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6-14 剣祇祭

「ああああああ……」


「ふう、満足満足」


「ああああああ……」


「いやあ、好きなだけ食すのはいいのう」


 軽くなった、というよりは、そのものの重さしかなくなった財布を抱えながら、六之介の口から呪詛のような呻き声が聞こえてくる。しかし扶桑にとってはどこ吹く風である。腹をさすりながら、鼻歌交じりである。せっかくの上等な着物も汁の汚れや煙の臭いが付いてしまっているが、やはり気にした様子はない。


「……お前、なんで高いものばっかり……」


 扶桑の注文品はどれもが、この店で最高品質のもの、あるいは希少な部位ばかりであった。味は間違いなく良く、満足のいくものであった。しかし、しかしである。


「妾が粗末なものを口にするわけにはいかんだろう?」


 ふんぞり返る。


「だからって、頼み過ぎだ、なんだこの伝票。見たことないぞ」


 十枚ほどの束になった伝票には、隙間なく注文した品が書かれている。下段には合計金額が書かれているが、初見で卒倒しそうになった額である。現に持ち合わせでは足りず、銀行に駆けこむ羽目になった。


「妾にご馳走した記念じゃ、取っておくがいい」


 もう呆れて言葉も出ない。こんなことになるのなら、直帰しておけばよかったと両手で顔を覆う。


「はあ……もういいや、いいんだ、いいのさ、運が悪かったんだ」


 自分に言い聞かせる。が、懐は寒い。


「そうか、よかったのか。なら次行くぞ」


「その『いい』ではない! というか、二次会? 二回戦? なんでもいいけど、行かないぞ! 絶対行かないぞ!」


 柄にもなく叫ぶ。人目を気にせず、思い切りの意思表明である。


「ああ、それあれじゃろ? むしろ行きたいという」


「違う!」


 異世界だというのに、どこかで聞いたことのあるやりとりである。かの芸人に似たような人々がいるのだろうか。ひょっとすると、異世界だと思っているこの場所は、並行世界なのかもしれない。そうなれば似たような人間がいてもおかしくはない。


「まあいい。では、次はどこに行こうかの。おい、ろくのすけ、何かないか?」


 名前を訂正する気力すら尽きている。扶桑とのやり取りをする気すら起きず、相槌を打とうとした時である。扶桑でも六之介でもない人物の声が割り込む。


「そうだねえ……御家に戻ろうか」


唐突に第三者の声がした。


「はあ? 何を言っているのだ、まだ帰らな…………え」


 小さな肩に手を添える女性がいた。明るい橙色の髪と緑色の瞳、そして藍色の平板と紫色の球で出来た簾簪がぶつかり合い、小さな金属音がする。梅柄の羽織が夜風に揺れ、どこか幻想的な雰囲気を醸し出す。

