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6-16 剣祇祭

 剣祇祭を迎えた。

 大小の隔てなくあらゆる通りに何千にも及ぶ提灯がぶら下がり、ぼんやりと火袋から明かりが揺れている。それが目下から街の果てまで、光の列をなしている。どこからともなく聞こえてくる祭囃子と太鼓の音、そして爆竹の破裂音、ずらりと隙間なく並んだ出店から客寄せの声。食欲をそそる香ばしい香りが立ち込めている。普段から活気のある街だが、今宵はその比ではない。どこを見ても人間が群がり、ひしめき合っている。大きな街だとは思っていたが、これほどまでとは想像だにしていなかった。

 

 六之介は、多法塔七階外壁の一部に腰掛けていた。無論、本来ならば立ち入り禁止、それどころか、訪れることもできない場所である。自身の能力を用いて、その場に降り立ち御剣の街を見下ろしている。

 ふわりとぬるい風が頬を撫でる。


「……すごい」


 無意識に口にしていた。

 祭という行事に参加するのは初めてであるが、映像資料による知識はあった。当時は何の関心も抱かず見ていたが、場に立つと伝播するように、熱気と興奮が全身を包み込んで来る。


 日ノ本国内における三大祭の一つ、剣祇祭。規模としては、頭一つ抜きん出ており、参加者は五十万人と普段の人口の倍になり、経済効果は数十億円にも及ぶという。御剣内にある宿泊施設は一月前から予約が埋まり始め、今では全てが満席になっているらしい。また、既存の施設だけでは不足するため、近隣の町や村にも宿泊する人もいるという。


途方もない規模に眩暈を起こしそうになる。懐から懐中時計を取り出す。六時二十分。集合場所は塔の一階、すなわち。この真下である。

 立ち上がり、地上部分を見据えて移動する。飛び降りてしまうと自身に運動エネルギーがかかり、着地の際に怪我をする恐れがある為、飛び降りるわけではない。

 音も立てずに着地すると、多法塔の一階正面玄関の前には綴歌がいた。壁に背を預け、腕を組みながらきょろきょろとしている。


 軽く手を振りながら歩み寄ると、六之介に気が付いたようで、視線がぶつかる。

 見回りは三十分からと告げられていたので、まだ誰も来ていないと踏んでいたが、違ったようだ。


「早いね」


「十分前行動は基本ですわ」


 さらりと誇ることもなく、当然であるといった具合に言ってのける。綴歌といい華也といい仄といい、なんやかんやで五樹といい、魔導官とは生真面目な者ばかりなのであろうか。 


「……違うか」


 あの大男は、真面目ではないだろう。仕事はこなすようだが、執務に励んでいる姿を見るのは稀である。やっていても、仄に監視され恨み言をこぼしながらである。

 そもそも、あの人は署に来ること自体が少ない。いったい、普段彼は何をしているのだろうか。


「さて、少々早いですが、見回りに行きますわよ」


「ああ、うん」


 地図を開く。赤鉛筆でしっかりと道順が刻まれ、注意すべき点が事細かに書かれている。まっさらな六之介のものとは対照的である。


「すごいねえ。そんなに書くのは大変じゃない?」


 並び歩きながら覗き見る。


「私は書かないとすぐ忘れるから、大変も何もありませんわ。慣れですわね……貴方のは、真っ白ですわね」


「ははは」


 自慢ではないが覚えられるため、必要としないのだ。

 御剣の中央にある多法塔から東へ向かい、二番通りに入る。普段は和装と洋装が同等の割合であるが、今宵は和装が多く、女性は艶やかな色合い、男性は渋く暗色の浴衣を纏っている。提灯からの淡い光の元、老若男女が喜色満面で行きかっている。

 

 そんな中で漆黒の魔導官服は、かなり浮いていた。色も形状も異質だった。見回りのために仕方がないとはいえ、もう少し風情のある恰好が好ましいだろうと考えていると、綴歌の魔導官服、普段ならスカートが見えている部分の差異に気が付く。

 

「なんですの?」


「いや、その下に着ているのって」


 ああと納得し、呆れたようにこめかみを押さえる。


「今まで気が付きませんでしたの?」


「いや、その……すみません」


 綴歌は魔導官服の下に桃色の浴衣を着ていた。全容が見えないため、素材の良し悪しは分からないが、彼女には良く似合うであろう明色系の色合いだ。


「女性が普段とは違う恰好をしていたら褒めるものですわ。気が付かないなど論外ですわね」


 ぐうの音も出ない。人間観察は苦手ではないというのに、失態である。この熱気と雰囲気に当てられたのだろうか。


「剣祇祭ですからね。私も任務を終えたら楽しむつもりですの」


「綴歌ちゃんは見回りで終わりだっけ?」


「ええ、姫殿下の護衛は明日ですわ」


 姫殿下の部分だけ声を潜める。

 任務はローテーション形式だ。扶桑が出歩くのは六時から九時までであり、魔導官は一時間おきに入れ替わる。今日の担当は六之介と五樹と仄、明日は華也と綴歌と仄、明後日は六之介と華也と綴歌である。 

