し、御剣の街を駆ける。魔導官学校時代に行っていた体力づくりの習慣が身体に染み込んでいた。

 距離を測ったことはないためどれほどなのかは本人も分からない。しかし、いつもと同じ経路を、いつもと同じ程度の力で走ると、一時間きっかりになり、六時に松雲寮に戻れる。最


初の頃は吐血でもしてしまいそうなほどだったが、今となっては少々呼吸が乱れる程度だ。近々距離を伸ばしてもいいかもしれない。


 寮の裏手には庭がある。広大とは言えないが、簡単な鍛練をするのには十分な程だ。魔導官のための寮であるため当然なのかもしれないが、重宝している。

 いつも通り立てかけてある鉄刀を手に取る。日本刀の形はしているが、刃はついていない武具である。本来は相手を必要以上に殺傷せずに制圧するために考案されたものだが、五樹はそれに重りをつけ、鍛錬に用いている。

 刃の先端から等間隔で穴が穿たれており、そこに重りを嵌め、固定するようになっている。五つの重りをつけると、三倍近い重さとなり筋肉に負荷がかかる。両手で強く握り、振るう。風切音が耳に心地いい。出来ることならば、掛け声の一つや二つ上げたいものだが、近所や同僚に迷惑がかかるのは申し訳ないため控えている。


「毎日毎日よくやるな」


 呆れたような声がして思わず二階を見ると、時間に関係なく眠たげな眼をした同僚がいた。


「おお。六之介! おはよう!」


「ああ」


 ひらりと力なく手を振り、大きくあくびをする。

 以前は名前で呼ばれることを嫌がっていたが、受け入れてくれたようだ。


「……」


「なんだ?」


 こちら、というより手元を見ている。六之介の姿が消え、目の前に現れる。


「うお!」


 瞬間移動の能力である。どんなものか分かっていても、唐突に人間が目の前に現れれば誰でも驚く。

 六之介はひょいと五樹の握っていた鉄刀を奪い取る。


「ふうん、結構重いんだな」


 片手で雑に扱われる。


「まあな。普通の刀の三倍くらいはあるからな」


「へえ」


 見様見真似だろうか、不格好にそれらしく構える六之介の姿が微笑ましく見える。


「そうだ、せっかくだし教えてやるよ、構えとか握り方とか」


「いらん」


 取り付く島もない。だが、そんな扱いを受けることはとうに慣れている。そして、六之介は案外押しに弱いという事を華也から聞いている。


「まあまあ、そう言うな」


 後ろに回り、手を掴む。六之介の肩から顔を覗かせる。


「おい、汗臭いし暑苦しい」


「気にすんなって。それにこっちから見ないと分からん。まずは、右手と左手の親指と人差し指の股が柄の真ん中に来るようにして……」


 右手に人差し指はふちがねにかかり、親指はかからない。左手は柄の巻止めを握らないようにする。これは実際に斬ったときの衝撃に耐えるためだ。


「……こんな感じか」


「もうちょい左手は上。そうそうそう」


 離れる。


「んで、まっすぐ上げるのと同時に右足を前に出して、真っ直ぐ振り下ろすと同時に左足を引き付けるんだ」


「む……」


 実戦向けというよりは、形式ばった動きだが初心者であればここからだろう。ぎこちなく言われたとおりに動かす。初めてであるためかおぼつかないのは間違いないのだが、体幹はしっかりとしている。六之介の身体能力を考えれば、当然ともいえるが、筋は良い様だ。


「……ううん、結構難しいな。左足が遅れる」


「まあ、得物が重いしな。ちょっと待ってな」


 そういって同じく立てかけてあった竹刀を手渡す。


「こっちのがいいだろ」


「よっと」


 ぶんと小気味よく振るわれる。勢いあまって地面に刃先が触れてしまうのは愛嬌だろう。


「軽すぎて戸惑うな」


「こっちが普通なんだけどな」


 何度か振ると、飽きたのだろうか。竹刀を握ったまま縁側に腰を下ろし、大きく一息つく。

 

「……お前、なんかすげえ疲れてねえか?」


 寝ぼけ眼はいつものことだが、今日は動きすらも鈍い。意識が散漫としているように見える。


「……ん、ああ、徹夜してな」


 大きくあくびをする。


「徹夜? なんか急を要することあったか? 報告書……は、ないよな、お前だし」


 大小に関係なく、事件あるいは依頼を解決すると報告書の提出が必要である。それに追われ夜更かしすることはあるが、六之介に至っては別である。彼が報告書を仕上げる速度は、六十六魔導官署でも随一である。要点をまとめあげ、端的に書き示すことが得手であった。


「ん、ちょっと翻訳をな」


「翻訳?」


「華也ちゃんの本」


 ああと察する。同僚である鏡美華也は署内で読書に勤しむことが多々見受けられる。何度かちらりとのぞき見をしたことがあるが、まるで理解できない文字の羅列であった。聞くとこ


ろによると南蛮語であるという。


「お前、翻訳まで出来るのか」


「多少はな……」


 ごろりと横になる。


「くそう、昔は三徹くらいまではどうということがなかったのに……衰えたなあ」


 右腕で目元を覆い隠しながらぼそりと呟く。


「三徹って……」


 魔導官学校時代に、試験勉強が間に合わず二徹したことがあるが、意識は朦朧とし平衡感覚すらも危うくなったことを思い出す。五樹は苦い表情を浮かべる。


「徹夜するほど難しかったのか、翻訳」


「いや、逆だ。捗りすぎたんだ」


 つまりは辞め時が分からなくなったということだろう。


「ちょっと待ってろ」


 返事も待たずに、食堂へ向かう。まだ華也も起きていない様だ。手拭を真水に浸し、良く絞り、六之介の元に戻る。


「ほれ」


 目元にぽんと置いてやる。


「む」


「鏡美が起きるまでまだ時間あるだろ。ちょっと寝てろ」


 ここは直射日光ではないが、日が昇れば眩しくもなるだろう。濡らしたのはただその方が心地よいだろうという判断である。


「……なんだ?」


 腕を少しずらし、こちらを見ている。よくよく見るとうっすら隈が浮かんでいる。


「……ありがとな」


 照れくさそうに一言告げると、手拭で目元を覆う。一分としないうちに規則的な寝息が聞こえてきた。

 

「……うーむ、初めて礼を言われた気がするな」


 邪険に扱われたことは数知れず。これは貴重な経験をしたかも知れない。疲労困憊、あるいは意識朦朧としているときは素直になるということは記憶しておこうと頷きながら、再度鉄刀を手に取った。


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