6-22 剣祇祭
「しずね……うん、うん、そうそう、全域を塞ぐ感じで。ん、頼んだわね」
通信機を耳にあて、唯鈴が指示を出す。宮子としずねが中心となり、御剣市内の魔導官と協力し、市街へ向かう道を全て封鎖する。剣祇祭であるがゆえに、交通量は多いが見逃すことは出来ない。
多法塔の外れ、提灯の明かりがようやく届く程度の道外れに唯鈴、仄、実里、六之介、華也、綴歌、五樹、佐奈がいる。
「さて、と、主要道路の検問は大丈夫っと……どう、二人は」
仄と実里は膝を抱えて放心状態となっている。馬鹿が付くほど真面目であり、その上失態らしい失態のない二人には、こういった事態に対する免疫がない。しかも、よりにもよって皇族の護衛に失敗という、切腹ものの大失態である。
二人の目は虚ろで、口も半開き。放心し切っている。
「……駄目ですね。生ける屍です」
六之介が肩をすくめる。
情報収集がまるで捗らない。
「仕方ない」
情報収集を諦めるのかと思いきや、唯鈴は実里の正面に立ち見下ろす。右足を軽く上げ、暴力的な勢いで加速、彼女の顔面まで数センチの所にたたきつける。強化の魔導を使ってはいないにも関わらず、その威力は並大抵ではなく、実里の寄りかかっていた木製の壁には亀裂が走る。
「おい」
普段の唯鈴からは想像できない、重く深く、低い声。周囲の温度が急激に低下し、重力が増した様に肉体が重くなるような錯覚を受ける。
放心状態であった実里の身体が大きく震える。
「落ち込むのはいいが、やることは、やれ。お前は最低限の事すらできないのか」
「っ……で、でき、ます」
「だったら早くしろ。お前が落ち込んでいる時間に何の価値もないが、その中で姫殿下の身に何が起こるか分からないんだ」
仄も触発される。二人が立ち上がり、しばしの思考。小さく頷き、まず口を開けたのは実里であった。
「私と眉月礼兵は担当時間の護衛をこなしました。そして、交代の時間が近づいてきたため、合流場所である多法塔に十九時五十分に到着。私と彼女とで姫殿下を挟み、姫殿下の背後に塔が来るようにしておりました」
六之介と華也が見た時はその状態となっていた。証言に間違いはないだろう。
「それから、次の当番である稲峰義将と坂藤さんが来るまで待機をするつもりでした。その間、私は左側面を、眉月礼兵は右側面の監視をしていました」
「その時に近付く人は?」
「いません」
仄も頷く。この二人をもってして気が付かないなど、あり得るのだろうか。
「異能という可能性はありませんの?」
綴歌が問う。
「私の異能は、時間停止です。それと同等の能力をもった人間ならお二方の目をかいくぐることも可能ですわ」
「ふむ……佐奈、どう?」
背後で押し黙っていた佐奈が弱々しく口を動かす。
「……いえ、それはないです」
「となると、異能はない、か」
「ちょ、ちょっと待ってください、どうしてそう言い切れるんです?」
五樹が食って掛かるが、同意せざるを得ない。
「ん? ああ、佐奈は探査系の異能を持っていてね。残留魔力を見れば異能が使われたかどうか分かる。これに関してはこの私も及ばない程だからね、信頼してるの」
真っ直ぐに褒められたのが恥ずかしかったのか、華也の背後に隠れてしまう。
「となると、いったいどうやって……異能を無しに、この二人の目を欺くなんて可能なんですかね。それに、姫殿下は攫われたとき、抵抗するはず」
「そうだね、あんなのでも襲われたときの振る舞いは身に沁み込ませているから、悲鳴の一つや二つは上げる」
それすらもなかった。まるで幻の様に、一瞬で消え去ってしまった。
「魔力が、残らない……あの」
華也がつぶやき、六之介の肩を軽くたたく。
「どうしたの?」
「何の根拠もない、馬鹿げたことかもしれないのですが……この事件、六之介様と同じような方の仕業では?」
