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6-26 剣祇祭

「ぐっ、ううううう……!」


 苦悶の声が口から零れる。

 本来ならばあり得ない量と時間の魔力放出によって、華也の手は赤く染まり、腫れている。掌全体に軽度の火傷が生じていた。しかし、それでも彼女は手を放さなかった。任務であるからという責任感もあるが、それ以上に、扶桑と言う存在を保護するためだった。

 皇族とはこの国の象徴であり、何よりも優先されるべき存在である。そのかけがえのない存在が誘拐された、これだけでも大問題であるというのに、もしもの話だが、殺害されるような事態ともなれば。


 想像するだけで、ぞっとする。間違いなく国民と政府は怒り狂い、事件の犯人、および組織を根絶やしにしようとするだろう。おそらく犯人は左翼団体と反魔力団体であると考えられ、その規模は膨大だ。それを消し去る為、政府は最大の戦力を投下するだろう。すると、起こり得るであろうことは、言うまでもない。内戦だ。

 同じ土の上で産まれた者同士が、殺し合う。血で血を洗う、終わりの見えない闘争が始まってしまう。


 それだけは、避けねばならない。


 水の温度は百度まで上がる。まだ、もう少しやれるはずだ。

 封魔錠のからはいまだに止めどなく魔力が溢れている。まさに無尽蔵と呼ぶにふさわしい量だ。魔力切れはない。まだ、やれる。


 ――――華也が手を放したのは、それから五分ほど経ってからだった。

 すでに両手の感覚はなく、水温はもう上がらない。放水栓が占められているためか、給水量も著しく減っている。


「これなら……」


 ふらりとおぼつかない足取りで動く。限界を超えた魔力の使用で、四肢の感覚がおかしくなっている。平衡感覚が特に怪しく、右半身は過敏に、左半身は麻痺している。眩暈や頭痛も生じている。我ながら、無理をしたものだと汗をぬぐう。お気に入りの浴衣は、汗で変色していた。頬をぬぐうと手の甲が煤をまぶした様に黒くなる。

 だが、人事は尽くした。極限まで異能を行使し、肉体を苛め抜いた。あとは涼風唯鈴を信頼するだけだ。


「華也ちゃん!」


 倒れそうになりながら、唯鈴の元へ向かう最中、六之介と出くわす。身に纏っている魔導官服は埃で灰色に染まり、彼自身も埃を吸った汗で顔が真っ黒だった。


「どろどろ、ですね」


「はは、本当にそうだね」


 ほんの少し前までは、華やかで、賑やかな街中にいたというのに、ほんの数刻で埃まみれ、蜘蛛の巣だらけの廃工場で汗にまみれ、身を粉にしている。魔導官と言う職業柄致し方ないとはいえ、笑うしかなかった。


「歩けるかい?」


「ええ、早く涼風様の所へ行きましょう」


 おそらく戦闘が行われているのであろう。高い反響音がけたたましく聞こえてくる。用いている武器はボーガンだと考えていたが、連弩に近い物だったのかもしれない。ただ、気がかりなのはこの音である。間違いなく金属同士のぶつかり合う音だ。六之介が受けた鏃は鉄製。おそらくこれが同程度の硬度を有する金属にぶつかっていると考えられる。だが、いったいその金属はどこから持ち出したのだろうか。

 工場内にあるものに金属板は存在しない。すべてが木材と小枝のような金属棒だ。この金属棒で高速で放たれる矢を防ぐのは無理だ。敵は自身の存在を遮断している。矢は放たれるまで認識できない。当然、それで防御が間に合うはずはない。


