6-20 剣祇祭
「……六之介様、六之介様」
気が付くと、跪いていた。衣服越しに敷き詰められた砂利が膝、掌に食い込んでいる。よろりと立ち上がる。
頭痛は、後引きすることなく完全に消えている。まるであの痛みそのものがなかったかのようだ。
「…………う」
眩暈。足元がおぼつかない。すかさず華也が手を差し伸べる。
「大丈夫ですか?」
心配そうに、眉が八の字を描いている。
「ああ、平気だよ」
嘘であった。本当は平気ではない。痛みはないが、形のない、超重量の霧に包まれているような怠さがある。気を抜けば、倒れ込んでしまいそうであった。その上、内心も平穏ではない。漣の様に動揺が収まらない。
華也は、ほっと胸をなでおろす。その動きに、否、彼女の手に、否、彼女の首元に目が奪われる。
――――そう、彼女の首もこうだった。色白で、華奢で、ほんの少し筋張っていて。
「あの、本当に大丈夫なんですか?」
柔らかな手が、六之介の右手を掴んでいた。手を伸ばしたのは華也ではない。明らかに、六之介からである。動揺が更に広がり、漣から大波へと変化する。背筋をひんやりとした冷たい汗が流れる。
何をしようとしていた。自分は今、彼女に何をしようとしていたのだ。
無意識であった。だからこそ、恐ろしい。自分の身に起こっていることが分からない。こんなことは初めてだった。身体が、思考による制御から逃れようとしている。
絡んでいた指を解く。指先が震えている。
どんという音がした。思考が遮断され、咄嗟に音のした方向、上空に目をやる。そこには、大輪の花が月夜を背景に咲き誇っていた。
「わあ」
華也が思わずため息をついた。
多法塔から、花火が上がっていた。一発や二発ではなく、間髪を置かずに次々に色とりどりの花が咲き乱れる。歓声がここまで届く。慌てた様子でこの神社まで駆け上がってくる家族連れや恋人、老夫婦がいる。どうやらここは、穴場であるらしい。知らず知らずに居座っていたこの場所から広がる夜空は遮るものはない。
たかが炎色反応の応用であると小馬鹿にしていたが、実物を目の当たりにするとそんな捻くれた考えを極彩色の一瞬だけ咲く花が焼き尽くす。
「綺麗だ」
ため息の様に、口から零れた。
「そうですねえ」
無言。二人で同じ方向を見つめ、何百発もの花火に目を奪われる。どれほど時間がたったであろうか。最後に、金色の、とりわけ巨大な
、向日葵を思わせるものを最後に打ち上げは止まる。しばしの静寂。そして、それを切り裂くように民衆から歓声、口笛、拍手が混ざりあい、爆発する。
隣では、華也も小さく手を叩いていた。目と目が合う。
「ふふ、よかった」
「ん、何が?」
「また、六之介様とこうやって話が出来て、よかったなと思いまして」
照れ隠しの様に頬を掻く。
「篠宮様に言われたんです。機会は作ったから話して来いって」
「くそ……あの二人、組んでたな……」
いつの間にか乗せられたことに気が付き、悪態をつく。
「意外ですね、すぐに察するものかと思っていましたが……」
普段ならそうだったかもしれない。しかし、今回はまるで頭が回っていなかった。
「…………とりあえず、篠宮は殴る」
あの駄犬のような人懐こい顔を思い出し、拳を握る。ごきりと骨が鳴る。
「……前々から思っていたのですが、本当に篠宮様と仲が良いですねえ」
「はあ? 仲が良い? どこが?」
そんな素振りは一度たりともした記憶がないし、友好的な関係を築きたいとも思わない。
「え、だって、彼だけ対応が違うではないですか。私と綴歌さんが同じ、署長と副署長が同じ、あと一般の方々に対するもの、そう区分すると、篠宮様だけは違うでしょう?」
「いや、それは嫌っているからであって……」
「嫌っている人と食事を共にしたりするのですか?」
「たまたま相席しただけ」
「休日を共に過ごしたり?」
「あの駄犬が勝手に着いてきただけだ」
