6-3 剣祇祭
「……ふう……」
大きく息を吐きだすと、一滴の汗が地面に落ちた。
充填を繰り返すこと、十五分が経過、ようやく、砲弾に魔力が満ちる。
外から見れば、何の変化もないようだが、長門内にはいつ弾けてもおかしくない、超膨大な魔力が押し込められている。もしこれがこの場で爆発すれば、魔導官達は勿論のこと、この島も地図から消滅するだろう。
その光景を想像し、ぞわりと背筋が冷たくなる。失敗は許されないのだ。
照準器を覗き込む。距離、角度は問題ない。気温や風も影響を受けるほどではない。最高の状態だ。
首元にかけられた笛を加え、思い切り吹き鳴らす。
砲撃開始の合図である。間髪を置かず、周囲からその場を離れるよう指示が聞こえてくる。功を焦るあまり、出張る魔導官はいないようだ。よく訓練されている。
由香里の部下らしいなと思わず笑いがこぼれる。
撤退完了の合図として、笛の音が聞こえてくる。長門を囲うように七つの組が配備されている。一つ、二つ、三つ、四つ、と順調に音が続き、最後にやや遅れて、北東方面、すなわち六之介たちからの合図が聞こえる。
長門は、その大きさゆえに衝撃が凄まじい。間違って射線上に居ようものなら、人を肉塊にすることも在り得る。
「いくぞ……」
懐から鍵を取り出し、発射装置を起動させる。最後にもう一度、照準を確認。ずれはない。対衝撃用の厚さ二十センチの防壁を起こす。さらに、耳栓を押し込み、その上から耳当てをする。最後に魔術具によって自身の周りに円柱状の壁を形成する。これで衝撃に耐えることができる。
引き金に指をあてる。大きく深呼吸をし、心を落ち着ける。そして。
「!」
かちりという小気味いい感触と共に、世界が揺れる。
大気は吹き飛び、大地は揺れ、その衝撃波で周囲の木々は粉砕され、木片と化す。魔力を押し込まれた砲弾は、音速を超え、一瞬で目標に直撃する。その狙いに、寸分のずれもない。
鋼鉄すらも凌駕する厚さ二メートルを超える甲羅は、豆腐の様に穿たれ、血液と肉をまき散らす。砲弾はそのまま不浄の内部まで突き進む。そして、中心にて脈動する核に触れたその瞬間。
二度目の衝撃。
その強大さは、もはや天災にも匹敵する。島全体が揺れ、海水は吹き上がる。避難していた魔導官達も覚悟はできていたが、想像をはるかに上回る一撃に耐え切れず、失神する者、嘔吐する者までいる。
吹きあがった海水は虹を描きながら、水蒸気となり消えていく。その様は、どこか幻想的であった。
砲撃から爆発まで、わずか一秒。しかし、それは周囲の者にとっては、永遠にも思えるほど苦痛の伴う一秒が終わった。
砲撃地点から最も遠い位置にいた六之介たちは強い頭痛と眩暈を覚えながら、よろよろと立ち上がる。あらかじめ掘られていた壕に入ったのはいいが、それでも肉体に生じたものは大きい。
三半規管が麻痺しているのか、まっすぐ歩くこともままならない。
「うっぷ……すっげえ威力……吐きそう」
「吐くなよ……今目の前で吐かれたら、つられる」
六之介は頭を押さえたまま、ふらふらと動き出す。足元にあったはず小石は全て吹き飛び、整備されたように平らである。
どれだけの破壊力なのだと恐ろしさを覚えながら、やっとの思いで足を動かす。
「どこ……行くんだ?」
「不浄が、消滅したか、確認……」
意識を手放すにも、それをしてからである。
目標が確認できる場所までは遠くない。
「俺もいく……」
「足手まといになるなら、置いてくからな」
どちらも千鳥足の様な、おぼつかない動きである。本来ならば二分とかからないであろう距離を、倍以上の時間をかけて進む。
そして、ようやく核持ちの姿を一望できた高台にたどり着く。
「……こんなことってあるのかよ」
五樹が、震えた声で呟く。
