6-19 剣祇祭
納得をしたのかしていないのか、無言。
どことない気まずさを感じ、この場から去ろうと立ち上がる。が、六之介の手を華也が掴む。
「……なに?」
「六之介様は、お辛くないのですか?」
「どうだろうね。何が辛いのか、辛くないのか、自分で自分のことが分からないんだ」
脳を弄られているせいだろうか、それとも慣れなのか。それが分からない。
「……私は、きっと六之介様は苦しんでいると思います」
「どうして?」
「貴方が、優しい人だと思うからです」
再度腰を下ろす。
「どこがだい? 自分は」
「やり方は乱暴だったかもしれません。ですが、それでも貴方は私たちを守ろうとしてくれたのでしょう?」
「それは……」
どうなのだろうか。あの時のことはよく覚えていないというのが素直な気持ちだ。ただ本能的に、衝動的に、思うがままに武器を振るっていた。教えられた通り、外敵を駆除するために。
「六之介様の過去……境遇については、私は何も言えません。想像と理解の範疇を超えていますし、前の世界を知りません。語る資格はありません。なので、私が言えるのは今と、未来のことです。私は、六之介様に今のままでいてほしくない、変わってほしいというのが素直な気持ちです」
「どういうこと?」
「人は変わります。経験によって、影響によって、どこまでも変化します。私は、六之介様が変わりたいと思っていると、そう感じました」
「へえ……?」
自分が変われるなど考えたこともなかった。
「貴方は私を眩しいと仰りました。私は決して大それた人間ではありませんが、貴方の抱いたものは私への憧れのようなものではなかったのでしょうか?」
「自分でそれを言うのも凄いね……でも、なんだろう、それを否定する気にならないのはさ」
きっと図星なのだ。的を射ている。だから嘲笑すらも出来ない。
「私に、貴方を変えることは出来ないでしょうか? 人は、変われます。本人にその気があれば、誰でも、きっと」
「無理だよ。だって、脳からおかしいんだ」
人間という存在における思考、行動の中枢が破壊されている。外部からの力でどうにかできる問題ではない。脳神経は治らない。失われ
れば、死ぬまでそのままだ。
「そんなことは分かりませんよ。意外と、こう……根性とかで!」
「言うに事を欠いて、根性論かい?」
彼女らしくない意見に思わず笑ってしまう。
「それだけではないです。こちらの世界には、六之介様がいた世界になかった魔力があります。それが効くかもしれないじゃないですか!」
必死に両拳をぐっと握り、訴えてくる。
「そう、かもしれないね。じゃあ、仮にだ、自分にまともな倫理観が戻ったとしよう。でも、それでも自分がまともになるか分からないよ。兵器としての教育を受けているんだ。いざとなれば、簡単に人を殺してしまうかもしれない」
倫理観では止められない。もはや反射とよんでも過言ではない程に、染みついた凶行。
そうなれば罪悪感に呑まれる。押しつぶされるかもしれない。そうして、精神を病んだ同僚たちを知っている。
「それならば、私が止めます。貴方が、罪を犯しそうになったら止めます」
胸に突き刺さるような言葉だった。
「こんな私ですけれど、お手伝いくらいは出来ます。だから、六之介様」
「……」
「私を、貴方の御傍に置いてはくれないでしょうか?」
先ほどまでの弱々しさはない、いつも通り、あるいはそれ以上の意志の強さを瞳に宿していた。
真っ直ぐな瞳は、穢れのない思いを宿す瞳は苦手だ。何もなかった人形のような自分を思い出すようで、嫌だ。
「……君は……本当にお人好しだなあ」
魔導官というものはこうなのだろうか。
「そうですかね?」
「そうだよ」
無自覚なのだろうか。だとすれば、筋金入りだ。
「なんでそこまでするのかねえ」
「貴方のためだからですかね」
照れたような顔で笑う。
唐突に、ずくりの脳の奥底がうずいた。
熱が生じ、伝播していく。脳が変性し、固形化。それがひび割れていく様相がとっさに浮かぶ。
