6-29 剣祇祭
夢を見ていた。
第三者の視点で妾は、妾の姿を見ていた。皇居前の桜の咲き具合、夜桜を肴に賑わう人々の歓声からすると六年ほど前だろうか。
五つになったばかりの子供には広過ぎる部屋で、ただぼんやりと天井を眺めている。父母は基本的にいない。日ノ本各地で行われる国事行為、式典への出席、災害のあった地域への訪問、この国の象徴でも公務から逃れることは出来ない。いや、象徴であるからこそだろうか。
さみしいと思わないと言えば、嘘になる。だが、ついていくにはいくには自らの立場も理解できていない妾には幼過ぎた。
時刻は日付が変わるかどうか。眠気はない。
瞳を閉じ、一日を思い返す。夜明けと同時に起床し、寂寥とした広間で味があるのかないのか分からない食事をとり、息の詰まるような視線を向けられ勉学に励み、魔導の訓練をし、昼食を取り、学問に取り組み、魔導の訓練をし、湯浴みをし、夕食を食べ、眠る。
なんと退屈で、面白みのない一日が、娯楽もなければ自由もない。隙間すらなく規則的に定められた毎日を過ごす。心はとうに冷え切り凍り付いている。
硝子越しの満月を見る。防護のため特注だというそれは、ひどく分厚く鉄版に景色が歪むほどの硝子が嵌められている。まるで檻だ。決して逃れられない、皇族という檻。
「……っ!」
指南役から読むように命じられていた学術書を投げつける。鈍い音を立てるが、やはり傷一つつかない。
それが現実を突きつけられているようで、無性に腹立たしかった。気が付くと妾は部屋を飛び出していた。
埃一つない皇居の廊下を走り抜ける。本来ならばいなくてはならない守衛、親衛隊は一人としていない。もっとも親衛隊と言っても名ばかりである。皇家に対する忠心は表面だけであり、内心は何とも思っていない。加え、実力もない。家柄と親族の薦めで任命された者のみである。今年一人、魔導官学校から直接入隊した傑物がいると聞いたが、顔は知らない。
巨大な扉を開き、表に飛び出る。満月の優しい光が心地いい。まだ肌寒い風が花弁を乗せながら流れてくる。当てもなく歩き出す。敷地は広大である為、迷子となる恐れもあったが気にせず向う見ずに歩き出す。
付き人無し、護身武器無し、その上、こんな真夜中に抜け出す。たったそれだけのことに心が躍った。ほんの先ほどまで胸を蝕んでいた熱が冷めていく。
思い切り駆け出してみる。頬を冷気が撫でる。地面を大きく蹴り、芝生を掻き分けながら月夜の晩にまぎれる。無意識のうちに笑いが出ていた。いつもなら目付け役にやれ品がないや皇族としての自覚を持てなど言われるが、今は違う。今の妾は自由だ。
敷地内の木々の間を駆け回っても、声高に笑い声をあげても、そこらに寝転がろうと、咎めるものはいないのだ。なんと心地良いことか。なんと気分の良いことか。
宛先もなく、どこに向かっているかも分からずがむしゃらに動いていると、開けた場所に出た。人為的に切り開かれたそこには巨大な平屋があった。装飾の多い凝ったものの多い皇居内にしては質素なもので、頑強さと補強のしやすさを重視して造られた、そんな印象を受ける。
一度見たことがある。これは親衛隊のための鍛練場、あるいは道場のような場所であった。
ごんと野太い音がした。それは二度、三度と小気味よく続く。道場内からである。何者かがいるようであるが、こんな時間に鍛錬に励むような親衛隊がいたことに驚きを覚える。
好奇心に抗わず、出入り口に向かう。鍵はかかっていないようで、音もなく扉は開いた。
道場となっている敷地は、『8』の字に分割できる。上部は屋内で剣道や柔道、杖道などが行われる。下部は主に魔導の鍛練のための場所で、上部の倍以上の広さを有している。音の主は下部、魔導鍛練場にいるようである。
