1―6 鵺とぬえ 終
その晩、翆嶺村は大宴会となった。老若男女関係なく村人たちは一人残らず集会所に集まり、野草、山菜、干し肉、米、酒などあらゆる食材を用いて晩餐とした。
その中心にいたのは、華也《かや》である。ひっきりなしに頭を下げられ、感謝の言葉を向けられる。たいしたことではない、当然のことをしたまでである、六之介《りゅうのすけ》のおかげであるという旨を何度も伝えたのだが、聞く耳を持ってはもらえなかった。
「は……あ……」
腹部を抑える。食べても食べても盛り付けられる食事、無下には出来ず口にしていたが、もう限界であった。そもそも華也は決して大食らいではなく、むしろ小食な部類だ。だというのに、我ながら、感心するほど食べたとすら思う。
「あれ」
騒々しい中、周囲を見渡すと、本日の功労者である六之介の姿がないことに気が付く。始めの頃は隣に座っていたのに、いつの間に席を立ったのだろうか。
探しに行こうとするが、それよりも早く村の少女たちに囲まれる。なんでも街の話を聞きたいそうだ。
無下に扱うわけにもいかず、華也は思いつく限り、話し始めた。
六之介は一人、草原に腰を下ろし、ぼんやりと夜空を眺めていた。雲一つなく、三日月と数多の星々が輝いている。
どこかで鈴を鳴らすような鳴き声で、虫が鳴いている。
「何を黄昏ておるのか」
振り向くとヨイがいた。珍しく酒でも飲んだのだろうか、月夜でも分かるほど顔が赤い。
「んー、いや、こっちは星がきれいだなあと」
「星など、どこで見ても変わらなかろうに」
「いいや、この世界の星は綺麗だ」
闇を遮る明かりがない。月と星の輝きが、真っすぐに届いているのだ。だから夜空を彩る星の帯がはっきりと見える。
そうか、と相槌を打ち、六之介の隣に立つ。
「六之介や、話がある」
「なんだい、ばあちゃん。まさか愛の告白じゃなかろうね?」
冗談で返すと、ヨイは愉快そうにけらけらと笑う。随分と上機嫌である。
「誰が孫のような餓鬼に告白などするか。もっと大事な話じゃよ」
視線だけをヨイに向ける。ヨイはしわだらけの顔をゆがめ、微笑む。
「六之介、この村を離れよ」
「断る」
唐突な言葉であったが、六之介の回答は一切の迷いのない即答であった。
しかし、ヨイは譲らない。
「六之介、お前がこの村に恩を返そうとしているのは分かる。命を救ってもらった大恩をだ」
内心でぎくりとするが、それを態度には出さない。普段通りの稲峰六之介を演じる。
「そんなことは」
「ない、と言えるか? たった二年かもしれぬが、儂はお前のことをよく見てきたつもりだ。だからこそ言える。お前は飄々と、のらりくらりとしているが、根は誠実な男だ」
「買いかぶりすぎだって。自分がこの村で色々やったのは、楽したいからであって」
「自身のために、よその家に水道を走らせ、改装し、農具をこさえ、薬を作り、木工を教えたりしたのか? 儂にはそれらが自分のためにやったこととは思えん」
口ごもる。彼女の言うとおりである。これがもし、自身の家のみの改装、肥料の製造程度ならば言いくるめられたかもしれない。だが、六之介はあまりにも村人のために動きすぎ、干渉しすぎていた。
「六之介や」
「……なんだよ」
口論というべきか、舌戦には弱い。
「お前は村のために多くの財産を与えてくれた。お前が来てから餓死した者も病に倒れた者もおらぬ。皆が腹いっぱい食えるようになり、生活が楽になり、米や野菜、木細工を売り、金も得られるようになった。お前は十分すぎるほど、村に尽くした。もう、良いのだ。儂は、いや、儂らはお前に心から感謝している。言葉に言い表せないほどにのう」
「ばあちゃん……」
ヨイの表情と声色はどこまでも優しく、胸に染み入る。
違うのだ。感謝されたくてやったのではない。全ては彼女の言う通り、恩返し。受けた恩を返すための行動だ。礼を言うのは自分であり、言葉だけでは返せぬ分を行動で返していただけ。
改まって礼を言われるとどうしたらいいのか分からなくなるのだ。
「故に、お前にはこの村から出ていくべきなのだ。お前は、こんな辺境の村で生涯を終えていい人間ではない。もっと大きな場所に、大きな世界にいるべき人間だ」
ヨイは六之介の頭をなでる。本物の孫を愛でるような、柔らかな手つきである。
「儂らは、お前の足枷になりたくはない」
そんな言い方をされては、何も言い返せなかった。
しばしの沈黙。そして、こくりと六之介の頭が揺れる。
「あの魔導官殿について行きなさい」
その一言だけを残すと、ヨイは踵を返す。曲がった腰で、ゆっくりと会場へと戻る。その小さな背中を横目で見送り、六之介は大きくため息をつく。
「街、かぁ」
ちょっと面白そうかもなあなどと思いながら、立ち上がり彼女の後を追う。
集会所付近まで戻ると、脇にある井戸に腰掛ける人影があった。満月の光を受け、水色の髪が輝いている。
「あ、六之介様~」
こちらに気付いた魔導官様である。先ほどまでの勇ましさはどこへやら、村の娘たちに囲まれ、力尽きている。
そして、さして気にすることでもないが、いつの間にか名前で呼ばれている。
「何かあったの?」」
「む、村の子たちは体力がありますね……話疲れました」
辺境で暮らせば必然的にそうもなる。
「隣、いいかい?」
「ええ、あ、落ちないように気を付けてくださいね?」
自身より他人を気にするあたりが彼女らしい。
こういう善良そうな人間は好かなかったはずなのだが、彼女に対し不思議と嫌悪感はなかった。
「とりあえず、お疲れさま」
「貴方もです。それと、ありがとうございます、色々助けられました」
「そうだね、色々助けた」
生意気な返事をすると、華也は、そうですねと笑う。
「それにしても、不浄、か……あんなものがいるんだねえ」
「ええ、いつからいるのか、どこから来たかも分からないものです」
華也の声は虫と蛙の歌に呑まれながら、耳に届く。
鵺と名付けられた不浄は、この世にいるべきではない、しかし、確かに存在する命である。それがなんだか自分と似ているように思えてならなかった。
「……ああ、そういえばね、鵺っていう言葉には、もう一つ意味があるんだ」
「?」
「得体のしれない存在、っていう意味だよ」
華也の中に、ヨイの言葉が浮きがってくる。
『得体のしれぬ者がおりまする』
彼女は六之介に対して、そう言っていた。姿形はまるで似ていない。類似点など存在しないのに、どうしてか、六之介と鵺の姿が重なって見えた。そんな思考を打ち払う様に、思い切り頭を振る。
「どうかした?」
「い、いえ、なんでも!」
集会所の方からヨイの呼び声が聞こえてきた。主役たちが席を空けるなという叱責の言葉に、顔を見合わせため息をつく。
「仕方ない、戻ろうか」
「はい」
どうやら宴はまだまだ続くようだ。