6-30 剣祇祭
魔力によって導かれ生じる現象、魔導。それは三つに大別できる。赤色の魔力光を持ち、高出力の魔力を打ち出す『放出』。青色の魔力光を持ち、偏りのある魔力を全身に延べ広げる『展開』。緑色の魔力光を持ち、魔力の引力を利用し物質を形作る『形成』。
いずれもこの世界において、人々と文明と共にあったものであり、欠くことのできないものだ。戦うための手段としては勿論の事、赤の魔導は動力として、青の魔導は医療現場で、緑の魔導は工事現場や建築現場なので用いられる。また、それらは魔術式によって機能するものも多い。
魔導の出力は、使用者の魔力に依存する。魔力量が多ければ出力は大きくなり、使用における自由度が増す。その魔力は肉体に、更に言うなれば細胞に、更に言うなれば分子に、更に言うなれば原子に存在する『効子』から生じる。効子はあらゆる場所に存在しており、徐々に肉体に流入していく。そして、それが飽和すると効子の流入はなくなる。使用に応じて適時、流入するようになる。主に用いられるのは大気魔力であり、一度に膨大な量の流入が起こる。この時、局所的に効子密度が異なる大気が混ざりあい、光が屈折する。これによって陽炎のような現象が生じる。
六之介の脳内に、以前目を通した教科書の内容が思い出される。一言一句とはいかないが、これに近いことが書かれていた。
目の前で起こっている現象は、まさしくこれであった。
涼風唯鈴が魔力を解放する。彼女の姿は揺らぎ、波打っているように見えた。
上空から緑色の光が差している。それは形成によるものであるのだが、その速さと規模に魅入るしかなかった。
今まで見てきた形成の多くは直面によるものが多く、壁や箱とってものが大半であった。三大魔導の中でも頭一つ抜けて魔力消費が激しい形成の魔導、それを用いるのなら直面を多用し面積を、あるいは体積を最小にするのは当然と言える。
しかし、唯鈴の形成魔導は違った。
曲面を多用、時折直面を入れる。形状は円柱状、半球状、板状、二股の棒状、筒状と多様である。それらが瞬く間に十、二十と増えていき、組み上げられていく。複雑かつ緻密、すでに数百に及んだ形成物が一塊となっていく。
それは『可動』する上で洗練されつくし、最適な形状となっている。半透明な形成物が複雑に入り組んでおり、迷路のような模様が透けて見える。力強く大地を穿つ二柱、それに支えられる曲がった扁平の筒、その筒からぶら下がる異様に長く細い円柱、そして頂点に置かれた小さな球状。
見慣れた形状をしている。この世界において最も繁栄し、高度な知能を持つ存在と酷似している。つまりは、『人型』だ。やや不格好だが、人の形をしている。ただし、一点を除いてである。
それは人と呼ぶにはあまりにも巨大過ぎた。全高四十メートルは下るまい。物理的に考えれば自立はおろか、自重を支えることすら困難であるはずの体型。それがこの場に存在している。この世のものとは思えない、この世界に来てから受ける最大の衝撃に瞠目せざるを得ない。それは華也も同様であるらしく、ぽかんと間抜け面で巨人を見上げている。
「うん、今日は三号で行こうかな」
唯鈴はいつの間にか巨人の肩に乗っている。
再度形成が始まり、巨体に装甲が追加されていく。大袖から始まり籠手、手甲に至る。流れるような蛇腹だ。胸板、胴、草摺、脛当、毛沓も同様だ。可動範囲を損なわぬよう配慮された配置となっている。そしてさいごに面頬、眉庇、吹返、忍緒、前立が形成され、最後に三日月を模したような鍬形が装着される。
干物のような細長い体躯をした巨人は姿を変え、雄々しい鎧武者が出来上がる。
その大きさと形成精度は間違いなく異常であるのだが、とりわけ際立っていたのはその速度だ。最初の形成物――今になってみれば脊髄であると分かる――から完成するまで十秒とかかっていないのだ。
巨人の関節が赤く発光する。放出の魔導によって動かしているのだ。そんな乱暴なやり方で動かせないはずなのだが、鎧武者の動きは違った。まるで自我を持つかのように、滑らかで滞りなく動いて見せる。
十人近い人間が乗れるであろう左手が伸びる。巨躯を感じさせない素早さで、逃れようとするヘリを追う。迫りくる掌を大きく左に避ける。次に右手が迫るが、高度を落とし避ける。高度な操縦技術である。一朝一夕で身についたものではない。