月光の下、一際鮮やかに山吹が咲いていた。滑らかに艶すら感じる動きで、ちりんと澄んだ金属音を伴い、舞っている。その景色は夢幻と疑いたくなるほど幻想的で、蠱惑的だった。いつだったか、父母と共に見た舞踊を思い出す。成熟し、洗練された動きによる美。それと同等のものを感じた。
鈍い音がやむ。山吹は大きく四肢を揺らしながら、汗をぬぐう。たったそれだけに目を奪われる。
「ん?」
こちらに気が付き、視線が向けられる。蛍火のように輝く翡翠の双眼。山吹色の髪に、紫と藍の簾簪。金属音の正体はこの簪か。高く鋭い鼻筋となだらか頬骨のせいか、凹凸のあるめりはりの聞いた顔立ちをしている。
まだ真新しい親衛隊の服は乱暴に脱ぎ捨てられており、軽装だ。肉付きの良い四肢には均整のとれた筋肉が芸術的なまでに美しく並び、すらりと伸びている。
彼女のすぐ先には、人を模した訓練用の魔術具が五体並んでいる。遠目からでも分かるほど傷み、雑に修理した形跡がある。
「おやおや、こんな時間に出歩くのは感心しませんよ、お姫様」
軽口を叩くような物言いで、歩み寄ってくる。柔道着からゆとりと厚みを削り取ったような道着は汗で変色している。手足には保護のためか、革が乱暴にまかれている。
「そなたは……ええっと」
「ああ、私は涼風唯鈴ですよ。お嬢さんは……扶桑姫で間違いないですか?」
首肯すると、ああ、やっぱりと笑う。
そのまま唯鈴は道場内に上がり込み、腰を下ろす。足をだらしなく投げ出す様を見ていると、さきほどの美しさは見間違いであったのかと疑いたくなる。
「んで、どうしたんです? こんな時間にうろついてると親衛隊たちに怒られますよ?」
「む」
口ごもると、察したのだろう。悪戯っ子のような顔をする。
「脱走ですか」
「……そうじゃといったら?」
連れて帰る、というのが本来のあるべき答えなのだろう。だが、唯鈴は違った。
「まあ、逃げ出したくもなりますよねー、あんな狭苦しい生活なんて。皇族ってのも大変ですね、食っちゃ寝して偉そうにしてるだけかと思ってましたよ」
「そなた、それを皇族の前でよく言えるな」
遠慮や敬意と言う言葉を知らないのだろうか。
「じゃあ、口先だけの嘘っぱちで畏敬の念を示しましょうか?」
「……いや、いい」
そんなものは嫌と言うほど聞いているし、味わっている。あまり気分の良いものではない。
唯鈴の隣に腰を下ろす。彼女は背丈のわりに座高が低いらしい。
「それにしても、感心であるな。このような時間まで鍛錬に励む親衛隊がいるとは思いもしなかった」
「ありがたきお言葉。まあ、本来親衛隊なんてものなら必死に鍛えなきゃいけないと思うんですけどねえ……」
「ちなみに他の連中は酒盛りをしていたぞ」
脱走の際、広間から盛りの付いた動物のような声が聞こえていた。
「またか……どうしようもないですねえ、あの先輩方は」
「また、とは?」
「毎日酒飲んでますよ。よほど暇なんでしょうねえ」
怒りを通り越し、呆れを通り越し、もはや何も感じない。平和であるに越したことはないが、いくらなんでも腑抜け過ぎてはいないだろうか。
「そなたは混ざらんのか?」
「冗談じゃないですよ。そんなことをしている暇はありません」
上体を反らし、夜空を見上げる。
「……力が欲しいので」
強い意志を含んだそれは、重石のように妾の耳に沈む。
「力? 何故欲する? そなたは弱いのか?」
「いいえ、強いですよ。超強いです」
「ほう、どれくらいだ」
「帝都の人間全員、いえ、日ノ本全土の人間が姫殿下の命を奪いに来たとしましょう。姫殿下の味方は私だけです」
数百万人はくだらないだろう。