 扶桑の首がぎちぎちと音を立てそうなほど、ぎこちなく動く。声の主を視界に入れると、目を擦る。再度、擦る。


「あまり目を擦るのはよくないかなーと。それと、本物だよ」


 本物という単語を強調すると、扶桑の顔がみるみるうちに青くなり、悲鳴が上がる。


「い、いいいいいいいいいい、いい、唯鈴ーーーー!?」


 逃げ出そうと足を動かすが、ひょいと持ち上げられては無意味である。虚しく空を蹴っている。


「はっはっは、どこに行こうというのかね?」


「な、なんでここにお主がおるんじゃあ!」


「それはこっちの台詞だよ? ご自分の身分も弁えずに、護衛も付けずに脱走とは、どういうことかな?」


 口調は穏やかであるが、目が明らかに笑っていない。自身に向けられていない怒気に震えがくるのは初めての事であった。


「だ、脱走ではない! えっと……そ、そう、視察じゃ! ほれ、剣祇祭の視察!」


 もっともらしいことを口走る。が、唯鈴が胸元から紙の束を取り出し、見せる。御剣全体を写した地図には所狭しと品書きがなされている。


「はい、実里が済ませておいたものだよ」


「……い、いや、ほら、自分の眼で見ないと分からないものがだな……」


「護衛付きで動くんだから、必要ないでしょう?」


「いや、その、いざという時のために逃走路をだな、えっと……その」


「ほーう、つまり姫殿下は我々親衛隊を信用していないと」


 追い詰められ、だらだらと汗を流している。目も右に左に泳ぐが、闇の中で一筋の光明を得たように六之介を捉え、輝く。


「ろ、ろくのすけ! 助けよ、ろくのすけ!」


「…………え?」


「えじゃない! 妾と其方の仲じゃろう!」


 どんな仲だ。友人だとでも言うつもりなのだろうか。こちらからすれば、被害者と加害者の関係が適切だ。


「あーー、涼風唯鈴、さん? でしたか?」


 翡翠色の瞳が六之介に向けられる。


「そうだけど、君は?」


「申し遅れました。自分は稲峰六之介義将です。御剣の街を御一人で徘徊なさっていた扶桑姫の護衛を務めておりました」


 助け舟を出す気は無く、一切の躊躇もなく保身に走る。言っていることに嘘は無いため、咎められることもない。


「日中、照月にて顔合わせをした第六十六魔導官署に所属している者です」


「んー、でも君いなかったような」


「はい、その時間、自分は署内にて待機しておりました。無人にするわけにもいかないので」


 魔導官証明書を差し出すと、それに目を通す。

 形の良い唇が弧を描き、扶桑を軽々と担ぎ上げる。米俵でも担ぐようなその振る舞いに、扶桑への礼節は一切感じられない。


「ごめんね、うちのやんちゃ姫が迷惑をかけてさ」


「迷惑とはなんじゃ! 妾と共に過ごせた時間は誇りじゃろう!」


「ちょっとうっさい」


 尻を軽くたたき、窘める。扶桑の口から子猫の鳴き声のような悲鳴がこぼれる。


「迷惑というか、まあ、はい。あと、こんなこと言うのも憚られるんですけど、これ、経費で落ちませんか?」


 領収書の束を渡すと、唯鈴はぱらぱらとそれをめくり、彼女の肩の上でもがいている扶桑に一瞥する。大きなため息をつく。


「……うん、なんとかしてみるよ。落ちなかったらこの娘のお小遣いで支払わせる」


「……すみません、ほんとお願いします」


 正式に給料が貰える様になって一月である。平均的な月収よりは多いが、今までの蓄えが零であった六之介にとって、今回の出費はあまりにも大きかった。

 異世界で生きる上で、金銭が必要不可欠なのは言うまでもない。

 

 経費で落とせることを信じ、扶桑の名で領収書を書いておいて良かったと、胸を撫でおろす。衣食住のうち、衣と住は問題ないが、食に関してはそうでない。華也と距離のある昨今において、食事はもっぱら惣菜か外食で済ませている。自炊が出来ないためとはいえ、朝昼晩の三食分の出費はやはり大きい。

 今回経費で降りなければ、五樹、あるいは綴歌から借金をすることになっていただろう。雲雀か仄というのも考えたが、いくら上司とはいえ、金銭面の工面を頼むのは気が引けた。


「明日にでも済ませるよ、ええっと、稲峰『りゅう』之介くんだったっけ?」


「はい、『りゅう』は数字の『六』です」


 腰から深々とお辞儀する。その時であった。

 ぞわりと身体の温度が下がる。氷の海に飛び込んだような、表面からのものではない。逆だ。身体の最奥から全ての熱が奪われてしまったような、異様な、不快な悪寒。

 殺気ではない。それとは別のものだ。殺気を受け感じるものは恐怖である。だが、これは違う。嫌悪だ。何か、見せたくないものを見られ、知られたくないものを認知されたような、そんな感覚。


 涼風唯鈴の翡翠色の瞳が真っ直ぐに向けられている。宝石の様に輝き、澄んでいる、。いうのに、底が見えない。色彩の奥に、何か禍禍しく、悍ましく、毒々しい得体のしれない何かがあり、じっとこちらを観察している。皮の下にある肉を、肉の下にある筋を、筋の下にある血を、血の下にある神経を、神経の下にある骨を、骨の下にある脳を、そして脳の下にある感情を、思考を、記憶を、存在を、深淵からこちらを覗いている。

