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11−6 彼方にて

 未だに怒りは消えない。自身に対しても、目の前の怪物に対しても。

 救えたはずだ。仮にこと切れていたとしても、亡骸を拾えたかもしれない。あんな、塵一つ残らない死に方は人間のものではないだろう。


 全身に魔力を込め、怒りをもって、それを爆発させる。


「―――っ!」


 声にならない叫びをあげ、時也は雲雀に向かい刀を振るう。未来予知など用いずに、ただ自身のみを信じる。付け焼き刃の力など不要だ。

 常人であれば、並大抵の魔導官であれば、一撃で決まっていただろう。切っ先を掠めた木の葉は焼け焦げ、灰となって消える。


「ぐっ、バ、ケモノめえっ!」


 だというのに、どうして容易く受け止められる。流されるでもない、躱されるでもない。全てを受け止め、そして反撃してくる。そのたびに、心が、決意が削られていく。

 寿命を削るような鍛練をした、薬物に手を出した、未知の改造すら受けた、人の道すら外れた。全てを投げ捨ててなお、この男に及ばないというのか。


 気が付けば時也は膝をついていた。頭を垂れる様に項垂れ、浅く荒い呼吸を繰り返している。

 魔導と異能の同時展開、それもいずれも『身体強化』ともなれば、魔力および体力の消耗は尋常ではない。海底で全力疾走をしているようなものである。

 全身から噴き出る汗、震える四肢、立ち上がる事すらままならない。


「がっは、ごほっ!」


 咳き込めば血液が飛散る。肺が破れていた。


「自らの限界すら知らないのか。実戦経験が足りんな」


 蔑み、見下す。

 しかし、それでよかった。初めからなんの傷害もなく戦えるとは思っていない。予め用意していた装備は、鉄道ごと谷底へ落ちた。手元にあったのは、怪物とやりあうにはあまりにも心元ない刀のみ。


 だからこそ、こうすると決めていた。


「っぐ、だあああああ!」


 雲雀の脚を全力で抑え込む。同時に忍ばせていた拘束用魔術具を起動させる。不浄でさえ振り払えない濃緑の荒縄は肉に食い込み、その場に押しとどめる。


「疾風ええ!!」


 疾風が右腕を差し出す。

 拘束された雲雀は、胸部に違和感を覚える。殺気とはまた違う。もっと死に近い、どす黒いもの。咄嗟に上体を反らすことが出来たのは、数百にも及ぶ戦闘経験が故である。

 

 空間が歪む。大気が乱れ、左腕を高熱が走る。

 見れば、上腕の一部が球形に抉り取られていた。魔導官服と鎧のように鍛え上げられた筋肉が消滅したように無くなり、血液が地面に滴る。皮一枚で繋がった腕がぶらりと揺れる。


「くっ!」


 ―――外した。否、躱された。心臓を抉り取るはずが、捉えたのは腕の一部のみ。

 どこが狙われているか、どの瞬間に攻撃が放たれるか、何もわからないはずだ。何故読めたのか、反応できたのかは分からない。経験則という一言で片付くものではない。

 唯一、怪物を倒し得る手段が無くなった。



 拘束が外れる。押さえつける時也を蹴り飛ばす。大柄な時也が木の葉のように舞い、木に叩き付けられる。苦悶の声をこぼしながら、うずくまる。


「……その能力、六之介のものと似ているな」


 雲雀は痛みも感じた様子もなく、ただ静かに疾風を見ていた。


 疾風が初めに発言した超能力は念動力、極めて発現しやすいものであり、楠城の遺跡での戦いまではこれが彼の能力だった。しかし、彼はそれで満足しなかった。新人の魔導官相手に苦戦したという現実が、彼の背を押した。

 メンゲレに再改造を申し出た。廃人化の危険性、死の危険性はあった。それでも、更なる力を求めた。その思いが大いなる躍進をもたらせた。


 新たに発現した能力は『瞬間移動』。六之介ほどの精度、出力もなく、範囲も狭い。だが、極めて稀少かつ強大な能力であり、メンゲレが何よりも欲していた能力だった。故にこの出撃は完全な独断であり、命令を無視したものである。今頃、必死に探しているだろうが、知ったことではない。此世などという反社会的な組織に属したのは、この男と戦い、恋人の仇を討つためである。