「相手はいかなる武器の使用も許可され、私はこの身だけとします」
「ふむふむ、それで戦うとどうなる?」
「私が勝ちます」
さも当然とばかりに言ってのける。傲りや慢心など一切感じさせず、ありのままを告げる様な口ぶりだ。
「……くっ、はははははは、そうか。それは頼もしい」
「ふふん、そうでしょう」
「では、そんなそなたの欲する力はなんだ?」
戦う力ではないとしたら、それはなんなのだろうか。
「権力ですよ、権力」
「権力?」
「ええ、とりあず五年以内に親衛隊隊長になります」
「そなた、それは……」
無理である。現在腑抜けとなっている隊長も、この位になるまで十五年の歳月を要したと聞く。親衛隊は基本的に昇格というものがない。定年や辞職の際に繰り上げが行われ、実績のあるものが新たな長となる。
「可能ですよ、いい方法があるんです」
「ほう、どんな」
「まず皇居が左翼団体、あるいは反魔力団体に制圧されます」
「待て待て待て待て!」
「なんです?」
きょとんとした顔をする。
「なぜだ、何故そんなことに!」
「まあまあ、聞いてください。それで占拠されるでしょう? そうすると今の役立たずの、形だけの親衛隊たちは何もできずに捕まるか殺されるかしますよね。姫殿下は人質として捕まります。ここまではいいですね?」
全くよくないし、何をふざけたことを抜かすのかと怒鳴りたくなる。が、それを堪える。
「そこで私の出番ですよ。ほら、私って最強ですから、敵を一網打尽にして姫殿下を格好良く優雅に助け出します。それでその後、何故姫殿下の保護が遅れたのか、何故親衛隊は新人の涼風唯鈴以外役に立たなかったのかを私が公にします。すると、実力もないのに親衛隊に入れた連中の首が切られます。残った私が隊長。ね、完璧でしょ?」
「どこがだ!」
聞けば聞くほど呆れた内容である。非現実的であるのは言うまでもなく、さらには適当過ぎる。そう事がうまくいくはずはない。
「……そなた、ひょっとして馬鹿なのか?」
「む、失礼な。こう見えて魔導官学校首席で卒業してますよ」
こんなのが主席になってしまうのか。我が国の魔導官の質が低下しているのではないかと不安になる。
「はあ、なんだかそなたと話していると、疲れるな……」
「はは、じゃあもう眠れるんじゃないですか?」
時計が手元にはないが、屋敷を離れて随分と時間がたったような気がする。
「そうだな……帰るか」
「送っていきますよ。それなら見付かっても大丈夫でしょう」
「……そなたはあれであろう。妾がいなくなったと屋敷が混乱していた時、自分が見つけたと言って手柄にするつもりじゃろ」
「ぎくり」
「まったく……まともな親衛隊はおらんのか……」
「安心してくださいよ。権力のためにあわよくば姫殿下を利用する気満々ですけど、絶対にお守りしますから」
「矛盾しておる」
「はは、そうですねえ」
「まあ、よい。いざという時はしっかり守るのだぞ、約束だぞ」
「はいはい、約束です」
――これが唯鈴との出会いであった。えらく図々しく滅茶苦茶な女だと思ったものだ。その印象は未だに変わっていない。今になってみると、唯鈴はありのままの自分を始めから晒していたのだろう。だからこそ、妾は唯鈴と距離を縮め、語らい、同じ時間を過ごすことを好ましく思うようになったのだ。
そして、夢の世界が暗転する。
記憶の欠片、特に『あの日』の出来事の映像が断片として現れる。
皇居が占拠された瞬間、親衛隊隊長があっさりと殺された瞬間、他の親衛隊たちが戦わずして降伏した瞬間、捉えられ人質となった瞬間、解放の条件として皇族という存在を消すことが提示され瞬間、そして、そして――――。




