12−8 傍らで 終
「署長、何の御用件でしょうか」
「そうかしこまらなくていい……随分、静かになったな」
第六十六魔導官署にいるのはわずか二人。修繕中の街は、立ち入り禁止箇所も多く、この周囲はそれに該当した。騒々しい程の賑わいが消えた街は、世界から切り離されたようにも思えた。
「まあ、いい。今日お前を呼んだのは他でもない。ほれ、くれてやる」
雑に投げ渡された書類を受け取る。それは異動についての内容だった。ただその中身に綴歌は目を見開き、息をのむ。
「お、皇家直属魔導親衛隊への、推薦状!? それも署長と総司令の著名が……!」
「お前、涼風の野郎の下に就きたがってたろ? 正気とは思えんが」
苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
涼風唯鈴。皇家直属魔導親衛隊隊長にして、鉄壁の降臨者。間違いなく、日ノ本最強の一角だ。
「で、ですが……そうしたら、ここが」
「ああ、第六十六魔導官署は解体と言うことになるな。ついでに俺も遊撃魔導官に戻る。新しい奴が来るまでは欠番だな、ここは」
栄転を喜ぶべきか、それともこの場所が無くなることを嘆くべきか。
複雑な思いを抱えたまま、綴歌が口を開く。
「華也さんと六之介さんは……」
「あの二人は療養だ。鏡美は左腕が完治するまでは実家に戻るそうだ、六之介を連れてな」
自らの意識を保つための自傷行為。それによって華也の左腕は神経がずたずたになっており、満足に左手を動かすことが出来なくなっていた。
幸い、長期の魔導治療で回復が見込めるとのことで、実家での療養が命じられたのだ。
「そう、ですか……」
「ああ、だから何も気にしなくていい。『自分がやりたいことを、自分の意思でやれ』と言っていたはずだぞ」
「!」
初めて魔導官署に訪れ、雲雀が口にした言葉だった。
「そうですわね……わかりました、署長。お世話になりました。この魔導官署で培った経験は私にとって、大きな礎となるものでした。いつかまた、いえ、絶対にお会いましょう」
深くお辞儀をする。
「おう、良く働いてくれた。まあ、俺はあっちこっち行ってるから、帝都で会うこともあるだろうよ。そんときは、飯ぐらいおごってやる」
犬歯を覗かせながら、にやりと雲雀が笑う。そして、差し出された右手を手に取る。
ごつごつとした大きな手だった。
鉄道に揺られている。思い出せば、六之介と共に御剣に降り立った日もこんな澄んだ青空の日だった。ただ青々としていた稲は金色に変わり、頭を垂れている。
出会って僅か半年。人の一生を考えれば、あまりにも短い時間だ。それでも、その半年は私にとって最も濃く、大切な時間だったと思う。
「おおー結構速いねー!」
車窓から流れる景色を見ながら、六之介は感嘆の声をあげる。
「でしょう? もう少しで着きますからね」
不思議なもので、表情がほんの少し変わるだけで幼く見える。それがどうしようもなく愛おしい。
六之介の肉体年齢と実年齢、精神年齢はばらばらだという。肉体年齢は二十一歳、実年齢は九歳、そして現在の精神年齢は十五歳ほどだそうだ。人為的に受精させられ、強制的に成長させられたが故の齟齬だというが、井伊奈月恵の話はよく分からなかった。
ただ話を聞いて、胸に宿ったのはどうしようもないほどの怒りだった。思わず殴りかかってしまうほどの激情に駆られたのは初めてのことであり、付き添っていた綴歌がいなければ確実に恵を殺していただろう。
それほどまでに生命を冒涜するような内容だった。今思い出しても、虫唾が走る。
だからこそ―――守ろうと思った。
何故、六之介が元の世界に戻ったのかは既知である。私のためだった。勿論、他の人々を救おうという気持ちがあったことも間違いはない。けれども、真っ先に私を案じてくれたことが何よりも嬉しかった。
この命は、彼の決死の覚悟でつなぎ留められた。ならば今度は私の番だ。
義務ではない。命令でもない。私がそうしたいのだ。『自分がやりたいことを、自分の意思でやる』だけだ。
記憶が戻らないのならそれでいい。幼いままでもいい。彼方より訪れた、本当なら出会うはずのない人の傍らにいたい。それがただ一つの願いだった。
ゆっくりと、早稲の駅が見えてくる。
連絡はしている為、両親も兄弟も姉妹も待っているだろう。おそらく、ひと悶着あるであろうが、それもよい。一度、家族と言い争いというものをしてみたかったのだ。
土と植物の匂い鼻腔をくすぐる。渡り鳥が群れを成し、冬の足音がする秋空を舞っている。これから冬が来る。早稲の冬は寒く、厳しいが、彼が一緒ならきっと楽しいだろう。
鉄道はゆっくりと停車し、扉が開く。手にしている荷物は多くはない。後々、こちらに発送される手筈になっている。
「さあ、六之介様、行きましょうか」
「うん、案内よろしくね、華也ちゃん」
「ええ―――おうけぃ、です」
二人、手を取り合った。