 今は五樹が護衛としてついているはずであり、七時からは仄、その後に六之介となり、担当時間までは見回りをした後に、祭を楽しんでもいいということになっている。。


「ところでさ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」


「なんですの?」


「署長って、普段何やっているの? 来ないこと多いけどさ」


 さきほどの疑問である。自分よりは魔導官として長い綴歌ならば知っているだろうか。

 

「ああ、あの人は遊撃魔導官ですからね。あちこちに出向いているのですわ」


 遊撃とは、初めから標的を定めず、状況に応じて行動しているということである。


「あちこちっていうのは?」


「文字通り、全国にですわ。北から南まで。人手不足、戦力不足などの理由で増援が必要とされる場所に赴き、手を貸す……それが署長の仕事の一つですわね」


 なるほど、それならば留守にしがちだというのも納得できる。以前見た白地図を思い浮かべる。前の世界に比べると国土は二回り近く小さくなっていたが、それでも一国。簡単に全国行脚できるわけではない。


「遊撃魔導官はそれなりに数がいますけれど、実績や信頼は署長がぶっちぎりらしいですわ」


「本当に?」


「ええ、にわかに信じ難いですけれど」


 あの普段の姿からは信頼を得られるような立ち振る舞いをあの人がするとは思えず、綴歌と共に片眉を上げる。


 舗廊から看板がぶら下がっている。通りの中間地点を過ぎたようだ。

 異常はない。金魚掬いには子供たちが群がり不器用に手を動かしている。杏子飴で口元を汚した若夫婦、広場で酒を酌み交わす中年達。皆が皆、上気した笑顔だった。平和そのものの光景に、思わず目尻が下がる。


「ん?」


 綴歌がこちらを見ている。


「貴方は、そんな顔も出来ますのね」


「顔?」


 頬を撫でる。だらしなく弛緩している。


「安心しましたわ」


「は?」


 いったい何のことであろうか。小首をかしげる。


「住良木村の件ですわよ。貴方のしたことに対する……何でしょうかね、不信ではないのですけれど」


「ああ、それね」


 動揺した様子もなく、単調な声だった。


「私は魔導官として貴方のしたことに不平不満を言うつもりはありませんわ。寧ろ感謝しているくらいです。あのままみすみすと殺されるなど、御免ですからね」


「へえ、罵倒の一つや二つは覚悟してたんだけどな」


「貴方が根っからの極悪人、もしくは快楽殺人者でしたら罵倒では済ましませんわ」


 旋棍をちらりと見せる。彼女がその気になれば、可能だろう。


「……そう」


 一定範囲の生物の知覚遮断、それによる疑似的な時間停止。強力無比かつ、必殺の異能。この場ではなくとも、戦闘への心構えができていない時、即ち、不意に発動されれば対処がほぼ不可能な能力。

 静寂。祭の喧騒が遠くなる。穿つような鋭い眼光。しかし、それが、ふと柔らかくなる。 


「……ですが、先ほどの顔を見てそんな気はなくなりましたわ」


「え?」


「貴方は、決して善人ではありませんけど、どうしようもない人間でもなさそうですもの」


「それは違う」


「違いませんわ。それに、本当に悪人なら否定はしませんもの」


 言葉に詰まる。


「どうして貴方は、貴方のしたことを釈明しませんの?」


 誰にかは言うまでもない。


「……」


「一応言っておきますけど、貴方のために言っているわけではありませんからね。いつまでもぎくしゃくした空気では私たちが不愉快だから、ですわ」


 任務に支障が出るかもしれませんし、と付け加える。


「ぎくしゃくねえ」


「ええ」


「はあ」」


 大きく肩を落とす。

 

「君らってさあ、ほんとお節介だよねえ」


 がりがりと乱暴に頭を掻く。自分とは、まったく異なる人種だ。あまり好まない存在である、はずなのに。


「まあ、うん、釈明するかどうか考えておくよ」


「考えるだけじゃなくて、やりなさい。先輩命令ですわ」


 白磁のような指先が眼前に突き付けられる。

 魔導官としては、彼女が先輩であることは事実だ。


 魔導官と言うのは、どうしてこうも真面目でお人好しばかりなのだろうか。嫌いなタイプの人間だ。何を考えているのか、どう行動するのか分かり辛いから、苦手だ。

 だというのに不思議と、嫌ではない自分がいる。それに戸惑う。



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