ヘリの動きが一瞬鈍る。躱し切ったという思いがあったのだろう。現にヘリは鎧武者の右肩の後ろに回っており、手を伸ばそうとも簡単には掴めない位置にいる。人型をしていると言いうことはどこまで動くかを予測しやすいとも取れる。操縦者の判断は間違っていない。しかし。
「甘い」
鎧武者の大袖の隙間からもう一本の腕が一瞬で形成される。これほどの巨人を十秒ほどで形成できる唯鈴にとって、腕の一本など造作もない。
突如として現れた人型では決してあり得ない第三の腕は、ヘリを手中に収める。プロペラが掌にぶつかり、砕ける。まるで蜻蛉を捉えるかのように、そっと優しく覆うと放出の魔導で扉を吹き飛ばす。
「姫殿下!」
唯鈴が声を張りあげた。
「くそ、こんなのありかよ!」
靄掛かった意識の向こうで。怒鳴り声がする。それは怒気よりも困惑を多く孕んでいるように聞こえる。
「左、左! 躱せえ!」
がたんと身体が大きく揺れ、世界が斜めに傾く。重力に引き寄せられるがまま、叩き付けられる。その痛みで、意識がようやく覚醒する。
金属製、丸みを帯びた息苦しいほど狭い場所にいる。自動車の室内であるようだが、ひっきりなしに上部から連続する爆音が聞こえ、それに応じる様に空間が揺れている。前席には二人の男がいる。耳あてのようなものをつけており、必死に怒鳴りあっている。
重厚な作りの窓の先には、緑色に輝く巨大な腕が迫っていた。非現実的な光景ではあるのだが、扶桑には見覚えがあった。否、見覚えどころではない。この巨人の姿を考案したのはまぎれもなく自身なのだ。
「……三号ではないか」
蛇腹の甲冑を多用し、頭部に巨大な三日月を模した姿。いつであったか、唯鈴の作り出した巨人があまりにも貧相な姿形をしていたため、何か甲冑でも着けてやれと共に考え出したものだ。これはその三つめで、三号と呼んでいる。
巨人の肩には、唯鈴が乗っている。珍しく真面目な顔をして、三号を操っている。
ああ、そうであった、自分は誘拐されたのだ。そして、今何かしらの飛行機に乗せられていることを察する。
再度、振動。先ほどよりもはるかに大きく、この乗り物が変形する。操縦者達は情けない悲鳴を上げながら頭を抱える。
新たに形成された三号の腕がこの乗り物を掴んでいた。まるで蜻蛉や蝉でも捕まえるように、そっと包んでいる。
同時に出入り口が吹き飛ばされる。一瞬の赤い光、放出の魔導だった。
「姫殿下!」
聞きなれた声がした。これまた彼女らしくない切羽詰まった声色だ。
視界の隅で操縦をしていた男たちが動く。手には刃物と見たこともない銃火器が握られている。この期に及んでも抵抗し扶桑を人質にするつもりであるらしい。
それを尻目に駆け出す。ここが如何なる高さにあるかは分からない。外の状況など知る由もない。だが、何を案ずることがあるだろうか。
今、妾に手を差し出している、妾を助けようとしている存在は誰だ。
「唯鈴!」
浮遊感。下から吹き上がる豪風に、平衡感覚がなくなる。上下が分からない。自身が何を見ているのか、何を聞いているのかも分からない。ただ落ちていることだけは分かる。しかし、恐怖はない。
刹那。
包む、柔らかい感触、心臓の鼓動、温かな身体。耳元で聞こえる、とぼけような声。
「……ご無事ですか?」
見上げる。巨人と同じ色の瞳が優し気に弧を描いている。いつもの人を食ったような顔ではない。
首肯すると、満足げに右腕が胴に絡む。
「姫殿下、そのまま捕まっていてくださいね。私の腕の中は、世界で一番安全です」
しばしの間。
「……ああ」
ふと思い出すのは、初めて出会った日の『約束』。唯鈴も覚えているのだろうか。
力いっぱいしがみつくと、唯鈴は満足げに妾の頭を撫で、巨人を見上げる。
それに呼応し、無数の関節で放出の魔導が発動。回転翼航空機を六之介達の前に差し出す。言わずとも為すべきことは分かっていた。
「ちぇ、おいしい所は持っていかれちゃったか……」
「そんな時もありますよ、では拘束しましょう」
六之介と華也は、巨人の手に飛び乗り、操縦席の二人を拘束する。
抵抗はほぼ無に等しかった。当然であろう。人質はなく、満足な装備もない。とどめとばかりに、涼風唯鈴がいる。従順を演じるのが最適であると敵も分かっているようだった。