「!」
一瞬呼吸が止まる。住良木村の件が思い起こされる。
クリスベクターという、この世界にあるはずのない武器の存在。旧文明の遺物ということもあり得る。しかし、それにしては真新しすぎた。複製品だとしても、小さな住良木村に、それどころかこの世界に、あれほどの精度で造れる技術があるとは思えない。加え、この日ノ本では海外との貿易も盛んではなく、鎖国に近い状態だ。
ならば、考えられるのは一つ。
自分がこちらの世界に転移してしまったと同時に、武器、あるいはその作り方を知る人物も転移していたということだ。
そして六之介の中に、この事件を引き起こせる超能力の記憶がある。しかし、もしこの事件の犯人が『彼女』だとしたら、間違いなく死者が出る。
「隊長!」
一人の女性が駆け寄ってくる。瑛良である。
「瑛良、どう?」
「ふふん、成果もなく戻るわけないさ」
折り畳まれた地図を取り出す。御剣を上空から見下ろした地図であり、かなり詳細なものだ。通りはもちろんの事、店名やその階層までびっしりと書かれている。
「今ここが私たちのいるところで、姫殿下の魔力を感じたのがこことここ」
「二か所?」
地図を見ると三ノ四番通りと二ノ八番通りに赤鉛筆で丸が記されている。
「どっちも魔力量が濃かったんだ。多分、追手が来ることを想定して一時的にその場にとどまったか、姫殿下の魔力を放出させたかだと思う」
「なるほどね。よくやったわ。あとで何かおごってあげる」
「やった!」
「さて、じゃあ、実里、眉月礼兵、綴歌ちゃん、篠宮義将、永良は三ノ四番通りに向かって。私と鏡美信兵、六之介君、佐奈は二ノ八番通りに。各班、瑛良と佐奈の指示で目標の地点に向かい捜索。到着後、十五分の捜索で手掛かりを得られないようなら、三番通りの……江島旅館前に集まって」
地図上に指さされる。江島旅館は三番通りの中間にある御剣の歴史からすると比較的に新しい建物である。御剣の再開発の際に建てられた簡易宿所であり、客層は歓楽街を目的とした人々が主となっている。
「了解です」
皆の声が重なる。
長い夜の、始まりであった。
唯鈴の運転する自動車は、複雑に入り組んだ道を乱暴に駆けていた。左右に大きく揺られ、時に急加速で押しつぶされる。いつぞやの時の様に氷で酔いを取ろうかとも考えたが、あいにく水はない。
「六之介君」
「なんです?」
「さっき鏡美ちゃんと何か話してたよね? 何?」
ぎくりとする。よく見ているというより、おそらく彼女はその会話がこの事件にとって重要なことであると察している。
後写鏡に写る彼女の視線は、やはり底知れぬ深さがある。誤魔化せる気がしない。
「……荒唐無稽な話をしますが、信じてもらえますか?」
「うん」
即答である。
「では……」
話す。異世界のこと、超能力のこと、管理者たちのこと、そして、この事件を引き起こせる人物のこと。
口にしてみて、これがどれほど馬鹿げている内容であるか、改めて感じる。しかし、嘘はついていない。全て、自分が経験してきたことだ。
「……ふうむ、なるほど……超能力、ねえ。魔力を使わない異能って感じか……佐奈、それなら姫殿下の誘拐も可能だよね?」
「え、あ、あ、は、はい、たぶん……そうです」
助手席で地図とにらめっこをしていた佐奈がたどたどしく答える。信じられないという気持ちが伝わってくる。
「……本当に、信じてくれるんですね」
「信じるっていったじゃん」
「……ありがとうございます」
「いいよん。んで、その……『桜崎月華』ってのが、今回の事件を引き起こした可能性があるって?」
「はい。彼女は、『遮断』という超能力を持っていました。これは、自身の存在を認識できなくする能力です」
綴歌のものとは似て異なるものだ。
「ふむ、なるほど、その能力で外界から自身の存在を『遮断』し接近、姫殿下の姿を『遮断』し、誘拐したと」
