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12−4 傍らで

 六之介が反響定位により、マガツの核を探る。


「……あった」


 胸部、人間の心臓と同じ位置。甲羅を思わせる肋骨が核をぐるりと囲っている。これを貫くのは容易ではないだろう。

 身体は重く、視界もぼやけている。かろうじてマガツの姿は捉えられるが、それも時間の問題だろう。手を鼻に近付ける。


 あるはずの臭いがしない。完全な無。嗅覚が失われていた。


 ゆっくりと鎌首をもたげる様に右腕を伸ばし、振り下ろしてくる。捕まれば掌にある口で捕食されるだろうが、緩慢であるため瞬間移動が行使できるうちであれば直撃はしないだろう。

 金剛を振動させ、背後に移動、まずは右腕を斬り付ける。


 両腕が健在である限り、核を集中的に狙うこともままならない。

 人体と全く同じ構造であれば、巨体な分、骨も硬く強靭となっているだろうが、このマガツに関しては食道が通っている。おそらくは脆いと予想される。


「はあっ!」


 超高速で振動する刃が皮膚を裂き、肉を屠っていく。


「―――っ!」


 マガツがもがき苦しむと同時に、高温を感じ取る。

 瞬間移動し、近隣の建物の屋上に降り立つと、マガツの右腕付近に炎が燃え盛る。


「パイロキネシス能力か、面倒な」


 読みやすい超能力だが、強力だ。一撃が致命傷になり得るだけの威力がある。発動寸前に温度の上昇を感じるという事前現象があるため、慣れれば回避可能だ。しかし、いつまで触覚があるか分からない。ぐずぐずはしていられない。


 屋上から六之介が消える。

 マガツの右腕を幾重もの、竜巻のような斬撃が襲う。再生速度を遥かに凌駕する重さと速さで瞬く間に肉をそぎ落とし、そして。


「―――ッ、ッ!?」


 右腕がずるりと落ちた。

 六之介が狙っていたのは、ひじ関節である。関節を的確に狙い、骨と骨の間から分断した。

 断末魔の悲鳴を上げ、重心の乱れから転倒した敵を逃すはずがない。強化の魔導に加え、最高振動数に引き上げた刀による突きがマガツの胸部を襲う。


 胸筋が爆ぜ、血を噴き出す。肉と脂のながらも刃を押し進める。しかし。硬質的な感覚。刃が通らない。


「くっ、硬いか……」


 骨と言うより鉱物に近い。これを両断する、もしくは貫くには最大威力でも足りない。ならば、どうすればいい。


 頭上を高熱が走った。跳躍し距離をとる。しかし。


「がっ!」


 一瞬、中空にいる際の静止をマガツは捉えた。角度が故に掌による捕食はされなかったが、裏拳をもろに食らう。吹き飛ばされ、家屋に突っ込む。瓦礫の中からよろりと立ち上がる。


 まさか超能力を囮として使ってくるとは。


 一撃が恐ろしいほど重い。腕を雑に振るっただけでこの威力だ。直撃すれば、人間では耐えられない。大きさは強さに直結するのだ。

 じじと音がした。遅れて、家屋が燃え上がる。


 ここ数日の降水量の少なさもあり、大気はよく乾燥していた。木造の住宅は薪のように良く燃える。


「ちっ、休む間すらなしか!」


 こちらの体力も魔力も有限だ。だがおそらくマガツにはそれがない。絶命するまで延々に暴れ続けるだろう。

 それだけは避けねばならない。ここから大通りを進めばすぐに病院にたどり着く。避難所になっていることは明らかであり、おそらくは怪我人も多く収容されている。


 そして、当然、華也もそこにいる。

 ならば行かせるわけにはいかない。


「……っ!」


 視野が狭まっていた。右目からの世界が漆黒に染まりつつある。それだけではない。左手の親指と人差し指の爪がはがれ、あり得ぬ方向に曲がっている。だというのに痛みを感じない。炎が迫っているのに、熱も感じない。


 痛覚は、生命を守るための感覚である。それが切れたということは、つまり『守る必要がなくなった』ということ。


「……ふふ、ありがたい。痛みで苦しまなくて済むということか」


 脳内麻薬による恩恵か、それともただの脳の異常か。

 燃え盛る炎を背にしながら、金剛を握り締め直す。その自らの仕草に、手の中にある得物に戸惑う。


「……どうしてこんな非効率な武器を使っているんだっけか……」


 思い出そうとするも、何も浮かんでこない。記憶は、雲の中にいるような靄が広がっているだけだ。

 何か大切なものであった気がするが、いったい何故そうなのかが分からない。


 どんという衝撃と共に、道路が爆ぜる。同時に巨影が叩き潰さんとばかりに突進してきていた。

 偶然かそれとも意図的か。マガツが右側に動く。


「しまっ……!」


 視覚の外。

 翼を奪われた鳥が無意味に羽ばたくように。最大の武器の唐突な喪失に対応できない。


 敵は残された左腕を乱暴に叩き付けてくる。一撃目は幸いにも外れたが、そのまま横に薙ぎ払ってくる。


 盾を形成しなくてはならない。というのに。


「……形、成……?」


 反射的に浮かび上がる単語に対応できない。

 何を形成するのか、それが何であるのか分からない。


 掌の口が縦横に十字に開く。中には釘のような歯がずらりと並んでいる。その奥に細長い舌がぬらぬらと輝いている。


 飲み込まれる寸前に超能力を発動させ、向かいの建物の前に降り立つ。

 間一髪だった。あの口、もしくは内部の舌に捉えられれば最後。なすすべなく、捕食されていただろう。


 膝をつき、呼吸を整える。

 瓦礫を左手を着き、起き上がろうとするが、予期せぬ空振りに目を白黒させる。


「……あ」


 左腕の肘から下が無くなっていた。


 骨がむき出しになり、血が止めどなく溢れていた。嗅覚が残っていれば、むせ返るような鉄の臭いがしたことだろう。

 マガツはゆっくりと六之介の方を向き、これ見よがしに左手の口で咀嚼している。


 互いに隻腕。だが、徐々にマガツの腕が再生している。


「やられたからやり返した、ってか……フェアじゃないってのになぁ」


 生命力も再生力も桁違いだ。

 出血を止めたくとも、紐はない。それに、応急処置をする時間もない。


 胸元を押さえる。

 酸素を取り込んでも取り込んでも、楽にならない。痛覚は切れているのに、頭が痛い。狭い視野がぼやけ始める。


 誰かを守りたかった、気がする。とても大切な、ずっと傍らにいたい人。けれど、その顔も名前も思い出せない。自らの過去が削られ、存在が薄く小さくなっていく錯覚がある。


 いっそここで膝をついてしまえば楽だろうに。けれども、それは出来ない。理由は定かではない。

 逃げ出せれば、助けを乞えれば、隠れられれば、どれだけ楽だろう。それを願ってしまう。 


「ああ……でも、それは駄目だよなぁ」


 最後に残っている感情は、罪悪感だった。

 こんなことが罪滅ぼしになるはずはない。許されるわけでもない。正当化できるものでもない。自らがどれほどに禍禍しい存在であるか、あってはいけない生命であるか、度し難い魂であるか、よく分かっている。


 だがそれでも、せめて。せめて最後に、奪うものでしかなかったこの醜悪な存在の終わりに、無辜の者たちを救う機会を。

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