一切の間髪を置かずに説明するが、苦しい。どう聞いても言い訳にしか聞こえない。
「……あの、一応聞くけどさ、その認識って……」
「はい、六十六署員、皆の共通認識かと」
頭を抱えるしかなかった。
「はあ、なんかもう、どうでもいいや」
諦めである。いつの間にか篠宮と親しく思われていたということへの、諦めである。
「え、ええっと、なんだかすみません?」
「いいよ、もう。はあ、なんか疲れた。時間は……」
七時半を五分ほど回ったところである。十五分ほどだが任務まで時間がある。
「華也ちゃん、多法塔まで一緒に行こうか、出店でも見ながらさ」
夕食を取っていないため、小腹がすいている。
「はい、是非ご一緒させてください」
嬉しそうに大きく頷く。満面の笑みを見るのも随分と久しい。
「じゃあ、ん」
立ち上がり手を差し出す。彼女の靴はいつもの魔導官用のものではなく、紫色の鼻緒の付いた下駄だ。これで境内から大通りまでの階段を下ると怪我をすることもあるだろう。
華也は、六之介の左手を見つめ、ぱちくりと瞬きする。
「なに?」
「ふぇ!? あ、いえ、なんでも! なんでもないです、はい!」
この薄暗さでも分かるほどに、顔が真っ赤だ。
お嬢様にとって、身体的接触はやはり抵抗があるということだろうか。
「嫌なら別にいいけど」
手を引く、が、それよりも早く華也の手が伸びる。ぼんやりとだが、青い光が身体から零れている。
「い、嫌じゃないです! で、では、はい、行きましょう、はい!」
「……華也ちゃん」
「な、何でしょう」
「ちょっと、いや、かなり痛い」
無意識なのだろう。手を掴もうと発動した強化、それによってもたらされる万力のような握力だ。職種故にやや角ばっているが、それでも女性らしい柔らかさを持った手だというのに、それに包まれた六之介の手から骨の軋む音がする。
「あ、す、すみません!」
強化が治まる。手を握られるなら、これぐらいがちょうどいい。
「ん……じゃあ、行こうか」
「は、はい……」
か細い声であるが、指を絡めてくるあたり嫌では無いようである。体温がやや高めで、汗もかいているが、言わぬが花か。
石階段を降り、塔の方へと歩みだす。
「華也ちゃんは何か見たいものある?」
六之介は飲食店が狙いである。確かこの先に焼き鳥屋があったはずだ。来るときに食欲をそそる香ばしい香りが放たれていた。
「え、ええと、私は……あ」
首を左右に大きく振ると、一点で制止する。基本的に華やかな装飾の施された出店が多い中、比較的地味な店がそこにはあった。古書、輸入品という文字が癖の強い文字で書かれており、店長であろうか。女性が退屈そうに頬杖をつき、大きくあくびをしていた。
「ふうん」
歩み寄る。しかし、店主から購買欲をそそられるような言葉もない。適当に一冊を手に取り、ざっと目を通してみる。印刷されているのは、日ノ本で見る言語ではなかった。最小限の直線と曲線で書かれ、一つの文字に意味を有さない言語、一部の形状に変化がみられるが、それはまぎれもなく英語であった。
「こんばんわ、久夛良木様」
「ん、やあ、いらっしゃい、鏡美ちゃ……ほっほう……」
華也の声に、ふと意識が浮上し、ゆるゆると手を振る。しかし、来客二人の姿を観察すると気怠そうな目元が意地悪く歪む。
「…………はっ!」
その訳がわかったのか、慌てて手を振りほどく。久夛良木はその様子を見て、更に笑みを深める。
「照れるな照れるな、いやあ、おめでたいねえ、鏡美ちゃんにも春が来たかあ、今は夏だけど」
「ち、違います! ちーがーいーまーすー!」
だだをこねる様に両腕をぶんぶん回す。それを避けながら、彼女らを尻目にぱらぱらと頁をめくる。安っぽい素材に色落ち、色写りのある紙面だ。その上、痛んではいるが、読む分には問題ない。
これは自動車の開発に関するものであるらしい。