「はい。最初は自分の元と同じ瞬間移動かと考えたのですが、それはあり得ません」
「そうだね、瞬間移動が可能なら残留魔力なんて残さずに逃げているものね」
さすがに聡明である。理解が早い。
「ただ……彼女がここにいるか、自分でも疑っています」
「なぜ?」
「彼女は、すでに死んだものとされているんです」
桜崎月華は、六之介が施設での生活が始まってから二年後に死亡とされている。
「それは、戦闘で?」
「いえ、我々の手で、です」
「それは」
「桜崎月華は、管理者に反旗を翻したんです。原因は分かりません。ただ、彼女は施設を消し去ろうとした。それを食い止めるために、自分を含めた三十五人の超能力者が彼女の拘束に投入されました。結果は……投入された自分以外の超能力者は死亡。管理者たちは彼女ごと施設を爆破しました」
あの光景を思い出す。かろうじて脱出した自分の見た、地獄の景色。施設があった場所は火口のように煮えたぎり、原形をとどめてはいなかった。あの中にいれば自分も死んでいたと身体の震えが止まらなかった。
「どうして君は生き残れたの?」
「……それは、これは多分、ですけれど」
「うん」
「自分が、桜崎月華に好かれていたからだと思います」
口にしていて何だが、ものすごく恥ずかしい台詞に思える。
「へ、へえ」
唯鈴も若干引いているように見える。
「す、好かれているといっても恋愛云々ではないですよ? 多分、弟のように思ってくれていたんだと」
瞳を閉じ、思い出す。前の世界の思い出は醜悪なものばかりだ。だが、その中で唯一輝いている記憶。
あの優し気な、眠たげに垂れた瞼の奥の灰色がかった瞳を思い出す。訓練の始まった自分にいくつも助言をくれ、あまり上手ではなかったが食事を作ってくれた。学術の面倒もみてくれた。おっとりとして、兵器として生み出されたとはとても思えなかったが、いざ模擬線をすると豹変し、自分は手も足も出ず、意識を失うまで叩きのめされた。そして目を覚ますといつも治療が施されてあり、ベッドの上に寝かされていた。
強く、優しく、美しい人だった。あの人の様になりたいと憧れた人だった。
だから、最後の時が忘れられない。
自分は、彼女を止めたかった。管理者に歯向かったこと、今ならまだ間に合うと叫んだ。自分も頭を下げる、だから引いてくれと懇願した。しかし、彼女は聞き入れてくれなかった。見たこともないような悲痛な顔で、今にも泣き出しそうな目をしていた。いつもの温かな微笑はどこにもなかった。
結局、彼女に何があったのか、最後まで分からなかった。前の世界に心残りがあるとすれば、それだけだ。何故彼女はああまで取り乱し、反旗を翻したのだろうか。何故彼女は、あんな顔をしていたのだろうか。
「ここです」
思考は佐奈の声によって途切れる。車が停まり、表に出る。
あったのは金属製の外壁で覆われた建物であった。その第一印象は、箱である。向かい合う壁の大きさは等しく、天井も平らだ。窓もなく、上部に僅かな通気口が開いている。この箱は全体的に寂びている。雑草が多い茂り、外壁一部はさび付いている。立ち入り禁止を意味する紐が無数に張られていることからしても、もう利用はされていないのだろう。
「これは……金属加工の工場ですね」
外観を眺めていた華也が呟く。
「わかるの?」
「はい。御剣の再開発の際に必要とされた金属類はこのあたりで加工されていたと聞いたことがあります」
周囲を見ると、似たような箱が月光の元で立ち並んでいる。
「なるほど、誘拐した人間を隠すにはもってこいって感じね」
いかにもといった様相をしている。
「佐奈、貴女はこの周囲で待機。何か魔力に異変があったら知らせて。他の二人は私と一緒に突入。姫殿下の捜索をするよ」




