11−5 彼方にて
久慈浜で実習生が不浄に呑み込まれた。これより救出任務を行う。
その知らせを聞き、時也は駆けていた。久慈浜は八坂を日ノ本海に沿って進んだ場所にある港町であり、遠方地ではない。国家試験が迫る中であるが、些細なことでしかなかった。
そこには朱石春陽、彼の実妹が就いている場所であり、決して都会ではないが、長閑で住み易い町だと手紙には書いてあった。
久慈浜と八坂を繋ぐ道路には土嚢や木の端材による防壁が積まれ、その周りには十名近い魔導官が控えていた。
その中に一人、実習生がいた。顔を青褪めさせ、小刻みに震える少年だった。声をかければ、彼は水無瀬疾風と名乗り、妹の恋人というのだ。その言葉に驚きはしたが、春陽は頻繁に浮ついた様子を見せていたことからすれば、納得のいく点もあった。
疾風によると、蛸の不浄を捕獲し、八坂へ輸送することになった。不浄を生きたまま捉えることは非常に困難であり、実習生が為し得るなど容易ではない。不浄の拘束には魔術具を用いるが、同乗しそれの管理をする者が必要である。立候補したのは疾風であったが、それを押しのけたのが春陽だった。
「あの馬鹿……!」
「すみません……私が、あの時に……」
「謝る必要はないさ。まだ、まだ死んだわけではない」
そう、まだ死体が発見されたわけではない。
輸送車を止め、不浄を引きはがせばいい。きっと妹は生きている。そう願いながらも、指先は震えていた。
観測班からの連絡が来た。車は時速百キロを超え、この防壁と突っ切る恐れがあると言う。撮影され写真には、身体を錐状に変化させた不浄が映っている。もはや軟体生物であったという面影はなく、巨大な巻貝のようであった。
不浄が八坂に入り込めば、『八坂事変』の再来となる可能性もある。そうなれば魔導機関の存続すら危ぶまれる。
現場の判断は一瞬で決まった。
魔導官の救出から、不浄の撃破へと変わったのだ。
疾風は泣きついた。待ってくれ、まだ中に人がいる、どうか助けてほしいと、恥をかなぐり捨て幼い子供のように縋りついた。みっともない、情けないと嘲笑する者もいた。だが、それは愛する者を想うが故の、美しい振る舞いだった。
「……僕が行きます」
名乗り出た。しかし。
「駄目だ。まだ学生の分際だろう」
「あれに乗っているのは僕の妹です。現場の判断を無視し、身勝手に振る舞ったと報告しても構いません。ですから、どうか……どうか……!」
「……許可できん。それに……来たか」
背後より漂う獣臭に思わず振り返る。そこにいたのは、金色の毛を携えた怪物だった。ボロボロで返り血に塗れた魔導官服、男性の太腿ほどはある太い腕、二メートルに達する体躯、そして血走り爛々と輝く紫の右目と緑の左目。
現場の魔導官たちからどよめきが生まれる。
風貌は勿論だが、溢れ出る異様な魔力に呑まれていた。
「か、掛坂先輩……」
知らぬ者などいない存在だった。その見た目は勿論だが、それ以上に『八坂事変』において、黄泉ノ逆道より脱走した不浄の半数を屠り、瞬く間に階級を上げているという点が大きい。
「君が掛坂雲雀か。上からの命令は受けた……お手並み拝見とさせてもらおう」
「……ふん」
上官の言葉につまらなそうに返事をし、積まれた防壁から鉄柱を手に取る。重さは五百キログラムを下らないであろうそれを、まるで小枝のように持ち上げる。
どよめきの中、疾風が走った。
「掛坂先輩、どうか、どうか助けてください! 車の中に、恋人がいるんです! どうかっ、どうか……!」
地面に額を擦りつける。
それに続く。並び、頭を下げる。
「僕からも、お願いします。大切な妹なんです! 掛坂先輩でないと助けられないんです!」
雲雀は何も答えなかった。ただじっと道の先、不浄の迫る方を見ている。
僅かな振動が伝わってきた。そして、点が徐々に大きくなってくる。それは禍禍しいまでの魔力を放ちながら接近してきていた。車は基本として効子結晶が動力源である。ならば、膨大な魔力を持つ不浄による供給が為されればどうなるかは、考えるまでもなかった。
他の魔導官たちに引きずられるように、道路の隅へ移動する。
雲雀は鉄柱を槍のように投擲し、斜めに深く突き刺す。不浄は瞬く間に距離を詰めてくる。砂塵を巻き上げ、大気を切り裂きながら迫るそれは巨大な銃弾のようだった。先端は錐状に変形し、金属に似た光沢を帯びている。直線であり障害物もないため被害は出ていないが、このまま入り組んだ八坂に入り込めば多くの建築物を貫き、人々を蹂躙しながら走り続けるだろう。
鉄柱と不浄の距離が縮まり、零となる。乗り上げたは片方のみだが、その効果は絶大だった。過剰なまでに加速した車体は一瞬宙を舞い地面に叩き付けられる。何度も跳ね、舗装された道を抉り取り、火花を散らしながら静止する。不浄の血液が広がり、体組織が捻じれ飛び散っている。
「っ……」
その光景に時也と疾風は固まる。あれほどの勢いで叩き付けられれば、人間に生きていられるはずがない。
「春陽っ!」
疾風が飛び出すが、それを止めさせたのは魔力の塊だった。紫色の光で形作られた刃が不浄を斬り裂いた。それだけではとどまらず、道路を飲み込むように広がる。不浄は悲鳴すらあげる暇なく、身体が崩壊していく。
一陣の風が吹いた。不浄が転がっていた場所には、塵一つ残っていない。輸送車も影も形も無い。まるでその存在が幻であったかのように、完全に消え去っていた。
勿論―――人の姿はそこになかった。




