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6-12 剣祇祭

「ふんふふん」


 適当な鼻歌を奏で、御剣の飲食店街を歩く。夕時ということあるためか、仲睦まじく買い物をする親子が多い。

 我が子をこれ以上ないほど愛おしげに見つめる者もいれば、やんちゃする子を叱る者もいる。心地よい喧騒である。


 六之介の目の前を兄妹――おそらく――が駆ける。衝突しそうになるが、歩幅を小さくし避ける。親らしき眼鏡をかけた女性がぺこりと申し訳なさそうに頭を下げると、気にしていないという意味を含む笑みで返す。

 親子はそのまま、六之介と逆方向へと消えていく。


「……親子、か」


 実感のない言葉で、存在である。勿論意味は分かる。分からない者はおそらくいないだろう。六之介とて例外ではない。自身を子とすれば、親がいる。そして、その親にも親がいる。有性生殖を行う生物であれば、当然の繋がりだ。


 だが、それは真なのであろうか。

 

 六之介には、両親の記憶がない。否、正確にいうなれば、両親が『存在しない』。


 サイキックの育成施設で産まれ、愛情とは無縁の生活を送っていた。朝から晩まで該博な知識を与えられ、肉体と能力を鍛え、実践する。そんなことの繰り返しだった。

 それを辛いと思ったことは無いが、楽しく思ったこともない。淡々と過ぎていく、灰色で代り映えのない毎日。共同生活をするサイキッカー達は決して友ではなく、切磋琢磨し合う仲でもない。限りなく他人に近い敵。そんな言葉がしっくりくる。


「……喉が渇いたな」


 自らの思考を打ち消すように、わざわざ口にする。目に留まったのは、氷の暖簾がはためく駄菓子屋である。愛染屋という看板がかかっているここは、雲雀の行きつけの店でもある。決して大きいとは言えない建物だが、品ぞろえは豊富である。二階部分は電機屋、三階はよくわからない事務所を営んでいる。

 店頭には桶が置かれており、その中で氷水の底に色とりどりの瓶が沈んでいる。


「すみません、一本もらえます?」


 店奥にいる小太りの中年女性に声をかけると、人の良い笑顔で応答される。

 10センを渡し、水色の瓶を取る。飲み口側にぐるりと等間隔で四つの窪み、中央にくびれのある特徴的な形。いわゆる、ラムネというものである。前の世界では呑んだことはなかったが、こちらでは頻繁に口にしている。

 

 こちらの世界は、楽しい。

 生活をすることがも、街並みを眺めることが、思想を知ることが、歴史を学ぶことが、飲食をすることが、娯楽に手を出すことが、何もかもが自由で、面白い。当然、多少の制約はある。規則はある。しかし、そんなものは以前の世界と比べれば無に等しい。

 翆玲村で過ごした二年間の田舎暮らし、そして御剣での新たな生活。嘘偽りなく、自分は心から楽しんでいると言える。のだが。


 からんと瓶の中でビー玉が揺れる。店前に掛けられた、朝顔の描かれている風鈴が涼しげな音を立てる。

 口腔に、心地よい果実の甘みと炭酸の感触が残る。


 いつも通りの平和な日常である、はずだ。少なくとも、少し前までは当たり前に楽しんでいた時間だ。だというのに。


「楽しく、ないなあ」


 もやもやとした、形のない何かが胸に引っかかっている。それは確かな重みと不快感を孕んで、じっと動かずに留まっている。

 正体は見えず、掴みどころは無い。質が悪い。


 ふと、視界の隅に紫色の影がよぎった。顔を向けると、こちらをじいっと見ている女の子が一人。美緒と同年代だろうか。だが、彼女とは違い、流れるようなしっとりとした艶のある黒髪が風に揺れ、素人目でも上等と分かる派手すぎないながらも洗練された模様の着物、紫水晶を思わせる澄んだ瞳。幼いながらも、顔立ちは麗しい。一目で高貴な身分にある存在であると分かる。


「……これ?」


 紫の視線は、ラムネの瓶に向けられていた。瞬きもせずに凝視している。


「うむ」


 尊大な物言いで、頷く。子供特有の高い、よく通る声だった。


「それはなんじゃ?」


「ラムネ」


「らむね」


 小首を傾げる。


「飲み物だな」


「飲み物か」


 反復。鸚鵡のようである。


「……飲む?」


 差し出すと、目をキラキラとさせ間髪おかずに受け取り、瓶を太陽に透かす。水色の色硝子がきらきらと輝く。


「硝子玉が入っておる。飲むのか、これも」


「んなわけない。それは栓になっていたものだ。飲むときは、くぼみにひっかけるんだ」


 蛇じゃあるまいし、そんなもの飲んだら喉が詰まる。

 説明におおと納得したようであり、ビー玉を動かし、瓶を傾ける。 


 透明な液体が口に流れ込んだ、瞬間。

 噎せ返り、飛沫が六之介の顔面に直撃する。これが滝だったら、効果のあるのかないのか分からないマイナスイオンとかいうものがあったかもしれないが、あいにく、ただの唾液の混じった炭酸飲料である。


「ぶっ、げっほ、がほっ……な、なんじゃあ、これは! 舌が痛い! 毒か! 毒を盛ったか!」


 血色のいい舌を出しながら涙目になっている。


「さっきまで自分が飲んでいただろう。毒なんて入っていない」


 手拭など持っていないため、袖で顔を拭く。帰宅次第、水洗いせねばべたべたになりそうだ。


「その舌が痛いってのは、炭酸のせいだ」


「た、たんさん?」


「水素原子二つ、炭素原子一つ、酸素原子三つで構成された物質だ。水に二酸化炭素を溶かすことで生じる」


「は?」


「……その痛み、あるいはしゅわしゅわの原因だ。基本的に、毒ではない」


 摂取しすぎなければ問題は無い。


「そ、そうなのか……うむ」


 再度口をつけ、雀の涙ほどの量を口に流す。


「ふむ……まあ、慣れれば……確かに……ぶっ」


 流し込み過ぎたのだろう。最後に思い切り、吹き出す。


「大丈夫?」


「こ、このぐらい、どうという事は無い……」


 それほど炭酸が強いわけではないのだが、この子はまだ幼い。神経が敏感なのかもしれない。


「子供なんだし、刺激物は控えた方が」


「子供ではない!」


 お約束である。

 子ども扱いされたくない年頃か。


「はいはい。で、どうする? 飲む?」


「飲む!」


 負けず嫌いであり、やけくそなのだろう。無理をしているのが、ありありと分かるが、制止を聞くような人物でもなさそうである。

 とりあえず、また唾液混じりのラムネをかけられるのは御免被るため、彼女の正面から動いた。


 その直後、夏の日差しとラムネによる、綺麗な虹がかかった。





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