 人懐こい笑みを浮かべているのは、表向きだけだ。その奥で、観察している。一人一人の行動と心を、観ている。そして、掌握しようとしている。


 ――――人間ではない。


 これは、人の皮をかぶった別の生き物だ。得体のしれない、人間である限り決して理解できない、その範疇にいない異形で異質の怪物。


「……ふうん、六……六之介君かあ。良い名前だね」


 愉快そうに、新しい玩具を手にしたような顔。何も知らなければ、見惚れてしまいそうな容姿。


「ど、どうも」


 ようやく絞り出した声は、震えている。明らかな動揺。しかし、唯鈴は気に留めず踵を返す。


「じゃあ、この子連れて帰るしかないから、お開きだよ。また剣祇祭でね」


 ひらひらと手を振り、扶桑を抱え、夕闇の街へ消えていく。

 唯鈴の姿が消えると同時に、汗が吹き上がる。身体が燃えているように熱い。眩暈すらする。身体が震え、動けそうにない。


「おい」


 声がした。筋肉が溶け出してしまったように動かない身体だったが、無理やり動かす。後ろには見慣れた大男が立っていた。


「……署長」


「どーした、青い顔して。食うか?」


 干菓子を差し出されるが、そんな気分ではない。今何かを口にすれば吐き出してしまいそうだった。

 首を横に振ると、そうかと告げ、それを口に放り込み、呑み込む。


「……どうだった?」


 唐突に問われる。


「どう、といいますと……?」


「涼風の野郎が来てただろ? 残留魔力見りゃ分かる」


 ああと納得する。重たい身体をやっとの思いで動かし、木塀を背もたれにずるずるとしゃがみ込む。

 やっと一息つけたような気がして、自然と緊張がゆるむ。


 雲雀は六之介の脇に立ち、駄菓子をむさぼり、口を動かしている。

 

「署長」


「おう」


「あれは、人間ですか……?」


 しばしの沈黙。嚥下音。


「まあ、一応な」


 人間ではあるらしい。自分にはとてもそうは思えなかった。

 あんなものに憧れている綴歌の正気を疑ってしまうほどだ。


「……そうですね、あれは言うならば……」


 全身はおろか心の奥底まで舐めるように、隈なく観られているような嫌悪感。一切本心を掴ませない目と振る舞い。異様な存在感。


「……蜘蛛、ですかね」


 そう、蜘蛛だ。決して巨体ではない、普段は大人しく、無害を装っている蜘蛛。だが、本性は違う。奥底にあるのは獰猛で、残酷で、無慈悲。そんな印象。

 その例えに雲雀が喉を鳴らして、笑う。


「蜘蛛か。良い例えだ」


 鋭い犬歯を覗かせる雲雀を見上げる。

 涼風唯鈴には絶対的な存在感があった。カリスマ性とでもいうのだろうか。不気味な空気も持っていたが、強大な求心力のような、異質な魅力もあった。それは、彼女だけではない。

 

 それと似たようなものを、この大男からも感じるのだ。


「なんだ?」


「……いえ、なんでも」


 六之介は掛坂雲雀が何者であるのか分かっていない。体躯や階級などから並大抵の人物ではないことは想像できるが、実態は不明である。それを問おうかと一瞬思ったが取りやめる。なんとなくであるが、適当にはぐらかされる気がしたのだ。


「さて、と」


 立ち上がる。体調の悪化は一時的なものであり、すぐに治まった。


「自分はそろそろ戻ります」


「そうか。じゃあ、俺も帰るかな」


 ごきりと首を鳴らす。


「そういえば、署長は寮じゃないんですよね。どこに住んでいるんですか?」


「ん? 署の裏にある平屋だ。お前と筑紫が戦った場所の隣」


 ああと思い出す。あの資材置き場の隣には、一軒の家があった。改装されたばかりと思われる真新しい木塀に囲まれ、寄棟造りの屋根と庭に植えられた大きな梅が特徴的であった。


「じゃあ、ここからは近いですね」


「おう、寮のが遠いぐらいだな」


 ふと疑問が生じる。何故彼はここにいるのだろう。偶然だろうか。それにしては間が良すぎる。まるで狙いすましたようなタイミングであった。


 ひょっとすると、涼風唯鈴が如何なる人物であるか彼は知っていて、それと自分が接触したらどうなるかを案じたのではないだろうか。加え、雲雀が現れたのは、署のある方向、つまり自宅がある方向からである。帰路に就いていたのなら絶対に遭遇しないはずだ。ならば、何らかの用事があり外出したところで偶然出くわしたという可能性もある。


「署長は、この後何か用事があるんですか?」


「ああ? ねえよ。帰るだけ」


「……はは」


 思わず笑いが出る。不審に思ったのか、雲雀が怪訝な目を向ける。


「どうした? 更に頭がおかしくなったか?」


「更にってなんですか。自分がおかしいみたいじゃないですか」


「自覚がないってのが一番まずいんだよな」


 いつも通り、小ばかにしたような口調だ。世辞にも良い印象を与えるような振る舞いではない。現に良く思っていない人間がいることを六之介は知っている。

 だが、この掛坂雲雀なる人物の本質は、悪人ではない。


 それを今回改めて思い知る。


「署長」


「ん?」


「ありがとうございました」


 頭を下げ、すぐに上げる。 

 何のことに対する礼であるかは言わないが、雲雀は察したのだろう。


 ふんとぞんざいに鼻を鳴らし、踵を返した。


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