新田島は三日月状をしており、本物の月では地球の影に当たる部分は海になる。そしてそこに不浄が鎮座していたのだ。しかし、今は違う。あれほどまでに巨大、それこそ軍艦の艦載砲でも用いなければならないように感じた存在は影も形もない。それどころか。
「……海が、干上がってる?」
海底が露呈し、魚や軟体生物が岩礁の隙間に転がっている。気絶しているのか絶命しているのか、ほとんど動かず、置物の様である。
当然、その状態が維持されることはなく、瞬く間に水位が戻っていく。しかし、それでも一度の砲撃で膨大な海水が気化したことに変わりはない。
「二人とも、怪我はないか?」
仄が心配そうに駆け寄ってくる。
「え、ええ、まあ、大丈夫です」
汗一つかかず、疲労の色も見えない。
魔力が瞬間回復するとはいえ、その普段通りの様相は恐ろしさすら覚え、無意識に猫の様に身構えた。
「副署長、いやあ、すっげーっす! さすがですぜ!」
五樹は素直な感動を口にしながら、犬の様に仄の周りをぐるぐると回っている。
「ありがとう。直撃はしたはずだが……念のため、確認に向かう様にとのことだ。もっとも、波がおさまるまでは待機だが」
あれほど絶大な威力を与えたのならそんな必要はないと思うのだが、念には念を入れるものだろう。
「了解です。しかし、まあ、凄いですね。地形変わってますよ」
島の一部が抉れ、崖となっている。
「みたいだな。やりすぎたな……抑えたつもりだったんだが」
さらりと口にされたとんでもない一言に、六之介の顔が引きつる。
「……抑えたんですか、これで」
「ああ、長門の設計上、あと二倍は出せるぞ」
「……街中で使わないでくださいよ?」
あれほどの破壊力、一歩間違えれば、街一つが壊滅する様子を想像するのは難しくない。
「馬鹿かお前は。使うわけないだろう」
「そうだぞ、副署長がそんなことするわけねえだろ、馬鹿かお前は」
「なんだと貴様」
言い争いを始める二人を見て、苦笑する。その威力は、当人が一番よく知っていた。仄は初めて長門を用いた時のことを思い出す。当時は何度の充填で、どの程度の威力が発揮できるかすら分かっていない状態だった。正式に魔導官として認められていない、魔導官学校生の時、唐突に招集され、砲撃を命じられた。実戦経験はおろか、長門の使用を認められたばかりの仄は、命じられるがまま、ただ一途に魔力を限界まで込め、敵である蝙蝠の核持ちに砲撃した。
結果、不浄の殲滅には成功した。しかし、その代償は大きかった。
蝙蝠が潜伏していた場所は戸塚山の洞窟である。戸塚山は、多くの水源と生態系を持つ里山であった。本来ならば、永劫の時間を在り続ける雄大な大自然は、長門の一撃で消え去った。
土砂が舞い、木々は粉塵と化し、岩石は雨の様に降り注ぎ、数多の生物が肉塊となった。戸塚山は半分ほどの大きさに抉り崩された。幸いにも周囲に村々がなかったが、甚大な影響を与えたことに変わりはなかった。
この件に関して、仄の責任ではなく、開発部、および実動部の落ち度とされたが、彼女にとって大きな心の傷になったのはいうまでもなく、同時に長門の使用に関しては大きな制約が上から強いられたのは必然であった。
「……」
右手には痺れが残っている。否、正しくは全身にだ。どれほど防壁を張っても、備えていても砲撃後はこうなる。人間が使うには過ぎた代物であるとは常々思っているが、それに頼らざるを得ないのも事実である。
痺れをかき消すように、拳を握る。
この痺れは力の証であり、同時に警告にも思えた。人の用いる大いなる力は、時に跳ね返ってくる。それを片時も忘れないようにと告げている。
ぴいと空気を切り裂く笛の音が聞こえてきた。気が付くと、波も随分と落ち着いてきていた。核持ちがどうなったか確認を開始するのだろう。
「さて、二人とも、もう一仕事だ」