「……ええっと、1567年……リチャード、クロス、テルマン、かな……が、古の跡地……旧文明か、より、設計図を、発掘し……また、その……近隣の……、リ、リガル村? の地下より、現物を……発掘、して……」
日ノ本だけにではなく、海外でも遺物は発見され、文明の発展に使われているようだ。写真も載せられているが、SFに出てくるような空飛ぶ車などではなく、四輪で丸っこい車体を持つ、こちらでもよく見られるものと同じであるようだった。土まみれなのか錆びまみれなのか分からないが、車体にはびっしりと塊状の物がこびりついている。
六之介を、華也と久夛良木が見ていた。目を見開き、驚きの色がありありと浮かんでいる。
「どうし」
「読めるのですかっ!?」
皆まで言わさず、華也が詰め寄る。いつもの清楚さと穏やかさはどこかに消え失せている。頬は上気し、眼は血走っている。控えめに言っても怖い。
「よ、読めるけど」
異世界ではあるためか、日本語は大きく様変わりしていたが英語はそうでもない。文法は同じで、文字の形もほとんど変化していない。
気になるのはPの曲線部分が中心付近に移っているくらいだろうか。それと、ピリオドが句点になっている。
「へえ、読める人初めて見た」
久夛良木が感心したように頷き、商品である輸入書籍をぱらぱらとめくるが、すぐに読めんと閉じてしまう。
前の世界では英語は必須だった。話すことは得意ではなかったが、読み書きは問題なくこなすことが出来る。この程度なら辞書も必要ない。
「灯台下暗し、灯台下暗しでしたよ、これは……」
六之介の肩を握ったまま、ぶつぶつと独り言を発する華也は不気味である。彼の背中をひやりとした汗が流れる。
「か、華也ちゃん?」
「……行きましょう」
「へ?」
強く手を引かれる。
「私の部屋! 輸入書籍! 翻訳! 南蛮語!」
「こ、国籍おかしいよ?」
助詞は消え、アクセントがめちゃくちゃである。異様に昂っている。ぐいと手を引かれる。否、引きずられる。こちらの抵抗など徒労に終わることが分かるほどの力である。可憐な少女の姿でも魔導官。身体能力は高い。
「というか、帰れないよ? 自分はこれから任務だし」
「あ」
引く手の力が弱まる。
「忘れてたんだ」
「す、すみません、つい」
ぺこりと頭を下げる。いつもの華也に戻っている。
「うう、お恥ずかしい……興奮のあまり我を見失ってしまいました……」
「好きなんだっけ、輸入書籍」
いつだったか、仄から聞いたことがあった。
「はい、そうなんです……久夛良木様によく仕入れてもらっていまして……読めないのですけれど」
興味のあるものを読めないというのはもどかしいだろう。ならば、あの暴走は理解できる。
「今すぐではないけれど、翻訳してあげるよ。ついでに読み方も」
華也は馬鹿ではない。きちんと教えれば卒なくこなせるようになるだろう。
「本当ですか?」
「うん、お世話になっているしね」
英語くらいならば十分に教えられる。元々、読むだけならば難解な言語ではない。
「ありがとうございます!」
「何冊くらいあるの?」
「四百冊ほどです」
「は?」
華也の住まいは松雲寮であり、間取りは六之介のものと同一である。荷物がさほど多くない六之介でも、手狭に感じることがある部屋である。箪笥と机、本棚、布団を敷けばいっぱいになってしまうような広さだ。そこに、四百冊もの本が置けるというのか。
六之介の脳内に浮かぶのは、ゴミ屋敷、汚部屋であった。
いや、華也に至ってそれはあるまい。服装や物腰、口調、署での仕事ぶりは見事なものだ。育ちの良さが見て取れるほどである。そんな彼女の部屋が汚部屋であるはずがない。そう信じる。
「まあ、四百冊はやらないけど、十冊くらいまでならやるよ」
「よろしくお願いします!」
喜色満面である。ここまで露骨に喜ばれると悪い気はしなかった。




