6-13 剣祇祭
「妾は、扶桑である」
某名作の出だしのようである。
「名前はまだない?」
「扶桑と言っておるだろうが。その耳は飾りか」
怪訝そうに眉を顰める。
駄菓子屋の隣に置かれた長椅子に腰掛け、隣にいる幼女を観察する。
容姿の端麗さは勿論のことだが、やはり豪華な服装をしている。富裕層の多い御剣だが、それでも一際浮いている。模様にしても素材にしても、格上である。たっぷりと贅沢に絹の使われた和服には、淡い紫色で桜が、水色で川の様な模様が描かれている。着物に合わせた鴇色の帯は左右に蝶の羽のような結びがなされており、動くたびに羽ばたくように揺れる。帯び締は金糸だろうか。きらきらと瞬いている。
眩暈を引き起こすような豪華絢爛ないでたちだが、不思議と嫌味は無く、幼いながらもそれが当然であるかのように似合っている。
「はいはい、んで、お嬢ちゃんはどこから来たのさ」
「扶桑だ。お嬢ちゃんではない」
「……分かったよ、扶桑ちゃん」
「うむ、よろしい。それで、其方の名は何と申す?」
「ああ、稲峰六之介だ」
「『龍』之介のう……」
じいっと顔を眺め、一言。
「眠そうな龍じゃの。名前負けしておるな」
「その龍じゃない。六だ、数字の六で『りゅう』」
漢字を思い出していたのか、指先が空でしなやかに動く。ああと納得する。
「『ろくのすけ』で『りゅうのすけ』か。変わっておるなー」
「変な人が名付け親だからな」
親と言っても、血縁者などではない。これは、施設にいた彼の監督者が名付けたものだ。超能力者育成施設の六号室を宛てられたため、『六』之介。候補として、六郎、与六、五十六、六実、六月、六彦、六花、六右衛門などが候補であったと聞いたが、『りゅう』などいう読み方にするあたり、実にひねくれている。
「して、ろくのすけ。お主に任をくれてやろう」
ふんすと鼻を鳴らし、薄い胸を張る。
「ろくのすけじゃなくて、六之介な。任って……やだよ、勤務時間外だし」
「何を言うか。この妾が命じてやるのだぞ、ありがたく思わんか」
どこぞやの署長のような物言いである。誰とは言わないが。
「思うわけないだろう。今からこちとらは夕食を食べに行くんだ。ちびっ子の我儘に付き合っている時間はない」
もちろん、この少女がただの子供だとは思っていない。推測も出来ているが、変に騒げば悪目立ちする。扶桑のことを考えれば、それは避けるべきだろう。
「ちびっ子いうな! それとなんだ、夕餉か。ならば尚更ちょうどいい。どこか美味い店を教えよ」
「そういうのは保護者に頼みなさいよ」
「頼んで了承して貰えるのなら抜けだしたりせんわ! 全く、人間が快適かつ満足な生活をする上で衣食住の充実は不可欠であるというのに……衣、住は文句はないが、問題は食なのじゃ、食! どいつもこいつも葉っぱしか食わせん。育ち盛り食べ盛りの淑女が葉っぱじゃぞ? 葉っぱだけ! 妾は鹿か! あるいは、青虫か! 肉食わせろ、肉!」」
よりによって抜け出しているのか。
それにしても、よほど鬱憤がたまっていたのであろう。一息に吐き出す。欲望が爆発しているが、言っていることは分からないでもない。
「まあ、確かに蛋白質か脂質の摂取は成長する上で必要だね」
「じゃろう!? この大事な時期に妾に食わせんでどうする! 唯鈴のように出るとこ出んかったら末代まで恨むぞ!」
唯鈴という名前、偶然の一致、ということもないだろう。確信は深まる。
「というわけで、だ。いいじゃろ?」
にっこりとしながら身を乗り出す。逆らっても面倒なことになりそうである。出会ってから間もないが、この娘の我儘は相当なものだと分かる。
ここは折れるのが大人と言うものだろう。
「……しょうがないなあ。どこに連れて行っても文句言うなよ?」
「肉なら文句を言わん!」
肉と言っても、焼き肉店は厳しい。必要最低限しか持ち歩かない六之介は、懐事情に不安がある。
「ううん、じゃあどこに……」
「そこにあるではないか」
指さす先には、煤けた赤色の看板に黒字で焼肉の文字である。決して大きな建物ではないが、無数の歪曲した煙突が天を目指し、白い煙を放っている。
外に掛けられた看板には、お勧めの商品が荒々しく波打った文字で書かれている。
「いやいやいやいや、無理無理無理」
「なぜじゃ?」
「高い」
払えないというほどではないが、それでも高価である。六之介の一日の食費の十倍を示している。一度の食費ではない。一日のものである。
食というものは従属栄養生物が生存する上で必要不可欠だ。生命を紡ぐためには必須でありながら体内で構成できない物質を取り込むことは欠かせない。それだけではなく、娯楽としての意味合いもあり、美味なるものを口にすることを嫌う人間は少ないだろう。六之介も然りであり、前者の意味合いも後者の割合にも同等の重点をおいている。
だからこそ、多少は食費が嵩むことは致し方のないことだと考えている。ただし、それはあくまでも『自分のために』である。他人のため、ましてや、出会ってから一時も経っていない人間のために、財布の紐を緩める気はない。
「何を貧乏くさいことを。妾にご馳走できるのじゃ、嬉しく思わんか」
「思うか」
はあと深いため息を一つつく。呆れたためか、諦めたためか。
「仕方ない、実力行使じゃな」
ぼそりとかろうじて聞こえる程度の声で呟くと、六之介の手を思い切り引く。
身の丈百三十に至っているかすら怪しい少女の力ではない。おそらくは魔導を用いている。
「おい、ちょっと待てえああああああああああああああ」
年齢や性別から身体能力に差はある。素のままなら六之介が彼女より劣ることはあるまい。だが、魔導を用いられると話は一変する。振りほどく暇を与えず、扶桑は油と煤の染みついた焼肉屋の暖簾を潜り、一言を高らかに伝えた。
「二人じゃ!」