 

「……なるほど、メンゲレとやら、そういうことか」


 六之介が手を貸さないということは分かっていたのだろう。それ故にあらかじめ、同じような能力者を創っておいた。六之介が戻って来ようが来まいが、メンゲレは元の世界に帰ることができるというわけである。

 これを保険と取るか、本命と取るかは分からないが、奴にとって疾風が重要な存在であることは間違いあるまい。


 千切れかけた左腕を掴み、ちぎる。


「なっ!?」


 この男は痛覚がないのか。そう思わざるを得ないほどに躊躇のない動きであり、やはり苦痛を感じている様子もない。


「何を驚いている? 腕の一本で慌てふためき、泣きわめくと思っているのか? だとしたら、俺を甘く見過ぎだ。それにな、何のために腕が二本あると思っている。予備だ」


 いったい何を言っているのか、何をしようとしているのか。


「とはいえ、まだ道半ば。隻腕というのは少々都合が悪い。冥途の土産に面白い物を見せてやろう」


「……は?」


 言っている意味が理解できず、かろうじて起きあがった時也の口から疑問の声がこぼれた。


 雲雀の左腕から青い光が迸る。それは目を開いていられない程の光量であり、同時に認識の閾値を遥かに超えた魔力量だった。おそらくは並みの魔導官、数百人分は下るまい。

 光の中で、骨が形成される。細胞が刺激され、生命の産声を上げる。筋が、神経が、血管が瞬く間に伸び、組織へとなっていく。筋線維が集まり、筋肉となる。そして、それらを抑え込むように皮膚が覆う。

 失われた左腕は、僅か十秒ほどで生え変わっていた。


「よしっと、『久々』だが上手くいったな」


 指を曲げ伸ばししながら、満足げに笑う。思い通りに動くことは勿論、温覚、冷覚、痛覚、などの触覚も備わっている。如何せん、筋量が落ちているがそれはおいおいに解消すればよいだろう。

 

 その光景を時也たちは呆然と眺めていた。失った四肢は戻らない、そんなことは当然と理解していた。人間の身体は蜥蜴の尾のように生え変わったりしない。その既成概念が完全に打ち崩される。


 何なのだ、この生き物は。もはや人間ではない。そんな領域を遥かに凌駕している。言うなれば、これは。


「不、浄……?」


「ようやく気が付いたか、その通りさ。まあ、正確には半不浄、『魔人』とか言われたけどな」


 魔導兵装より飛び出た日本刀を乱暴に振るう。万全の状態であれば回避が出来ただろうが、心神喪失に近い時也は動くことはおろか、反応すらできない。

 ごろりと、静かに首が転がり残された身体から力が抜ける。


「あ、あああ……」


 疾風がクリスベクターを構えるが、雲雀が左腕が蹴り飛ばし、得物を弾き飛ばす。

 魔人はゆらりと歩み寄りながら、刀を肩に担ぐ。構えも何もない、ただ力任せに振るうという前動作だった。


 逃げなければ。しかし、身体が動かない。腰が抜け、足が震えている。異能による疲労と、眼前にいる人を模した怪物への恐怖に乗っ取られている。


「……一つ、教えてやる」


「な、なに?」


「久慈浜での事件、車中に生体はいなかったぞ」


「覚えて、いたんですか……?」


「忘れてたに決まっているだろ、ただようやく思い出しただけだ。少なくとも俺が見た時には、魔力は不浄のものだけだった。つまり、お前たちが俺を憎むのは完全な筋違いってわけだ。俺にお咎めがなかったのもそういうわけだな」


 時也と違い、分かっていた。あの時彼女が生存している可能性はないことを。故に、彼女を殺されたことへの憎しみではない。あるのは、亡き者であったとしても自らの手で送り、けじめとする機会を奪ったことへの怨嗟だ。


 そして、八つ当たりだ。何に当たればいいのか。どこに吐き出せばいいのか分からない、うねり、増殖し跋扈する憎悪を吐き出すためのものが必要だった。そうしなければ、どうにかなってしまいそうだったのだ。


「……」


 何も答えることは出来ない。ただ、振り下ろされる白刃を見ていることが精いっぱいだった。それが水無瀬疾風の最後の記憶となった。


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