「この音は、涼風様ですよね?」


「だろうね。いったい何をやっているんだか」


 激しさが、より一層増す。


「おそらく、形成ではないかと」


「まさか」


 今まで見てきた形成魔導による壁は、最硬で硝子かアクリル板程度。それでも驚くべきことであるのに、金属音が響くほどの硬度など考えられない。

 仮に形成することは出来たとしても、矢を防ぐほどの速度で形成するなど不可能だ。


「はい、普通はそうです。ですが、戦っているのは『あの』涼風唯鈴様です。不可能ではないと思います」


「実力者だとは思うけど、それほどなの?」」  


「私がお貸しした教科書に記されていた『降臨者』についての頁を覚えいらっしゃいますか?」


 いつだったか、喫茶店で読んだ部分だ。


「うん。まさか……そうか、その中の『鉄壁の降臨者』って……」


「正体に関して公にされていませんが、そのお方こそ涼風唯鈴様であるというのが定説です」


 日ノ本における、五人の最強の魔導官。魔導機関の司令部、研究開発部、教育部、実動部、そしてそれらから外れた皇家直属魔導親衛隊に一人ずつ。

 皇族を守るために存在する、最強の盾。


「……なるほど、おかしくはないね」


 何よりも優先して護るべきものなら、そこに最大の戦力を置いておく。何もおかしくはない。

 反響音が近くなり、燈の明かりが見えてきた。ぼんやりと深緑色の輝きが浮かび、消えている。既知の形成魔導とは一線を画する色だった。


「涼風様!」


 その声に反応し、敵に注意を向けつつこちらに歩み寄る。どういうわけか、彼女には敵がどこにいるか分かっているようだった。


「おお、お疲れさん、二人と……って、うわ。真っ黒じゃん、あらまあ」


 ハンカチを取り出し、ごしごしと乱暴に華也の頬を拭く。


「だ、だいじょうぶですよお」


 むにむにと頬が伸びる。高価さを漂わせる純白のそれはみるみるうちに黒くなるが、唯鈴は気にした様子もない。


「うおお、めっちゃ柔らかい……」


 楽しむように頬をつまみながら、感動したような声を漏らす。唯鈴は楽しいのかもしれないが、華也は現状に戸惑っているらしく、文句をいうこともなくただ動けずにいる。


「ほい、完了。次は六之介君、おいで」


「い、いえ、自分は」


 満足したのであろう、唯鈴が 手を差し出すが、首を横に振る。


 ふわりと風が吹く。ぞわりと背筋が凍りつく。最初にくらった鈍器の一撃の予兆。凶器が振り下ろされる瞬間の微細な大気の動き。

 防御が間に合うか否か。回避すれば、華也に直撃する恐れがある。避けるわけにはいくまい。


「!」


 先ほどとは違う。焦りか、怒りか。なにかしらの激情を宿した一撃だった。頭部を正確に狙い、振り下ろされた角状の鉄材。直撃すれば死をもたらしたであろうそれは、六之介の直前で止まっていた。壁だった。深緑色の光を放つ壁が攻撃を受けるまで認識できない一撃を、食い止めていた。


「ちっ!」


 男性の舌打ち。跳び、距離を離れる。


「助かりました!」


「なあに、気にしなくてもいいよ。なれればどうってことないね、こいつら」


 ほぼ認識不能な敵に慣れたというのか。驚きを通り越し、呆れが表に出てくる。


「二人で攻めてきたんですか」


「うん。でも所詮は凡人よね。天才には勝てないっと」


 唯鈴が両腕を伸ばし、六之介を華也を抱き寄せる。


「うぷ」


「わぷ」


 露出が多いせいか、体温や匂いに一瞬、思考が止まる。


「ちょ、す、涼風さん!?」


「こらこら、もがくな。この私の胸に埋もれる機会なんて今後二度とないだろうから味わっておきなさい」


 からからと笑いながら、腕の力を強める。

 唯鈴が表情を引き締め、それと同時に、円柱状の形成物が三人を覆う。天井に蓋が為されており、完全な密室が出来上がる。


「何を……」


「ふふん、こちらが全力で攻撃できないことをいいことに、ちょこまかちまちまとショボい攻撃しおってからに。だがそれもここまで。死なない程度に、」


 円柱の外で形成が始まる。緑色の円錐だったそれは圧縮され、深緑色、暗緑色に変わっていく。初めは人間大ほどもあったが、みるみるうちに小さく、黒くなっていく。最終的にそこにあったのは、縫い針程の大きさにまで圧縮された形成物。それが幾百幾千も並び、さながら黒煙のように浮かんでいる。

 唯鈴の口角が、邪悪に歪む。直後に放たれる黒煙は散弾のように飛び散りながら天井めがけて飛んでいく。四方に放てば、敵を蜂の巣にできるであろうはずが、敵のいない方に放たれた。


 針は天井にも走る配管のみを正確に穿つ。一本たりとも外れはしない。針の穴を通すような正確さで、配管に無数の穴をあけていく。


「もがき苦しめ」


 天井から降り注ぐ、灼熱の雨。配管を通っていた水は、華也の異能によって煮え立ち、蒸気を放ちながら工場内にまき散らされる。円柱の中はサウナのような熱気に包まれ、外の様子は白く曇り見ることはできない。だが、音は、声だけは聞こえてくる。


「ああああああああああああああああ!!!」


 男女の悲鳴。獣の鳴き声のように荒々しく響くそれには苦痛の色しかない。回避不可能、同時に防御も間に合わない、残虐な一手。

  

「うわあ」


 火傷。永続的に続く痛みの中でも、とりわけ苦痛を伴う。それもよりによって、熱湯によるもの。死にたくても死ねない、中途半端な激痛。

 なかなか、えげつない。

    

 嗤っているのか、同情しているのか。ちらりと唯鈴の表情をうかがう。そこにあったのは、無であった。蔑むような色も憐れむような色すらない。ただ無。なんの興味もない、価値もない、道端の小石にすら向けないような表情で蒸気の先を見ていた。


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