両手の爪を頭皮に突き立て、苦悶の声が漏れる。隣にいるはずなのに、華也の声が遠く、反響し、意味のなさない音として認識される。
住良木村、宮島での戦闘で起こった痛みと同じだと、直感的に察する。
方向感覚がなくなり、座っているのか倒れているのかすら分からない。上も下も右も左もない。無重力の様に、ぐるぐると回り痛みが増す。
直前に見た、華也の顔が歪む。彼女の姿は、赤い朱い紅い血に濡れていき、霞消える。世界は暗転し、気が付くと脛まで血に使っている。ゆらりと空間が揺れ、あの少女が現れる。はっきりと見えるのは、鼻から下だけ。上は、切り取られたように存在していない。真っ白な
血管すら浮き出ているような皮膚に、血色の悪い唇。その表情は、無である。口唇は真一文字に結ばれている。
血染めの白いワンピースからは、枯れ枝のような手足が力なく伸びている。
――――君は誰だ。
声は出ない。ただ、真っ直ぐに向き合う。
世界は暗闇に染まり、血の海がどこまでも広がっている。所々に曲面を帯びた硬質的な棒状のものが浮かび、沈む。かと思えば、ごぽりと粘着質な音を立て泡の中から肉塊が浮かび上がってくる。それは人の顔や人体の一部で皮膚は抉られ骨が露出しているもの、真っ黒に焦げ付いたものなどである。
ぽつぽつと水面から花のようなものが伸びている。その先端には対照ではない五つの骨ばった花弁が付いており、何かを求める様に広がっているもの、力なく垂れているもの、花弁がかけているものと多様だ。
仮に、地獄というものが存在していれば、このようなものなのだろうか。そんな考えがふと浮かぶ。
目の前の少女と向き合う。
じっと観察をすると、首が赤紫色に変色し目立つ。
鼻から上が存在しないため、年齢の推測は困難であるが、肌が垂れていたり皺があるわけではない。血色こそは死人のようだが、若々しく見える。自分と同じかそれ以下だろう。
ごぽりと音がして、足首に強い圧迫感を覚える。落ちくぼんだ目の男がいた。頸動脈を切断され、土気色の顔、濁った眼球。見覚えのある顔だった。
由奈瀬悟だ。自分が殺した男だった。それが恨みがましく、祟るように、道連れにせんとばかりに足を掴んでいる。
よくよく見てみると、あちこちに浮かぶ顔には覚えがあった。こちらの世界、そして、前の世界で殺めて来た人々だ。この手にかけてきた人間の顔はすべて覚えている。誰一人かけることなく、鮮明に思い出せる。
だからこそ、疑問に思う。
―――君は、誰なんだ。
自分の記憶の中に、こんな少女はいない。これほど身体に特徴があれば、間違いなく覚えている。
――君は、いったい。
ゆらりと少女が揺れ、一歩歩み寄ってくる。全身の骨が抜け落ちているかのようなぬるりとした動きに、生理的嫌悪感が募る。また一歩、さらに一歩。
こちらは動けない。ただ見ているだけだった。
少女は目と鼻の先にいる。呼吸音はしない。体温も感じない。生の気配がまるでしない。
右手に重さが来た。何か、そう、柄のようなものを握っている。視線のみを向けると、銀色に輝く刃があった。ナイフという呼ぶにしては暴力性に欠けるそれは、カッターナイフであった。ただのどこにでもあるような、刃の一部が錆び、年季を感じさせる。
身体が、動き出す。自らの意志ではなく、操られるように、ぎこちなく動く。
切っ先が少女に向けられ、ゆっくりと腕が伸びる。十センチ、九センチ、八センチ、ゆっくりとだが確実に距離は縮まり、首に当てられる。一瞬の制止。
少女の表情、口元が動く。
笑った。これ以上ないほど至福だと言わんばかりに、口唇が弧を描いた。
鮮血。
幾度となく経験した肉を穿つ感触、人体が肉塊となっていく死の感触、殺しの感触。勢いよく噴き出た血は六之介の身体を紅く染める。
鉄臭さと生臭さ。刃先から伝わる筋肉の痙攣とそれが止まっていく様。
いったいなんだ。自分は、何を見ている。この光景は、この世界は、この少女はいったい、何なのだ。
分からない。気持ちが悪い。自分の中に、自分の知らないものがあることが、ただただ不快で。
泣きたくなりそうなほど、胸の奥が痛かった。




